第7話 裏切りの報酬〜宰相リドラーの罠〜
勝利報告が王都へ届くよりも早く、宰相リドラーの動きは始まっていた。
夜の王城、石造りの回廊に響くのは、書類の擦れる音と、低い笑い声。
「神谷蓮――異邦の参謀。
確かに戦では功績を挙げた。だが、国の秩序を乱す者を放置するわけにはいかん」
リドラーは一枚の羊皮紙に筆を走らせた。
『機密費不正流用の嫌疑により、参謀神谷蓮を拘束すべし』
それは、法の形をした“政治の刃”だった。
◆ ◆ ◆
翌朝、王都の大通りはざわめいていた。
“異邦の軍師、裏金操作の容疑で王国警備隊に拘束”
それはまるで計算されたように噂となり、昼には民衆の間で“裏切り者”の名が踊っていた。
「……やられたな」
蓮は牢の中で息を吐いた。
狭い石牢、湿った藁の上。鉄格子の向こうには、憂いを浮かべたリュシアの姿があった。
「ごめんなさい、蓮。宰相の命令で……私たちにも何もできなかった」
「大丈夫。想定の範囲内です」
「想定、ですって?」
「勝てば妬まれ、動けば潰される。それは会社でも国家でも同じです」
彼は穏やかに笑った。
「でも、リドラーの動きが早すぎた。つまり、彼には“焦り”がある。
焦っている人間は、必ずミスをする」
◆ ◆ ◆
同じころ、王の執務室。
リドラーが膝をつき、冷たい声で進言していた。
「陛下、神谷蓮は危険です。民の心を掴みすぎている。
このままでは、王権を脅かす存在となりましょう」
王エドリックはしばらく沈黙した。
「彼の知恵で、幾千の兵が救われたのも事実だ」
「だからこそ危険なのです。“英雄”はいつだって、王を滅ぼす種になります」
「……」
リドラーは続けた。
「彼の戦術図には、王国の守備線すべてが記されている。
帝国に渡れば、国そのものが危うい」
「……証拠はあるのか?」
「必要なのは“疑念”です。陛下が疑えば、それが真実となる」
その言葉に、王は眉をひそめた。
「お前、いつからそんな冷たき言葉を学んだ」
「陛下のため、でございます」
その声の奥に、かすかな毒があった。
◆ ◆ ◆
一方、牢の中。
蓮は壁の模様を指でなぞっていた。
「これ……間取り図に似てるな」
「何をしてるの?」リュシアが小声で尋ねる。
「この牢、古い設計だ。通風孔が二つ――ひとつは王城の庭園下に通じてる」
「まさか脱出する気!?」
「まさか、そんな危険なことを」
蓮は笑いながらも、指先で“鍵”の形を作った。
「ただ、少し空気を入れ替えるだけです」
その夜、王城の一角で爆音が響いた。
警備兵が駆けつけたとき、牢の扉は内側から開いていた。
――だが、中には誰もいなかった。
◆ ◆ ◆
夜明け。
王都郊外の廃教会。
リュシアが息を切らしながら扉を開くと、蓮がランタンの灯を見つめていた。
「ほんとに脱出したのね……!」
「まぁ、サーバーからデータ抜くより簡単でした」
「サーバー……?」
「こっちで言うと“王城の文書庫”ですね」
蓮は机に数枚の書簡を広げた。
そこには、リドラーの私印が押された命令書の写しがあった。
「見てください。宰相が帝国商会と裏で通じてた証拠です。
兵糧を倍額で売りつけ、差額を懐に入れていた」
「まさか……それをどうやって手に入れたの?」
「牢に入る前に、こっそり転送しておいたんですよ。“副本データ”を」
「転送……?」
「バックアップの癖は抜けませんから」
◆ ◆ ◆
同日、王宮議会。
突然、扉が開かれ、蓮が堂々と姿を現した。
「神谷蓮!? なぜ牢から――!」
「ご心配なく、鍵はちゃんと返してきました」
「おのれ!」
怒鳴るリドラーに、蓮は静かに書簡を差し出した。
「宰相殿、あなたの“帳簿”をお返しします」
羊皮紙を広げた瞬間、議場がざわめいた。
「……この印章は……!」
「帝国商会との取引記録……!」
リドラーの顔色がみるみる青ざめる。
「貴様、どこでそれを――!」
「あなたが“焦って”書いたおかげですよ。印章の押し方が雑で助かりました」
王がゆっくりと立ち上がった。
「リドラー。弁明はあるか」
「陛下! これは偽造だ!」
「では、魔導印鑑の鑑定を行おう」
沈黙。
宰相の膝が崩れ落ちた。
「……なぜだ。なぜ、私ほどの者が、異邦の若造に――」
蓮は静かに言った。
「あなたが“自分を王だと思っていた”からですよ。
でも、私は違う。俺は常に“クライアント”を見て動く。
この国のクライアントは――民衆です」
その言葉に、王が微笑んだ。
「見事だ、神谷蓮」
◆ ◆ ◆
リドラー失脚の報は、瞬く間に国内を駆け巡った。
“裏切りの宰相、王国を売ろうとしていた”
民衆は怒り、蓮の名は再び英雄として称えられた。
だが、その夜。
リュシアが一人、蓮の部屋を訪ねた。
「……ねぇ、本当にこれで良かったの?」
「どういう意味です?」
「あなた、勝つためなら誰でも切り捨てる。
それって、リドラーと何が違うの?」
蓮は一瞬、言葉を失った。
彼女の瞳には、涙ではなく“恐れ”が宿っていた。
「……違うと思ってました。でも、たぶん、俺も同じです」
「だったら――もう戦わないで」
「無理ですよ。俺は、勝たなきゃ生きられない人間だから」
外の風が窓を揺らした。
遠くで、また戦の号令が上がる。
“ルドヴィク、再び動く”
蓮は静かに立ち上がる。
「リュシア。次は、“国”そのものを賭けた勝負です」
その横顔には、もう“社畜”の影はなかった。
――戦略の怪物、神谷蓮。
彼の知略は、いまや人の情をも切り捨てて、王国の未来を動かし始めていた。