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職質されやすい

 鵲駅の東口にある繊維街の近くに、かつて小説家たちが集った文豪村はあった。しかし今は特に、その面影を宿す建物はない。往時を偲ぶ案内板があるきりだ。端が錆びたその看板をナロウ(仮名)は、しばらく眺めていた。ぼさぼさの短髪で、瘦せた若者だ。格好は、金のかかってないのが一目瞭然のなりだった。

「ここに小説家がいっぱい住んでいたのか」

 そう呟いて周囲を見る。通りに面して商店が並んでいた。その中の一軒に彼は近づいた。そこは定食屋だった。暖簾を潜り、引き戸を開けて中に入る。

「らっしゃい!」

 高齢の男性がカウンターの中でナロウを迎えた。

「一人なんですけど、いいですか?」

 そう尋ねるナロウに、その店主らしき男性が答える。

「どうぞどうぞ、お好きなところに座って」

 ナロウはテーブル席に着いた。

「水はセルフだから」

 そう言ったのに店主はナロウの前に水の入ったコップを置いた。

「あ、ども」

 店主は笑って手を振り、カウンターの向こうへ戻った。ナロウはテーブルに立てて置かれていたメニューを見て「カレーの肉は何ですか?」と店主に訊いた。

「チキンカレーだね」

「それください」

 カレーはすぐに出てきた。

「いただきます」

 ナロウはカレーをもぐもぐ食べた。真っ赤な福神漬けも。むしゃむしゃ、もぐもぐ。

 食べ終わる。店主に尋ねる。

「こちら、現金払いできます?」

「OKOKOK牧場」

「じゃ、それで」

「五百円」

「美味しいのに安いですよね」

「どもね」

 ナロウは店内を見回して訊いた。

「ここ、禁煙ですか?」

「吸っていいよ」

「どもです」

「あ、ゆっくり吸っていいんだよ。ここ、外は禁煙条例で歩きタバコ禁止だから」

 店主が言い終わる前に、ナロウは入り口の引き戸を開けた。そこでライターを上着の胸ポケットから出し、煙草に火を点ける。一服、大きく吹かす。

「ごっさん!」

「毎度!」

 店を出たら警官二人と鉢合わせした。小柄でがっしりした体格の若い婦人警官と、ひょろ長い中年の男性警官だった。婦警が銜え煙草を見咎めた。

「ここ、路上喫煙禁止ですよ」

 ナロウの視線は婦人警官の化粧っ気のない童顔と大きく膨らんだ胸の間を上下した。

「店内は禁煙可だったもんで」

 それから上着の左右のポケットに両手を差し入れる。二人の警官は体を強張らせた。

「動かないで!」

 そう叫んで女性警官は一歩だけ後退りして間を取った。ナロウは苦笑いした。

「今、携帯灰皿を出そうとしたところっす」

「殺す?」

 頬をビリビリ震わせて、婦警はナロウを睨みつけた。睨まれたナロウは、動きを止めた。男性の警官は腰のホルスターに手を伸ばしていた。

 小さく溜め息を吐いて、ナロウは言った。

「煙草のポイ捨ても禁止だろ。そのへんに捨てるわけにいかないから、携帯灰皿を持ち歩いてんの」

 婦警はナロウに「ポケットからゆっくり手を出しなさい」と命じた。

 ナロウは銜え煙草を上下に揺らしながら言った。

「この煙草、何処に捨てたらいいのさ」

「早く手を出しなさい」

 念のため、確認する。

「ゆっくりなの、早くなの? どっち?」

 女性警官はナロウの両手から目を離さずに言った。

「ゆっくり」

 ナロウは言われた通り、ポケットから両手をゆっくりと出した。

「ほら、何も持ってないよ」

 それから口元の煙草を左手の中指と人差し指でつかんだ。

「煙草、何処に捨てればいいのかな」

「動かないで」

 女性警官は男性警官にナロウの身体検査を命じた。上着やズボンのポケットも調べられた。携帯灰皿はズボンの尻ポケットにあった。男性警官が取り出してナロウに渡す。

「どうも」

 ナロウは礼を言って携帯灰皿の中に短くなった煙草を入れた。それを見ていた婦警が言った。

「職務質問するけど」

「どうぞ」

「名前は?」

 女性警官に尋ねられ、ナロウは自分の名前を答えた。

「ナロウ(仮名)」

 彼女は訝しげに再度訊いた。

「それ、本当の名前?」

「本当の名前は知らない。気が付いたら自分を、そう呼んでいた」

「自分の本名を知らないの?」

「知らない」

 婦警と男性警官は顔を見合わせた。それから婦警は職質を再開した。

「年齢は?」

「判らない」

「自分の年も知らないの?」

「ああ」

「どこから来たの?」

「いろんなところをほっつき歩いてた。ここには隣町から来た。歩いて」

 ナロウの語る話を手帳に控えてから彼女は言った。

「身分証明書を出して」

「持ってない」

 男性警官が言った。

「それらしいものはないですね」

 婦人警官が頷く。

「勤め先と住所と連絡先を教えて」

「その日暮らしで、電話は持っていない」

「携帯電話もありませんでした」

 婦警は手帳を閉じた。制服の肩に下げた携帯無線のマイクを持ち、そのスイッチを入れる。

「パトカーを要請します。住所不定無職、男性の不審者です。ええ、お願いします」

 それから彼女は言った。

「今から署に連行します」

 大人しく職務質問を受けていたナロウが、そこで険しい表情になった。

「何もしていないのに? 歩き煙草で警察に連れて行かれるなんて、おかしいぞ」

 男性警官はナロウを宥めた。

「まあまあ、ちょっとした手続きだよ」

「手続きって、何だよ」

「最近、この辺で物騒な事件が起きてて」

「チンピラやホームレスが失踪している事件だろ。俺には関係ない」

 憤るナロウに婦人警官が言った。

「さっきの職務質問だけど、あれ、嘘でしょう」

「嘘じゃない」

「自分の名前も年も知らないなんて、おかしいでしょ」

「おかしくない、実際、そうなんだから」

「やっぱり、ちゃんと調べないといけない」

「いつも、そう言われる。職質で」

 パトカーが到着した。屈強な男性警官二人が車から降りた。四人がかりでナロウはパトカーに乗せられた。後部座席の真ん中に、体格の良い警官と、ひょろ長い警官の二人に挟まれて座る。

「狭いな」

「署まで、しばらくの辛抱だ」

 ひょろ長い警官に言われたが、嘘だった。パトカーは警察ではなく、署に隣接する廃工場の敷地内へ入った。薄暗い廃墟の奥までパトカーは侵入した。そこでナロウはパトカーから下ろされた。

「どこだよ、ここは」

 助手席から降りた婦人警官が腰のホルスターからピストルを抜き取り、ナロウに銃口を向けた。

「もっと奥の方まで歩いて」

 他の三人の警官も拳銃を握り、ナロウを脅した。廃工場の奥へ進むよう強制され、ナロウは歩き始めた。

 そんなナロウに婦人警官が質問する。

「ナロウって、誰が付けた?」

「自分で」

「自分で? なんでまた、ナロウなんて名前を自分に付けたの?」

「お前の知ったことじゃない」

 一瞬、間があった。

「そうね」

 廃工場の最深部に、光る白いゴムのような質感の肌をした巨大なエイに少し似た生物がいた。エイではない。平べったいところが似ている程度だ。しなやかな触手を何十本も背中に生やしている。その触手の先端からピンク色の粘液が溢れ出ていた。よく見ると先端には穴が開いていて、そこに鋭い牙が十数本は蠢いていた。そいつはナロウを見ると、フワフワ浮かんだ。彼にゆっくりと近づく。

 ナロウは自分が対面している相手を睨んだまま、背後に立つ婦警に訊いた。

「この化け物は?」

 婦警が答える。

「犯罪者予備軍を始末してくれる動物。詳しいことは知らないけど、異世界から転移してきたんだって」

 ナロウは肩越しに婦警を見た。

「チンピラやホームレスが失踪する物騒な事件ってのは、あんたらの仕業か?」

 婦警は小さく頷いた。

「そいつに食べてもらうの。跡形もなく」

 ナロウは何も言わなかった。婦人警官は続けて言った。

「町の平和を守るための、必要悪だから」

 ナロウは薄く笑った。呟く。

「こいつは今、俺が殺す」

 次の瞬間、眩い光が、まるで何かが爆発したかのように煌めいた。四人の警官は閃光に目をやられ、両手で顔を覆った。ピストルは、まだ持っている者もいれば、落とす者もいたが、どれもナロウを狙って発砲できるような状態ではなかった。

 フワフワ浮かぶエイに似ていなくもない怪物は、閃光に目を傷めつけられることはなかった。しかし代わりにナロウの拳で痛めつけられた。幾度となく殴られ、地に落ちかけたところを、今度は何度も蹴られる。とどめは空中三回転からのキックだった。触手の先端に開いた数多くの口から黄色い体液をドボドボ流し、怪物は動かなくなった。

 ナロウは口から炎を吐き出して、怪物の死骸を焼き尽くした。

 その頃には、四人の警官は視力を回復させていた。目に映った光景に四人は震撼した。人の形はしているものの、どう考えても人とは思われぬナロウに四人は、拳銃を突き付ける勇気はなかった。

 そんな警官たちを見て、ナロウは言った。

「お前らのやったことは許されない。だが、今回に限って見逃してやる。次はない。分かったな」

 言うだけ言ってナロウは廃工場を後にした。

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