第6話 盤上の王たち〜王国軍議と裏切りの影〜
王都に戻ると、蓮を迎えたのは歓声ではなく、沈黙だった。
南部戦線での大勝――本来なら凱旋の凱歌が響くはずだ。
だが、王城の門前には旗もなく、兵たちは顔を伏せている。
「……空気が悪いな」
リュシアが苦く笑う。
「王国議会で“功績の独占”が問題視されているの。
あなたが異邦人だってこと、もう誰もが知ってる」
「なるほど。社内政治のフェーズに突入、ってわけか」
「政治、ね。あなたの世界では、それも戦なの?」
「ええ。“社内会議”という名の戦場です」
◆ ◆ ◆
王国軍議の間。
金色の天井と大理石の床に、数十の重臣が並んでいた。
中央には、まだ若い王エドリックが座す。
その右隣――目を伏せたまま笑う貴族がいた。
「宰相リドラー卿だ」リュシアが小声で囁いた。
「戦を知らぬ机上の策士。あなたを快く思っていない」
王の声が響く。
「神谷蓮。異邦より来た者よ。そなたの戦功、確かに耳にしておる。
だが、王国軍の伝統と秩序を乱したとも聞く」
蓮は深く頭を下げた。
「王よ。私はただ、勝つために最善の手を打ちました」
「その最善が、我らの信義を損なうならば?」
リドラーが口を挟んだ。
「殿下、異邦人の策に頼るのは危険です。
彼の戦は確かに勝利しましたが、その代償として――多くの貴族の領兵が失われた」
「損耗率は想定内でした」
「想定内、だと?」
議場の空気が張り詰める。
蓮は一歩も退かずに言い切った。
「勝つために必要な犠牲です。
敗北すれば、国全体が滅びます。数字で言えば一万対三百――
どちらを取るか、経営判断として明白です」
リドラーの口元が引きつる。
「貴様……国を会社のように語るのか」
「はい。従業員が生きるために、会社は利益を出さねばなりません。
国も同じです。理念だけでは人は救えない」
静寂。
やがて王が小さく頷いた。
「理はある。だが、そなたの言葉は冷たいな」
「冷たさが、時に人を救うこともあります」
そのとき、会議室の扉が勢いよく開かれた。
「急報! 帝国軍、北境を越えて侵攻中!」
場がどよめく。
「南部を攻めていたのに、北だと!?」
「おそらく陽動だ。――ルドヴィクが動いた」
蓮は即座に地図を広げた。
「北境の砦は兵力二千。敵の先遣は五千。
つまり、この侵攻は……“包囲網”です」
「包囲網?」
「南北で同時に動き、王都を孤立させる。
時間稼ぎではなく、首都奪取が目的だ」
王が顔を曇らせた。
「では、どうすればよい」
「北へ援軍を送る必要があります。今すぐに」
「だが、南部にはまだ残兵が――」
「南は私が抑えます。北にはガルド将を」
リュシアが振り返る。
「あなた一人で南を?」
「問題ありません。もう敵の指揮体系は崩壊寸前です」
リドラーが嘲笑した。
「異邦の策士が勝手に王国の兵を動かすとは。慢心も甚だしい」
「あなたが書類にハンコ押す間に、百人死ぬんです」
その言葉に、議場の空気が一瞬凍った。
「……神谷蓮」
王の声が低く響く。
「そなたの采配、再び任せる。王命だ。――王国を救え」
「御意」
◆ ◆ ◆
王城を出たあと、リュシアが息をついた。
「大胆ね。あんな言い方したら、宰相を完全に敵に回したわよ」
「どこの職場にも一人はいるじゃないですか、
“成果より会議を重んじる上司”ってやつが」
「ふふ……あなたの例え、本当にわかりやすい」
その夜、蓮は王都外の野営地で地図を広げた。
だが、そこに届いた報告は彼の想定を裏切るものだった。
「参謀殿、報告です。北へ送ったはずの援軍が……到着していません!」
「……何?」
「宰相リドラーの命令で、別の街道へ回されたとのこと!」
リュシアが顔を青ざめさせる。
「まさか、内部で……!」
蓮は拳を握りしめた。
「戦場の裏切りより、政治の裏切りの方が早いとはな」
彼の脳裏に浮かぶのは、会社での記憶。
努力が評価されず、成果を横取りされた夜。
“同じ構図だ”
「……いいさ。なら、俺が一人で帳尻を合わせる」
「どうするの?」
「南部の残兵を囮にして、北へ回り込む。
“包囲網”を、逆に利用して帝国軍を囲む」
「そんな無茶を――!」
「社畜ってのは、無茶に慣れてるんです」
◆ ◆ ◆
夜明け前。
冷気が肌を刺す。
蓮は小高い丘に立ち、闇に沈む戦場を見下ろした。
「リドラーの裏切りで時間は失われた。
けど、まだ間に合う」
彼の目に映るのは、まるでゲームのマップのような戦場。
敵の動き、風向き、魔力の流れ――すべてがデータとして脳内で組み替えられる。
リュシアが彼を見上げる。
「あなた、まるで人じゃないみたい」
「いや、人間ですよ。ただ、“勝ち筋”を見たいだけです」
そして蓮は、静かに呟いた。
「――ターン開始」
旗が翻り、王国軍が一斉に動いた。
南部からの囮部隊が敵を誘い出し、北から迂回した小隊が帝国の補給線を断つ。
魔導通信が混乱し、敵は自らを囲うように陣を崩す。
「包囲完了……!」
「な、なんという……逆転だ!」
リュシアが涙ぐむ。
「蓮、あなた、本当に……!」
「いや、これでやっと、イーブンです」
勝利の報告が王都に届く前に、蓮はすでに次の戦略図を描いていた。
「次は、内部の“敵”を処理する番だ」
彼の目が、冷たく光る。
――盤上にあるのは、もはや戦場だけではない。
王国という巨大な組織そのものが、“神谷蓮”の新たなゲーム盤となりつつあった。