第12話 星見の丘と、静まり返る神々
「カイ! あれがキャラバンだよ!」
セレンティアの街道を抜け、石畳が土へと変わるあたりで、コットが弾む声を上げた。
朝の光を受けて揺れる彼女の指先。その先に、三台連なった幌馬車が停まっている。
――ただし。
「……馬、じゃないな」
カイは足を止め、思わず目を凝らした。
幌馬車を引いているのは、深緑色の毛並みを持つ大型のモンスター。
胴は分厚く、脚は太く安定している。長旅に耐えるためだけに作られたかのような、無駄のない体躯。
そして額には、短くも太い角が一本、生え揃っていた。
「驚くだろ?」
近くで指示を出していたキャラバンの隊長が、こちらを振り返って笑う。
「耐久型魔獣馬だ。力が強く、気性も穏やか。長距離輸送じゃ、これ以上の相棒はいない」
「モンスター……なんですよね?」
「ああ。ただし、アビス化――凶暴化の報告がほとんどない、珍しい種だ」
隊長の言葉を裏付けるように、グラースホルンは大きな目を瞬かせ、ふうっと鼻を鳴らした。
威圧感はなく、どこか眠たげで、街道を行く旅人の安全を当たり前のように受け入れている。
「……優しそうだな」
「ピュイ!」
シロが小さな声で反応し、笑みがこぼれている。
「はは、気に入ったみたいだな。ようこそ!遊商大隊のキャラバンへ。さあ、乗ってくれ。ソルテミア行きだ」
⸻
キャラバンの扉をくぐった瞬間。
「……え?」
「わ、広っ!」
思わず声が重なった。
外から見た大きさでは、どう考えても説明がつかない。
人がすれ違えるほどの通路が奥まで続き、左右には簡素だが清潔な寝台、積荷用の棚、旅人用の腰掛けが整然と並んでいる。
天井も高い。
圧迫感がなく、長時間いても疲れなさそうだ。
「……外より、明らかに広いな」
カイは低く呟いた。
異世界に来てから、不思議なものは散々見てきた。
それでも、この感覚は別格だ。
「だよね」
コットが得意げに頷く。
「これ、空間拡張だと思う。魔道具……それとも、神器の力?」
問いかけに、隊長は答えなかった。
ただ、どこか含みのある笑みを浮かべ、先へ進むよう促す。
通路を歩くたび、カイは気づく。
――このキャラバンは、“乗り物”ではない。
移動するための、小さな街だ。
やがて辿り着いたのは、食堂のような空間。
木製の長卓が並び、奥にはさらに区切られた部屋が見える。
「……!」
コットが、その場で完全に足を止めた。
「魔道調理具……!」
宙に浮く鍋。
火を使わず、魔力で温度を制御する調理台。
刻まれた魔法陣が、規則正しく淡く脈打っている。
「これ、温度と水分量を自動で管理してる……!」
「……見るだけで分かるのか」
「うん! 理想的すぎる!」
まるで宝物を見るような目で、コットは調理具を眺めていた。
「ピュイ〜!」
シロも辺りを行ったり来たりしながら興味津々な様子だ。
「あとで、ちゃんと見せてもらおうな」
カイがそう言うと、コットは満面の笑みで頷いた。
⸻
キャラバンが走り出すと、内部は自然と賑やかになった。
荷を抱えた商人たち。
行商帰りの夫婦。
次の街で働き口を探す若者。
向かいに座った年配の商人が、湯気の立つ茶を啜りながら言う。
「商いは情報だよ」
「情報、ですか」
「街道の安全、相場、流行……全部、移動中に集まる」
「キャラバン自体が、市場みたいなものなんですね」
コットが感心したように言う。
「その通り。だから、この中は“広い”必要がある」
なるほど、とカイは思った。
人が集い、話し、暮らす。
この空間そのものが、文化だった。
――その時。
「あっ……!」
幼い声と共に、小さな影が通路でつまずいた。
「いた……」
女の子が膝を押さえ、涙を堪えている。
血が、じわりと滲んでいた。
瞬間、背後に控えていた護衛らしき男が動く。
腕や首筋の皮膚が、岩石のように変質し、筋肉が隆起する。
「……近づくな」
低く、重い声。
「癒すだけです」
カイは静かに言い、布丸を掲げた。
「危険なことはしません」
男は布丸を鋭く見据える。
「《転換布癒》…!」
布丸を膝に当てると、温かな光が滲み、傷がゆっくりと塞がっていった。
「……あれ?」
女の子が目を丸くする。
「いたく、ない……」
次の瞬間。
「ありがとう! タオルのお兄さん!」
「治ってよかった」
安堵するカイ。
「タオルのお兄さん、すごい!」
ぱっと笑顔が咲いた。
周囲の緊張が、一気に緩む。
護衛の男は一歩下がり、それ以上は踏み込まなかった。
(……身分の高い家系、か)
カイの胸に、小さな疑問が残る。
だが、今はそれ以上、詮索する理由もなかった。
夕刻。
キャラバンは、なだらかな丘の麓で静かに停車した。
「《星見の丘》だ」
隊長が言う。
「人々の感謝や祈りが、積み重なった場所には――時々、精霊が訪れる」
丘の上には、古い石碑と小さな祠があった。
風雨に晒されながらも、何度も手入れされた跡が残っている。
誰かが、何度も、ここで立ち止まってきた証だ。
「精霊って、いつも現れるわけじゃないんですか?」
コットが尋ねる。
「そうだな」
年配の商人が応じる。
「精霊は気まぐれだ。だが――感謝や祈りが溜まった場所には、寄ってくることがある」
「人に、仕える精霊もいるって聞いたことがあります」
別の旅人が言った。
「土地を守る精霊、家を見守る精霊……街に住み着くのもいるとか」
「力の大小じゃない」
隊長が静かに言う。
「“想い”に応える存在だ」
カイは、その言葉を胸に刻んだ。
⸻
夜。
焚き火を囲み、誰もが自然と空を見上げていた。
その時。
空気が、ゆっくりと澄んでいく。
「……あ」
淡い光が、ひとつ。
またひとつ。
「精霊……」
小さな光の存在が、丘の上を漂い始める。
音もなく、争いもなく、ただ静かに。
精霊たちは、人々の祈りをなぞるように巡り――
やがて、布丸の周りに集った。
くるり。
くるり。
「……反応してる」
「ピュイ……」
精霊は、布丸に触れるわけでも、力を示すわけでもない。
ただ、そこに“在る”ことを確かめるように、周囲を巡っている。
幼い女の子が、そっと近づく。
「ねえ、タオルのお兄さん」
「ん?」
「やっぱり、すごいね!」
精霊は、しばらくその光を揺らし――
やがて、星空へと溶けていった。
⸻
そして。
静寂が戻る、ほんの一瞬の間。
どこからか、音が鳴り始めた。
弦を弾く、澄んだ音。
風を震わせる、低い管の響き。
「始まったな」
隊長が、楽しそうに言う。
「キャラバン名物だ」
音楽隊だった。
使われている楽器は、カイの知らないものばかりだ。
弓で擦ると空気が震える石弦琴。
息を吹き込むと、魔力で音程が変わる螺旋管。
拍を刻むのは、薄く削られた魔獣角の板。
旋律は、どこか単調で、しかし心に残る。
道の長さを、旅の重さを、そして帰る場所を語るような音だった。
「……不思議な音楽だな」
「この世界の旅唄だよ」
商人が言う。
「言葉がなくても、意味が通じる」
それは、国も種族も超えて共有される、
“旅そのもの”のための音楽だった。
焚き火の周りで、人々は静かに体を揺らした。
精霊が去った後でも、その余韻が、音に溶け込んでいく。
カイは、布丸を膝に置いたまま、目を閉じた。
――この世界は、優しい。
少なくとも、今は。
⸻
夜が更ける前。
カイは、キャラバンの後方区画を見せてもらっていた。
そこには、人が乗る空間とは別に、広大な積荷庫があった。
木箱、麻袋、樽。
食料、資材、街から街へ運ばれる生活の一部。
「旅人だけを運んでるわけじゃないんですね」
「ああ」
隊長が頷く。
「このキャラバンは、国内の血管みたいなもんだ」
人と物と情報。
すべてを繋ぎ、街を生かす。
カイは、キャラバンという存在の重みを、初めて実感した。
⸻
翌朝。
馬車がゆっくりと減速する。
《ソルテミアに到着しました。降車の準備をお願いします》
扉が開き、朝の空気が流れ込む。
新しい街の気配。
カイ、シロ、コットの3人は、一歩、外へ踏み出した。
♢
その頃、神々の会合にて。
――ここは、世界のどこにも属さぬ場所。
星々の運行から切り離された、白と金の狭間。
円環状に並ぶ玉座に、神々が集っていた。
「報告があります」
若き神が一歩前に出る。
手にした観測板は、見慣れぬ光を帯びていた。
「転生者、巻神カイ。
授与神器《布丸》に関する観測結果です」
「あの布か」
「形態変化しか持たぬ下位神器だな」
「今頃、雑巾か包帯か……はは」
軽い笑いが、場に広がる。
若き神は、一瞬だけ言葉を選び――続けた。
「……そのランク表示に、異常が発生しています」
「異常?」
「下位のままだろう」
「いえ」
観測板を掲げる。
「既存の分類に該当しない段階が表示されました」
「観測装置は《Stage》と記録しています。」
一拍。
「……Stage?」
「そんなランクは聞いたことがない」
「新しい下位区分か?」
笑いが、また起きかける。
その時、
最奥に座す長が静かに口を開く。
「……未知の段階、か」
神々が息を呑む。
「言い伝えだが」
「我々が生まれる以前から――闇はあった」
その声は、深い。
「そして、その闇を一度だけ、押し戻した者がいる」
「神器でも、軍勢でもない」
「ただ“在り方”で、世界を救った存在だ」
「……そして……その者には、ある獣が仕えていたという」
「名も形も、我々の記録には残っておらぬが――確かに、いたとのことだ。」
「では、今回の転生者と……?」
問いに、長はしばし沈黙した。
「わからぬ」
だが。
「無関係とも、思えん」
その言葉が落ちた瞬間。
嘲笑は消え、
軽口は凍り、
場には、重い静寂だけが残った。
――巻神カイ。
その存在は、まだ小さい。
だが、確実に、世界の奥深くへと触れ始めている。
神々が言葉を失った、その同じ時。
首都ソルテミアにて――
新たな物語が、今、始まろうとしていた。
第13話へ続く。
《神器“布丸” ランク:Stage 2 ー蒼錬布ー》
《スキル:変幻自在/布界収納(小)/水纏状態/魔力吸収》
《限定スキル:雫裂・二式》
《特殊スキル:黒喰/転換布癒Ⅰ/微癒の湯化》




