第90話:昇格
落胆の影に沈んでいたミコトは、しかしすぐに顔を上げた。
その瞳に、ふっと光が戻る。
(……いや、待てよ。)
胸の奥で小さく息を整えながら、ミコトは自分の思考を振り返る。
(子供とはいえ、……身長150cm以上はあるんだった。)
(小柄な人用とか、女性用のサイズなら……)
視線がノートPCのライダー用プロテクター画像を辿り、ミコトは眉を上げた。
(子供って言葉に引っ張られすぎてた……)
(……あービックリした!……あ〜怖っ……)
ミコトは深く息を吐き、胸に手を当てた。
そんな風にミコトが独り相撲で目を血走らせていた頃──
アンナは、別のおすすめ動画を淡々と確認していた。
(「“押すな”と言っているのに、押したら怒るのは当然ですね……」)
案内人スキルという“声だけの存在”が、静かに分析を口にする。
ミコトは座椅子を揺らしながら、画面を横目で見た。
(「それがね、そうでもないんだよ。」)
(「そうなのですか?」)
アンナは映像にしばし集中する。
(「…………」)
(「……押さなくても怒るのですね……」)
ミコトは思わず笑い、肩を揺らした。
(「うんうん、それ凄く好きなやつ。」)
(「最初に見た時は、めちゃめちゃ笑ったよ。」)
(「私も、とても意外で面白く感じました。」)
アンナの声は、どこか嬉しそうだった。
(「これも一つのお約束なのですね。」)
ミコトは軽く頷き、画面に視線を戻す。
(「そうそう。まさに“お約束”ってやつ。」)
アンナは静かに理解を深めていく。
ミコトはライダー用プロテクターのページを次々と開き、画面に顔を近づけていた。
スクロールする指先が止まり、目が丸くなる。
(……子供用もあるんだ。)
(モトクロスとか競技用なら、普通にあるのか……)
画面を切り替えながら、真剣な眼差しで比較を続ける。
しかし、しばらくして肩が落ちた。
(種類は少ないし……逆に小さすぎるなぁ。)
ミコトがそんな結論にたどり着いた頃──
アンナは次の動画へ進んでいた。
静かな声が、ミコトの思考に割り込む。
(「この話は、“おかん”という人と、“おとん”という人の、どちらかが嘘を付いていませんか?」)
ミコトは吹き出しそうになりながら、画面に目を向けた。
(「そこに気付くとは! まず、“おかん”はお母さん。“おとん”はお父さんのことね。」)
(「そうなのですね。」)
(「で、俺の知ってる限りだけど――」)
(「おかんは“だいたい正しいこと”を言ってて、おとんは嘘というか……かなり適当に“もう言ってるだけ”みたいなとこがありそうなんだよ。」)
(「だから今回も“おとん側が怪しい”と、俺は睨んでるよ!」)
(「は、はい、なるほどです。」)
アンナは一拍置き、急に声を張った。
(「あ〜りがとうございます!」)
(「あはははっ」)
ミコトは堪えきれず、声を出して笑った。
ミコトは座椅子を引き寄せ、通販サイトの注文画面を開いた。
画面の光が瞳に映り、指先が忙しなく動く。
(身長152cmなら……男性用Sサイズでいけるはず。)
しかし、すぐに眉が寄った。
(でも……子供の体って、腕とか足は細いよな。)
(男性用Sでも、かなり余るかもしれない……)
(なるべくフィットさせたいし……腕と足は女性用にするか。)
決断すると、ミコトは軽く息を吐いた。
画面をスクロールしながら、上半身の項目に目を移す。
(逆に上半身のは……女性用だと合わなさそうだな。)
(よし、肩と胸と背中は男性用Sサイズで。)
カートに商品が次々と追加されていく。
ミコトの表情には、先ほどまでの焦りはもうなかった。
アンナが観ているスマホでは、再生リストの動画が静かに次の映像へと移り変わっていく。
スマホから軽快な笑い声が流れ、画面の光がミコトの横顔を照らしている。
(「履いているのに……本当に履いてないように見えます。」)
アンナが、静かに感想を述べた。
ミコトは軽く体を揺らしつつ、口元を緩める。
(「ホントにね〜。そして、決めセリフが上手いよね。」)
アンナは映像を再確認し、少し間を置いてから続けた。
(「確かに……この大勢の前ですべてが露わになるのは、とても危険です。」)
その瞬間、ミコトは腹筋を押さえた。
(「ぶふっ……!」)
噴き出した笑いが止まらず、肩が震える。
アンナは真剣そのものの声で、ただ静かに動画を解析していた。
ミコトがプロテクターの注文を終え、一息ついた頃──
アンナが、また静かに声を落とした。
(「この方は……言い方が特徴的ですね。」)
(「とても応用が利きそうです。」)
ミコトは画面から目を離し、口元を緩めた。
(「それがね、その人は元々“笑いを取るのを売りにしてる人”じゃないんだよ。」)
(「えっ、そうなのですか。」)
ミコトは頬をかきながら、少し笑った。
(「うん。不意にやったことが思った以上にウケて……本人も意外だったらしいよ。」)
(「そこから周りに求められて、今のスタイルに繋がったんじゃないかなぁ。」)
(「そうなのですね。」)
(「ここまで自在に応用されていて……私にもできそうなほどでしたので、意外でした。」)
ミコトは楽しげに身を乗り出した。
(「おっ、やってみる?」)
アンナは一拍置き、慎重に前置きをした。
(「それでは、先ほど良い知らせがありましたので。」)
(「いいね! ぜひぜひ。」)
静かな空気が満ち、アンナの声がゆっくりと溜めを作る。
(「では──」)
(「ん~~! しょうかく~~!!」)
ミコトは座椅子から滑り落ちそうになりながら、満面の笑みで応えた。
(「おー! バッチリ! 使えてる! 使えてる!」)
(「ありがとうございます!」)
アンナの声は、とても嬉しそうに揺れていた。
その時、ルナティアの管理者サイドでは──
淡い光をまとい、ふわりと漂う大広間の幹部数人は、やっと可笑しさが収まり、ようやく呼吸を整えていた所だったが──
アンナの不意打ちを食らって、またぴちぴちとのたうち回り始めた。
同じく、自室で一息ついていた管理者フィアナも、その声を聞いた瞬間──
その不意打ちに、また人知れず震えていた。
ミコトは、満面の笑みで声を上げた。
(「え、昇格!? おめでとう!」)
(「ありがとうございます!」)
(「これもミコトさんのお知恵のお陰です。」)
アンナの声は、とても柔らかかった。
しかし本来、アンナはかつてフィアナに次ぐ、ルナティアの管理者サイドの“第二席”。
代理職の筆頭という、特別な位置にいた存在だ。
そこから一般職にまで落ち、今回ようやく“中間職”に戻っただけ── 本来なら祝うような話ではない。
だがミコトはその事情を知らない。
そしてアンナも、ミコトの祝福を素直に受け取り、少しも気を悪くしていなかった。
ミコトは照れたように手を振る。
(「いえいえ、とんでもない。」)
(「それはアンナだからだよ。」)
(「そうなのですか?」)
ミコトは背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。
その表情はどこか懐かしさを帯びている。
(「うん、最初に“詳しいことは案内人スキルに聞いて”って書いてあって……」)
(「実は、どんな相手か不安だったんだよ。」)
ミコトは視線を戻し、微笑んだ。
(「でも、アンナは話しやすいし、配慮も信頼感もあるし……」)
(「話してて楽しいから、ホントに良かったよ。」)
(「ありがとうございます、ミコトさん。」)
アンナの声は、ほんの少しだけ震えていた。
それは、嬉しさが静かに滲んだ音だった。
(「今後ともよろしく。」)
(「こちらこそよろしくお願いします。」)
部屋には、柔らかな静けさが満ちていた。
アンナは、ひとつの不思議さを胸に抱いていた。
(ほんの一言、ミコトさんを称えたら、なぜか私の方が何倍も褒められてしまいました。)
ミコトとの関わりは、振り返ればいつも予想より明るい。
声だけの存在である自分に向けられる言葉は、どれも柔らかく、配慮や敬意を帯びていた。
対照的に、かつての勇者たちとのやり取りは、振り返れば予想より暗く、重く、沈むものが多かった。
アンナはふと、胸の奥に微かな痛みを覚える。
(もし、ミコトさんが平穏な境遇で過ごせていたなら……)
きっと、多くの人の輪の中で、自然と中心に立ち、光を放つ人生を歩んでいたのだろう。
そんな未来が容易に想像できてしまうほど、ミコトの人柄には惹かれる明るさがあった。
そして──
かつて勇者たち全員と交わした“数十年分の会話”よりも、
ミコトと過ごした“たった数時間”の方が、
すでに多く言葉を交わしていることに、アンナは気付いていた。
~今回取り寄せたもの~
……ライダー用プロテクター肘前腕一体(女性用):1
……ライダー用プロテクター膝すね一体(女性用):1
……ライダー用プロテクター肩(男性用Sサイズ):1
……ライダー用プロテクター胸(男性用Sサイズ):1
……ライダー用プロテクター背(男性用Sサイズ):1




