日常
俺は書類に目を通し、必要な部分はメモをする。数日前、シノメからの『お願い』と確認を終わらせ、俺たちは次の仕事に取りかかっていた。
「優、来週忘れるなよ。楽しみにしてるんだから」
俺が普段通り仕事をしていると刑事課では見たことのない人が優に声をかけた。優は気だるそうに椅子に体重をかけながら返事をする。相手は眉を下げ、面倒臭がり屋の弟に勉強を勧めるような顔をして
「本当にわかってるのか?」
と言った。優は分かっているというように流す。
「はいはい」
そう返事をした優に「またな」と言うとその人は刑事課を出ていった。俺は何の話をしているのか探ることにした。これも相手を読み取る技術を向上させるためであり、決して優のことを知りたいとかではない。
「来週?」
「2年に1回、僕のレッスンを受けた人たちが発表する日があるの。それが来週」
「へぇ…」
優は首元につけてあるバイオリンのネックレスを触りながら面倒そうに言う。
「これも仕事だよ」
「…上の指示なのか?」
「いや、僕が休暇でやってたらロウニン先輩にバレてそれは仕事だーって言われちゃってそれから月に2回、日曜に仕事で中神国と天国でレッスンしてる」
「それで発表会ってどこでやるんだ?」
「中神国。天国の人は一時的に降りてきてもらって発表する。直で聞いたほうが耳に届くからね」
「なるほど。んで、優は演奏しないのか?」
「僕?なんで?」
優は首を傾げた。まるでその選択肢がなかったというようにキョトンとしている。
「バイオリンすごく上手かっただろ?」
前に神を止めるためにバイオリンの演奏を他のバンドとしていたことがあった。あの時は他の人との合奏だったが、神の影響でぐだぐだになっていた曲が優のバイオリンが入っただけで持ち直し、神をとめることができた。
あの時の様子はいつ思い出してもすごかった。できることなら家族や知り合いにも聞かせたい。
「いやいや、僕が演奏したら誰の発表会かわかんないでしょ」
「えー」
俺は口を尖らせた。せっかくなら優のバイオリンを他の人にも聞きてほしいと思ったのだが、どうやらできないらしい。指名手配犯を逮捕するときは目立つのになぜか、得意なバイオリンでは目立ちたくないらしい。
「僕はレッスンを受けてる人の前でしか弾かないよ」
「もったいねぇな」
「一応僕はプロだったからね。お金を取るよ」
「げ…まじ?」
「まじまじ。1曲5千円でいいよ。格安ー」
「…それで格安なのかよ」
「うん。普通は一番安くて3万円はするかな」
優は警視総監からもらったペンをくるくると回し、軽く言う。
俺は優に5千円を払うのはなんだか不気味だし、そこまでして聞きたいわけじゃないため、俺は優の曲を聴くことを諦めた。
「んじゃいいや」
「えー!もうちょっと粘ってよー」
めんどくさい恋人みたいなことを言いやがる。
「めんどい」
「んなこと言ってると好機逃すよ」
優はいつもニヤニヤしながら焦らせようとしてくる。
俺はなんともないように
「逃さねぇよ。そういう勘はいいんでね」
と言うと優は顔にシワを寄せて心底嫌そうな顔をした。
「うわ…嫌な子」
「子っていう歳でもねぇよ」
「そうだね」
優はそう言い、話を区切った。あいかわらず切り替えが早い。
俺も資料を読み通し、次の指名手配犯と監察の仕事に入る。優は俺の書いた報告書を読んでいるが、最近は優のチェックが杜撰になってきた。入りたては30分ほど読んでいたのに今は5分もかからない。それをどうとるかは俺次第だが、俺は信頼しているからだと解釈させてもらう。
「それで?次はどれにするの?」
優は報告書を確認しながら俺に聞いた。
「天国と中神国のパトロールからにする。他は期限はまたあるし、最近行けてなかったからな」
「りょーかい」
俺たちは立ち上がり、刑事課を出る。パトロールは他の課の専門だが、何しろ天国と中神国、地獄はあり得ないほど広い。
未練が残っているモノやまだ転生したくないモノの溜まり場であったり、犯罪をしたモノが反省をする場であったりするのだから仕方がないといえばそれまでだった。何度か休暇で遊びに行くが、地図がなければ行きたい場所に着くことができない。しかし、住む人が困らないよう、天国にはなぜか転移装置があり、中神国は交番にいけば大体の道順を教えてくれているし、案内もしてくれる。
ただ1つ問題があるとすれば、双方とも警察を近所の人だと認識し、事あるごとにお裾分けや飴を分けてくれるところだろう。お裾分けや飴をもらうこと自体が悪いことではない。その心遣いを『賄賂』だと言う輩が中神国には一定数存在し、逆に『それなら自分も』と言ってお裾分けの量が増えるのが天国だった。一応、言っておくが、犯罪をしたモノのいる地獄はお裾分けという概念は存在せず、一定数は隙あれば脱獄や人を殺そうと模索している奴らがいるため論外。
俺はまず優と天国に設置している1つの交番に向かい、情報を共有する。
交番に向かうと髪を後ろで1つにまとめ、スッキリした印象と少し腹の出ている関わりやすい雰囲気を出す穏やかな表情をした人に話しかける。
「あ、優。そっちは初めましてだよね。こんにちは、私は奏。よろしくね」
奏はのんびりとした口調で今まで天国で会った警察の中で1番と言っていいほど背がデカい。180cmや2mぐらいの人はいた。しかし、奏の身長はそれをゆうに超えていた。おそらく、俺の倍以上だから3m以上あるだろう。
「赤ずきんです。よろしく」
俺は奏を見上げて軽く頭を下げる。最近は赤ずきんというあだ名のほうが浸透してしまい、本名を言っても本名で呼ぶ人の方が珍しくなったため、諦めてあだ名で自己紹介することにした。本名は自分を守るための最後の砦だし、忘れてはいけないと同時に人に軽々と教えることの危険性も他の刑事課の人から教わっていた。
「奏、元気?」
「元気だよ。にしても、最初に毎回同じ質問する人、優ぐらいだよ」
奏はころころと鈴が鳴るように笑う。優はパトロールに行くと全員にまずは元気かどうかを聞いていた。
「それならよかった。気になることばあればすぐに教えて」
「了解。君も優の部下で大変でしょ。振り落とされないようにね」
「あぁ。今のところは大丈夫だ」
「それならよかった。優は1人で突っ走っちゃうからついていくの大変でしょ」
「おや、それは聞きづてならないな。僕は最短を狙ってるの。1番は生きるモノや死んでしまったモノの幸福と未練の除去、でしょ?」
「本当、優はきっちりしているのか効率を重視するのかわかんないね」
「どっちも同じだよ」
2人は仲が良いらしく、話が弾んでいた。
ふと、奏が思い出したように言う。
「そうだ。今度の演奏会、私の知り合いも出るんだ。楽しみにしてるよ、君の演奏も」
優は眉を顰め、嫌な顔をした。
「お金、取るよ」
「いいよ、いくらでも。みんな同じ気持ちだよ。この機会しか優の演奏は聴けないからね」
「…」
優は嫌そうな顔をするが、反対に奏は楽しみだと笑っている。
「毎回同じ事を言うんだから諦めなよ、優」
「…あのさぁ…僕は教える専門」
「教えるのより弾くのが好きでしょ?」
優は図星を突かれたように口を閉じた。奏は言葉を続ける。
「バイオリンを弾いている優、驚くほど楽しそうなんだよ。あれは誰かとデュエットをしているようにも聞こえる」
「違うよ。僕はデュエットをしない、誰とも」
優は決意をするような、それでいて悲しみを含むようにはっきりと奏に伝えた。奏は目を大きく開け、おおらかに笑った。
「そっか。それでもいいよ。優についていける人はいないだろうしね」
奏は天国に住んでいた人から声をかけられ、話が中断した。
「赤ずきん、行こうか」
優が踵を返し、中神国に向かう。
俺は戸惑いつつ、優の後ろをついていく。
「あ、ああ」
それから天国を出ると中神国に向かい、中神国の交番で働いているモノに挨拶をした。その人は人というより、『鳥』と言ったほうがいいような気がした。見た目は1mほどの大きなスズメだった。でも言葉は理解できるし、話もする。しかも交番のマスコットキャラクター並みに人気ものだった。優からの話によると、腕も確からしい。
俺たちはスズメに話を聞き、軽くパトロールをする。パトロールが終われば刑事課に戻り、報告書を作成して今日の仕事は終わりだった。
俺は報告書を作り、優に確認してもらう。そして確認が終われば優が代表で警視総監のところへ持っていく。その間に明日の仕事内容を確認し、資料を読み込むのが日課だった。
「にしてもあの時の優の反応、おかしかったよな…」
俺は資料を読み込みながら奏がデュエットの話をした時の優の反応を振り返る。誰かを渇望しているような、諦めているような声色だった。
あの時の優は刑事課の優ではなく、1人の男としてあの場にいた気がした。
俺は頭を振り、気にしないことにした。どうせ聞いてもはぐらかされるだろう。今までの優を振り返ると確実に質問を質問で返されて話の内容がそれるのが目に見えていた。
俺は諦めてどうせなら優に赤ずきんとあだ名をつけられた仕返しとしてなにかあだ名をつけたかった。
いつも通り仕事をしながら優にあだ名をつける。
「『ヘラヘラくん』、『天然』、『馬鹿』…」
どれもしっくりこない。
「なにしてるの?」
「うわぁ…!」
俺は驚いて大きな音を出して椅子から降ちる。後ろを見ると優が首を傾げてこちらを見ていた。どうやらひとりごとは聞かれていないようだ。
優は驚かせたという自覚がないのか、はたまた気にしないのか、不思議そうにこちらを見る。
「仕事、終わった?」
「あ、あぁ」
俺は椅子に座り直しながら資料を机にしまう。
「で、どうしたんだよ」
不貞くするように赤ずきんは優のことを観察する。少し大きいのか、袖が長いズボンの袖と膝には少し土がついている。おそらく天国か中神国、もしくは現世で仕事をしていたのだろう。指先の短く切った爪の間に土のようなものが少し入っているし、屈んで何かをやっていたように見える。洋服に何かの動物の毛もついている。
「お前、猫でも追ってたのか?」
赤ずきんは鼻で笑った。
「御名答。中神国で落とし物を探しているものがいてね。探している最中に猫に髪ゴムを取られちゃって大変だったんだよ」
優は少し肩につかない程度に長くしている後ろ髪を触り、笑う。ここでは成長も退化もしないため、専門の美容室で伸ばしたらしい髪は優が動く度に楽しそうにさらりと揺れる。伸ばした理由は詳しくは知らないが、何でも捜査で使うらしい。
「その猫が探していた物を見つけてくれて髪ゴムも返してもらったし、あとで相談課に礼を言いに向かわないと」
「なんで相談課?」
「だってその猫、天警所属だもん」
……猫って警察になれるんだっけ?
優の言葉に赤ずきんはキョトンを通り越して無表情になった。
警察になれる範囲が広すぎるだろ。当たり前のように言う優を見て、俺がおかしいのかと不安になってくるレベルだ。
「赤ずきんも来る?手土産に生魚持って」
「…行く」
俺は迷った末に優についていくことにした。なんなら、象がいても俺は驚かない。たとえそこがペットショップや動物園だったとしても、驚かない。そう、たとえ水族館だとしても。…いや、水族館には猫はいないな。
優はエレベーターに乗り、刑事課の3階上のボタンを押す。到着すると渡り廊下を通り、相談課の建物へ向かう。
相談課とはあまり接点がないため、関わることがなかった。例えるなら、刑事課は地上で働き、相談課は天で働く。俺の中では言葉の通り、天と地の差があった。
相談課に着くと、優は四次元空間につながるバッグから魚を数匹、取り出した。魚は釣ってすぐなのか、キラキラと輝いている。なんだか動き出しそうな感じもする。
もし魚のような見た目の警察がいたら、それは共食いになるんじゃないか、という恐怖は胸のうちにとどめておくことにした。
誰かに見られているような気配を感じて前の優を見ると猫が優の肩に乗っていた。それも不安定な場所で毛づくろいをしながら。
「はい、これ。お礼だよ」
優が指差すと猫は優の肩から降り、魚の近くにひらりと着地した。そして魚の腹をペチペチと叩き、優の方を見た。まるで、「これじゃあ割に合わない」と文句を言っているように。
「僕の髪を解いた礼も入ってるんだよ」
優は皮肉を言い、猫は鼻で笑い、魚を咥えると奥に行ってしまった。
「行くよ」
そう言って優は相談課を出た。俺は優の後ろを急いでついていく。
「次はマグロでも持ってきなさい」
と奥から凛とした女性の声が聞こえた気がした。
赤ずきんは仕事が終わり、自分の家に戻るといつものように手洗いうがいをする。そして私服に着替えてから冷蔵庫を開け、何を作るか考える。
死んでから続くと思っていなかった日常が死後も行えるということに言いようのない不安や焦り、後悔もあるが、今はそれ以上に思った以上に自分はしぶといと言うことを実感した。
食って、仕事をして寝る。そんな誰でもできるのに難しいことをここでも忘れずに続けられることはとても嬉しいと思う。
俺はいつものように晩御飯を作り、やることをやって寝る。少しでも大切な人が幸せに暮らしいてることを願いながら、夢の中に誘われていった。




