第97話:くだけた掛け合い
ルナティアの管理棟空間は、海底に沈んだ神殿のように、静けさと厳かさに包まれている。
薄闇の中、青い発光体が幾つもゆっくりと漂い、その光が柔らかな揺らぎを落としていく。
ここはその中の一室──“案内人スキル室”
この部屋の主であるアンナは、“案内人スキル”の任を担っている。
そして、階級の上がったアンナには、二体の部下が配属されていた。
その二体の部下は、まだかなりの新人のようで──
クリオネのような姿は小さく、耳と手のような突起も短めで丸っこい。
頼りなげな印象の新人たちだが、今は倒れたアンナへ駆け寄り必死に介抱していた。
「……っ、ありがとう……」
アンナは部下の腕を借りながら、ふらつく身体をゆっくりと起こす。
青い光に照らされたその姿には、まだ疲弊の余韻が残っている。
アンナは部下に向き直り、そっと手を添えて労った。
二体はぱっと両手を上げて喜びを表す。
その仕草は幼いクリオネのようで、どこか微笑ましい。
二体の部下は、アンナに“ミコトの魔王道連れ計画”に関する対策会議の結論を伝える。
──“しばらく様子を見ましょう”
管理者フィアナが導き出した結論は、アンナが期待した内容ではなかった。
しかし、アンナは肩を落とさず、むしろ静かに頷く。
(フィアナ様のお考えは絶対です。)
(今は静観するべき時ということですね……)
そう思いながらも、胸の奥に小さな波紋が広がる。
その“様子を見る”とは、具体的にどういうことなのか。
今までのアンナなら──
そこに疑問を抱くことはなかった。
だが、ミコトとのやり取りを重ねた今は違う。
(ミコトさんとミカドさんを見守る……まずは、それが当然です。)
アンナは視線を落とし、胸に手を当てる。
すると、ふと別の考えが浮かぶ。
(……そこに、わたし自身も含まれるのでは?)
過去の歴代勇者との関わりでは、アンナは常に“管理者側”の立ち位置でいた。
勇者を導く存在であり、観測者であるからだ。
だが今は──
ミコトの言葉や態度が、アンナの認識を少しずつ変えていた。
(わたしも……勇者側のはず……!)
それは、ミコトがアンナを“ただのスキル”としてではなく、一人の存在として受け入れている証でもあった。
胸の奥が温かくなる。
(フィアナ様の期待に……応えなくては!)
(そして、ミコトさんの助けにならなくては!)
アンナは小さく頷き、青い光の中で決意を固めた。
アンナは、何か手がかりがないかと“会議の記録”を頭から早送りするように確認していった。
青い光が彼女の周囲を揺らし、思考の速度に合わせて空気が震えるように見える。
二体の部下は、その執念すら感じる勢いに魅入られ、小さな手を胸の前で揃えながら固まっていた。
すると、アンナの動きがふと止まる。
(……今の発言……?)
記録の中に、ひときわ引っかかる言葉があった。
──“それはミコトくんじゃなくても”
(えっ!?……えぇっ!?……)
(なに?……いったいなにが……??)
アンナがワナワナと震える。
(ミコト“くん”!?)
その瞬間、アンナの背中から黒い気配がふわりと漏れた。
二体の部下はビクッと跳ね、両手を上げてのけぞる。
アンナはハッとし、胸に手を当てて深呼吸する。
(……違います。)
(これは……ミコトさんが“くん”か“さん”で呼んでほしいって言っていたから……)
(だから、皆さんが合わせただけ……そういうこと……です。)
確かに、理屈はそうだ。
そうなのだが──
(それにしても……)
アンナは無意識に両手で“×”を作る。
(気安すぎない……?)
アンナはモヤモヤした。
アンナは次に、その言葉の内容に意識を向けた。
──“それはミコトくんじゃなくても”
(……つまり、“魔王を道連れにする”のは、ミコトさんじゃなくても……)
(“他の人がやればいい”ということ……?)
その瞬間、アンナの胸に小さな衝撃が走る。
(確かに……そうです!)
(これは……ミコトさんも気づいていない盲点では……?)
暗い計画の中に、一筋の光が差し込んだように感じた。
アンナの心がわずかに明るくなる。
(これなら……この悲壮な計画に、突破口が……!)
思い立ったら止まらない。
アンナは勢いそのままにミコトへ意識を向けた。
(「ミコトさん!」)
(「その……“魔王を道連れにする任”は、ミコトさんである必要はないと考えます。」)
ミコトが目を細める。
アンナは続けた。
(「現地にも、収納スキル持ちは大勢います。」)
(「魔王と魔王軍本陣を道連れにできるとなれば、希望する方は必ずいます。」)
言葉に熱がこもる。
(これなら……ミコトさんを犠牲にしなくて済む……!)
アンナの声は落ち着いているのに、内側の希望が溢れているのが分かる。
しかし、ミコトの返答はアンナの予想を大きく外れた。
(「そんな恐ろしいこと無理っす。」)
淡々とした声だったが、その芯は揺らがない。
アンナの身体が跳ねた。
(!!!)
ミコトは肩をすくめ、軽い調子で続ける。
(「俺は、人を爆弾にするためにルナティアに行くんじゃないので。」)
その言葉に、アンナの胸が熱くなる。
気持ちの高ぶりを抑えきれず、語気が強まった。
(「我々も、ミコトさんを爆弾にするために、ルナティアに来て頂くのではありません!」)
言い終えた瞬間、アンナの脳裏に──
しまった!
やってしまった!
なぜ……温和で協力的なミコトさんに、こんな言い方を……!
冷たい態度の歴代勇者にすら、こんな強い言葉を向けたことは……
謝らなければ!
──そう、色々な思考がもの凄い速さでよぎった。
その瞬間──
(「それはそうっすねぇ……」)
(「う~ん、ちょっと考えが足りなかった……です……」)
(「ごめんなさい!」)
ミコトは静かに頭を下げた。
アンナの思考が一瞬止まる。
(……えっ……?)
怒られるどころか、逆に謝られてしまった。
胸の奥に、安堵と申し訳なさが入り混じった複雑な感情が広がる。
(「あ、いえ、私も──」)
アンナは言いかけ、“言い方が悪くて申し訳ありません”と続けようとした。
その刹那──
(「ウキュキュキョキュキュ!!」)
(「キュキュキョキュキュ!!」)
(「キュキュキョキュキュ!!」)
突如、心話の場を支配するほどの大音量が響き渡る。
ミカドが、全力で鳴き声を上げていた。
しかも止まらない。
アンナは呆気に取られ、思わず身を固くした。
そして、アンナは──
急に……いったい……!?
この鳴き声は、笑っている時の声だとミコトさんは言っていたはず……
しかし、今のタイミングで笑う内容など……
そして、この声の大きさは……!
主人に無礼な口をきいた私のことを……怒っているのでは……!?
謝らなければ……!
──そう、焦りで思考が疾走した。
その時──
(「で! 君はな〜んで爆笑してるのかなっ! ミカド!!」)
ミコトの鋭い声色が心話の場を切り裂いた。
アンナはビクッと肩を跳ねさせる。
(!!!)
ミカドはなおも、従魔ウィンドウの中で転げ回って鳴き続けている。
心話の場が揺れるほどの勢いだ。
ミコトが初めて声を荒げたのを聞き、アンナの身体は硬直した。
アンナの脳裏には──
ど、どうしよう!
ミコトさんも……怒ることがあるんだ……
私のせいで、ミコトさんとミカドさんが険悪に……!
謝らなければ……!
仲を取り持たねば!
──そう、焦りが胸の奥で渦を巻く。
その瞬間──
(「怒ラレテヤンノ」)
ミカドが、妙に落ち着いた声で言い放った。
次の瞬間、ミコトが吹き出す。
(「ぶほぁっ!」)
(「あっはっはっはっは!」)
(「ウキュキュキュ♪」)
アンナの思考が一瞬止まる。
(!!!)
ミコトは笑い続け、ミカドは尻尾を揺らしながら満足げに鳴いている。
(「そりゃ、怒られるよね。」)
(「俺、なに言ってたんだろうな~」)
アンナはようやく気づいた。
(そういえば……ミコトさんの怒り方は、若干癖がありました……)
(つまり、怒っていたのではなく……)
(先ほど学んだ“キレ芸”というテクニック……?)
ミコトとミカドが、乱暴な言葉を交わしながらも笑い合っている姿を見て、アンナは静かに理解した。
(お二人は……こうしてじゃれ合えるほど、打ち解けた関係なんですね……)
胸の奥にあった緊張が、ふっとほどけていく。
青い光が揺れ、アンナの影が静かに落ち着きを取り戻した。
ミコトとミカドが笑い合う姿を見ながら、アンナの胸にふと懐かしさがよぎった。
(思えば……歴代勇者の一行も、こうしてよくじゃれ合っていましたね……)
記憶の奥から、にぎやかな光景が浮かび上がる。
特に9代目ラシュア様の勇者一行は──
…乱暴な言葉を投げ合い、
…相手の頭を軽くはたいたり、
…蹴ったり、肘で突いたりと、
とにかく賑やかで、くだけた掛け合いばかりだった。
アンナはその輪の外側で、いつも静かに見守るだけだった。
(あの頃の私は……ただの観測者でしたね……)
勇者たちの笑い声、軽口、じゃれ合い。
その中に立つことはなく、ただ淡々と記録し、必要な時に情報を提供するだけ。
青い光が揺れ、現在のミコトとミカドの姿が重なる。
(でも今は……少し違う気がします……)
アンナの胸に、ほんのりと温かいものが灯った。




