第95話:予期せぬ起こされ方
ルナティアの管理棟空間──
海中のように薄暗く、“青い発光体”がゆらゆらと漂う。
東京の『某ドーム球場』を思わせる広さの大広間に、管理者フィアナの取り巻きたち──代理職と幹部職の全員が集まっていた。
いつもなら、クリオネのような姿でふわふわと浮かんでいる彼ら。
だが今は、全員が床にぐったりと横たわっていた。
ミコトが短い睡眠に入ったことで、ようやく訪れた束の間の休息だった。
ルナティア史上、最も長い一日。
その余韻が、空間全体に重く沈んでいる。
「なんて日だ!」
「うふふふふ……あはははは……ひひひひひ……」
「こわい! こわい!」
「うぅ……ガクッ……」
「……ここはどこ……?」
「すべてが歪んで見える……」
「一年ぐらい経った気がする……」
「体感では……そうですね……」
「実際は六時間ぐらいですぅ……」
「誰か“ガクッ”って口で言った?」
「ミコトさん……どうぞ、ごゆっくり……」
──そして
「あとは準備だけ……」
「さすがに明日はこんなことは……」
──しかし、それはあまりにも甘い考えだった。
数時間後。
ミコトは微睡の中で、懐かしくて、大好きな声を聴いていた。
(「ピルピルピルッ♪」)
(キング、今日も元気だね……おはよう……)
朧げな意識の中、ミコトは目を閉じたままゆっくりと微笑む。
(いい夢だ……でも、本当にまた会えるから……)
(「ウヒュヒュヒュ~♪ ウヒュヒュヒュ~♪」)
届いたその声が、夢の中のものとは違う“生々しさ”を帯びていた。
(……え?)
胸の奥で何かが跳ねる。
(夢じゃない!?)
ミコトは布団を弾くようにして、勢いよく飛び起きた。
「キング!?」
ミコトは飛び起き、反射的に視線を向けた。
視界の隅に浮かぶステータス画面の“従魔ウィンドウ”──そこには、かつて“キング”と呼んでいた従魔“ミカド”の姿が映っている。
(「ウキュキュキョキュキュッ♪」)
(えっ……? 声が……聞こえる……?)
ミコトは息を呑んだ。
これまでミカドは“映像として姿が見えるだけ”で、声のやり取りはできなかった。
従魔ウィンドウの中に存在しているため、触れることもできない。
だが今──
そのミカドの声が、はっきりと頭の中に響いている。
(「ミコト」)
(「!!」)
(「!!」)
ミコトとアンナの思考が一瞬止まる。
(「キング……喋れるの!?」)
(従魔が言葉を話すなんて……!)
ミカドは、ウィンドウの中で胸を張るように前足を上げた。
(「ウン」)
(「我ハ、ミカド」)
(「あ……そうだった!」)
ミコトは思わず笑みをこぼす。
(「ミカド、新しい名前……どう?」)
(「気ニイッタ」)
(「名前、似テル」)
(「そうそう、そうなんだよ! ミコトとミカド。」)
ミコトの声が弾む。
(「良かった……気に入ってもらえて。」)
(「ミカド……帰ってきてくれてありがとう!!」)
(「オウ!」)
従魔ウィンドウの中で、ミカドはふっくらと丸くなり、目を細めた。
触れられない場所にいるのに── 掌が覚えている“あの柔らかな温もり”が、ふっと蘇った。
ミコトはウィンドウに映る小さな姿へ顔を寄せて微笑んだ。
(「しかし……喋れるの、本当にすごいね。」)
(「ウン」)
(「ミカド、頭良かったもんな~」)
(「ソレ、ミンナ、毎日言ッテタ」)
ミカドは前足をちょこんと上げ、誇らしげに胸を張る。
(「うんうん、驚いたり、感心したりしてね~」)
ミコトは目尻を緩めながら、あの頃の記憶を辿る。
(「そういえば……たまに俺の名前、言ってたよね?」)
ミコトの脳裏に、かつての小さな鳴き声が蘇る。
──“ピキョト”
あの独特の音が、完全に“ミコト”のイントネーションだったことを思い出す。
(「ウン、言ッテタ」)
(「やっぱり! 家族みんなで、絶対にそうだって言ってたんだよ。」)
ミカドはウィンドウの中で小さく頷いた。
しかし──ミコトの胸には、純粋な喜びだけではない影が落ちていた。
自分の衝動的な行動で、ミカドを巻き込んでしまったこと。
そして、あの計画。
思い返すと、胸の奥が重くなる。
(……ごめん、ミカド。)
そんな言葉が喉元まできていた。
そのとき──
(「ヨシヨシ」)
(……え?)
ミコトは思わずウィンドウを覗き込む。
(「ヨシヨシ」)
(……ミカドは、優しいね。)
ミカドは、何かを察しているのか──
従魔ウィンドウの中で小さな前足をそっと上げ、頭を撫でるような仕草をしていた。
ミコトはふと、アンナの気遣いに思い至る。
(「アンナが声──じゃなくて“心話”を繋げてくれたんだよね?」)
(「はい。心話だけなら可能でしたので……映像までは無理でしたが。」)
(「いやいや、十分だよ。ありがとう!」)
(「アンナ、イイヤツ」)
(「いえ。どういたしまして。」)
アンナの声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
それは、ミコトとミカドのことを想ってのこと。
そして、もうひとつ──“ある思惑”のためでもあった。
従魔は、言葉を話せなくても、主の言葉を理解する。
その性質を踏まえて、心話を繋げたのだ。
まさかミカドが“話せる”とは想定外だったが──
それは、アンナにとってさらに都合の良い展開だった。




