第92話:魔王ガン無視計画(2)
ミコトは座椅子の背にもたれ、静かに言葉を紡いだ。
(「すべてのレジストって……母星ヤマトに存在して、ヤマトの生命にしか害を与えないはずだよね。」)
(「は、はい……それは、その通りです。」)
(「だったら、レジストを倒すんじゃなくて……“逃れる”っていう手もあるかなって。」)
アンナは一拍置いてから、慎重に返す。
(「ですが……宇宙に飛び立つような技術は、ルナティアの人類には到底ありません。」)
(「まだ海を越えることすらできていない状況です。」)
(「そして、こちらの世界でも宇宙進出は、まだ初期段階の認識ですが……」)
アンナの声は困惑に揺れていた。
ミコトはその言葉を遮るように、ゆっくりと身を起こした。
(「それが──」)
(「こちらの世界より、ルナティアの方が宇宙進出は容易だと思うんだよ。」)
アンナは、また完全に固まった。
(「???」)
アンナには、ルナティアの人類が宇宙へ行くなど、想像すらできない。
だがミコトの思考は、すでに遠い空の向こう側に行っていた。
ミコトは、ゆっくりと言葉を紡いだ。
その声音には、どこか講義のような落ち着きと、少年のような高揚が混ざっていた。
(「こちらの世界の宇宙進出の最大の障害って……“物資を宇宙に届けるのが大変”ってことなんだよ。」)
(「ロケットっていう宇宙用の船があって、そこに物資と、その何十倍もの重さの燃料を積む。」)
(「で、その燃料を燃やして、炎が噴出する力で飛んでいくんだけど、燃やす制御がとても難しいんだ。」)
ミコトの表情がわずかに曇る。
(「それが、かなりの頻度で失敗しててね……」)
アンナは言葉が出ない。
自分の世界では想像もつかない危険が、ミコトの言葉の端々に滲んでいる。
だが、ミコトはすぐに表情を明るくした。
(「でも── ルナティアには収納スキルがある。」)
(「物資の重さも、燃料の重さも……全部“気にならない”。」)
ミコトは少し身を乗り出し、瞳を輝かせた。
(「だから、こちらの世界よりずっと安全に、しかも“簡易な船”で宇宙に行けると考えてる。」)
アンナは固まったまま、ミコトの姿を目に留めていた。
(「……か、簡易な……船で……宇宙……?」)
その声は震えていた。
アンナの声が、微かな震えを残してミコトの頭の中に届いた。
(「その……。その燃料を燃やす制御に失敗すると、どうなるのでしょう?」)
(「それは、宇宙用の船ごと爆発して、全部が失われてしまうね。」)
ミコトは座椅子の背もたれに体重を預けながら淡々と答えた。
今の彼の頭には、過去のロケット事故の悲劇は一切浮かんでいない。
その脳裏に描いているのは“ルナティアで自分が挑む計画のイメージ”だけだ。
(「ひ、人が乗っていれば……人も、でしょうか?」)
(「それは── そうだね、うん。」)
だからこそ、ミコトはまるで天気の話でもするような調子だった。
(「でも、収納スキルがあれば、物資や燃料の重さはなくなるし、引火しないように制御する必要もないはずなんだよ。」)
(「収納スキルから、燃料を必要なだけ少しずつ取り出せばいいから。」)
(「すべてのレジストを無視できるなら、やる価値はあるんじゃないかなって。」)
アンナは、はっきりと震える声で問い返した。
(「……他に危険は……ないのですか?」)
ミコトは少し考えるように天井を見上げる。
(「そうだねぇ、月── じゃなくて“母星ヤマトの衛星”や、“他の星”に辿り着かないといけないんだけど……」)
(「あれらは物凄い速さで動いてるから、上手く近づかないと、衝突して粉々になるとか。」)
(「あとは── 何にも辿り着けないで、宇宙を漂うとかもありえそう。」)
しばらく沈黙が落ちたあと、アンナが恐る恐る声を絞り出す。
(「……その船には……ミコトさんが乗るのですよね?」)
(「うん、もちろん。」)
(「高度な計算が必要だし、細かい調整も都度必要だと思うから。」)
ミコトは軽く笑うような声で言った。
アンナは耐えきれず、最後の質問を投げる。
(「し、失敗したらミコトさんは……?」)
(「それは、まぁ……生きるか死ぬかのどっちかかなぁ。」)
ミコトは他人事のように答えた。
アンナは完全にフリーズした。
ルナティアの管理棟空間の大広間で、アンナの声とミコトの話を聞いていた者たちも──
全員が、息を呑んだまま動けなくなっていた。
彼らにとって宇宙とは──“何もない暗闇の空間”。
底の見えない深淵であり、まだ生命が踏み入るべきではない場所。
レジストが存在していても、母星ヤマトは“生命のゆりかご”だ。
そこから離れるという発想自体が、今の彼らの認識には存在しない。
だからこそ、彼らは勝手に解釈していた。
「……なぜ、急に宇宙……?」
「……何て恐ろしい……」
「ルナティアの人類のために、そこまで!?」
「なんて覚悟だ!」
「ミコトくん、ま、また無茶を……」
「止めるべきだ……いや、止められるのか……?」
しかし、同時にこんな声も漏れていた。
「表情が……?」
「……悲壮感がない。」
「えっ? あれっ?」
「ミコトさんの瞳が輝いてる!」
「うっすらと……狂気めいて……」
「……覚悟じゃない?」
「ひぃっ!」
「あぶない!あぶない!あぶない!」
「ミコトさん、気を確かに!」
すると──
ミコトは突然、軽く頭を前後に揺らしながら、鼻歌を漏らした。
「うっちゅっう♪ うっちゅっう♪」
その瞬間──
管理棟空間の大広間に、悲鳴が響き渡った。
ルナティアの管理者サイドは知らなかった。
こちらの世界では、“危なくても宇宙に行ってみたい”と思う人が、意外と多いということを。
ミコトは呟きながら身を乗り出す。
その姿は、未知へ挑む準備を始めた少年のようだ。
「そうか……一発で成功しないといけないか。」
「それに、こちらで色々と用意して行って成功したとしても、一回では宇宙にちょっと出るだけで終わってしまう。」
ミコトは片手で顎を支え、もう片方の手でワイヤレスマウスを軽快に操る。
「現地で継続して運用できなきゃ意味ないよな。」
「理想は、知識だけを持ち込んで、現地で必要なものを全部用意すること。」
その声には、確信めいた熱が宿っていた。
「技術知識、軌道計算方法、観測方法……この辺りは絶対必要で……」
「燃料は── 水を電気分解した、酸水素ガスでいけるはず……」
「現地で多くの人に協力してもらって……」
彼はブツブツと呟き続ける。
「新しいスキルを申請する検討も……」
「たとえば……複数人で共有できる収納スキルとか……」
ルナティアの管理者サイドが怯える“宇宙”という言葉が、ミコトの中では完全に“夢”へと変わっていた。
アンナは、そっとミコトの様子を伺っていた。
そして、彼がふと手を止めた瞬間、静かに問いかける。
(「……ミコトさん。」)
(「結局、その……宇宙の件は……」)
ミコトは軽く笑った。
(「う~ん、現地で色々と検討してからになるかな~」)
(「焦っても仕方ないし、準備はゆっくりやるよ。」)
(「今は専門知識を集められるだけ集めてる。」)
その言葉が落ちた瞬間、アンナの気配がふわりと緩む。
(……よ、よかった……当面はミコトさんの“行き過ぎ対処”を考えずに済みます……)
ルナティアの管理棟空間の大広間にも、静かな安堵の波が広がっていく。
宇宙という深淵の話題は、ひとまず棚上げされた。
しかし──
ミコトは、星の向こうを見つめるような瞳で、次のアイデアを静かに温めていた。




