第93話:高速思考(1)
ルナティアへ転移する準備は、静かに、そして着実に進んでいた。
しかし、ミコトはふと手を止める。
胸の奥に、ひっかかるような違和感があった。
(……こちらの世界の道具を持っていっても、咄嗟に使いこなせる気がしないな。)
スマホ、光学機器、工具── 便利なものはいくらでもある。
だが、危機の瞬間に冷静でいられる保証はない。
物語でよくある、“刹那の判断で最適解を導き出す主人公”。
だが現実は、そんなに都合よくはいかない。
焦り、混乱、判断の遅れ── 人間の脳は、極限状態でこそ脆い。
(瞬間的に深く考えられる……そんなスキルがあればいいんだけどな……)
ミコトは眉を寄せ、天井を見上げた。
静かな部屋に、思考だけが速く流れていく。
時間停止スキル── それは、最初から“絶対に無理”と理解している。
世界の根幹に触れる力は、ルナティアの管理者側が許すはずもない。
(でも……“高速思考”なら、どうだ?)
思考だけを加速させる。
身体はそのままでも、判断の速度が上がれば、危機回避の精度は段違いになる。
そして──
ミコトには、その“高速思考”を“疑似的に実感した経験”があった。
ミコトの脳裏に、幼い日の記憶がふっと蘇る。
古いパソコンの前で、友人三人と肩を寄せ合い、キーボードを囲んで遊んだあの“シューティングゲーム”。
(……懐かしいな)
ゲームが得意な友達がプレイして、ついにラスボス直前のステージまで辿り着いた。
だが── そこからが地獄だった。
四方八方から押し寄せる敵の弾幕。
容赦のない攻撃が延々と続き、画面はほぼ“弾”で埋まる。
「無理だこれ!」
「避けられねぇって!」
「これパターンないよね~」
「覚えて避けるのも無理かー」
子どもたちの叫びが部屋に響く。
何度挑んでも“ゲームオーバー”の赤い文字が無情に光った。
そんな時だった。
熱くなっていたせいか、誰かの指がふいにキーボードの『Esc』キーに触れた。
── ピタッ。
画面が止まった。
「え、これ……ポーズできるの?」
「今なに押した?」
「たぶん、Esc……?」
もう一度『Esc』キーを押すと、画面が動き出す。
この時、ミコトたちの目が輝いた。
それをズルだと、皆分かっていた。
だが、もう“クリアすること”しか頭になかった。
「よし、ポーズ!」
「次、右上に抜ける!」
「その後は、ちょっと待って上か?」
「ここだ、止めろ!」
弾幕の隙間を余裕をもって、数手先まで読みながら進む。
高速で動く自機も、ポーズを挟めば思い通りに操れた。
ゲーム側からすれば、急にプレイヤーが“素早い思考”と“精密な操作”をし始めたように感じただろう。
そして──
一発で、あっさりクリアしてしまった。
「やったああああ!」
「マジかよ!」
子どもたちの歓声が、狭い部屋いっぱいに弾けた。
ミコトはその光景を思い出し、口元に小さな笑みを浮かべる。
(……あの時、俺は知ったんだよな。)
(“連続して素早く判断し続ける”ってことが、どれだけ難しいか。)
あのゲームの弾幕は、ただの遊びだった。
だが、判断の連続は現実でも同じだ。
一瞬の遅れが、生死を分ける場面だってある。
だからこそ──
高速思考は、ただ便利なだけではなく、異世界で活躍するのに“必要な力”だと、ミコトは確信していた。
ミコトは、『案内人スキル』であるアンナに意識を向け確認する。
(「アンナ、新しいスキルって……提案したら作れるよね?」)
(「はい、承れます。」)
アンナは即答したあと、少しだけ言葉を足す。
(「ですが、なんでも実現できるわけではありません。」)
(「うん、それは分かる。」)
ミコトは頷きながら、思いつく“無理そうなスキル”を並べていく。
(「人を生き返らせるとか、時間を止めるとか、戻すとか……予知、瞬間移動、不老不死、とか?」)
(「はい、その通りです。」)
(「ミコトさんの洞察力はさすがです。」)
(「いま挙げられたものは、すべて却下上位に入っています。」)
(「やっぱりか~」)
(「他には、“他者の心を読む”も禁止されています。」)
(「これはフィアナ様でも不可能です。」)
(「なるほど。」)
(心話はできても、記憶や思考までは読めないってことか……安心した。)
アンナは続ける。
(「不要と判断されて却下されたスキルも多々あります。」)
(「“太らない”、“日焼けしない”、“異性の好意を惹ける”などです。」)
(「あ~、要望ありそうだね、それ……」)
(「“寝癖が一生つかない”、“靴下に穴が開かない”などもありました……」)
(「あははは」)
ミコトは笑って返したが、その2つはちょっと欲しいと思った。




