第88話:魔王高齢化計画
いつものアパートの一室。
ミコトは腕を組み、難しい顔のまま、視界にふわりと浮かぶステータスウィンドウを凝視していた。
(魔王って……勇者に相対して生まれるんだよな?)
眉がわずかに動く。
(じゃあ……勇者が高齢だったら?)
(高齢の魔人から魔王が生まれる……?)
その時、窓の外で野良猫が鳴いた。
いつもなら覗き込んで姿を探すところだが、今のミコトは完全に思考の渦中だった。
(転移時に年齢を80歳まで進められるようだけど……)
(それって俺の寿命なのか? それとも、そこからまだ生きられるのか……?)
胸の奥で、妙な不安と好奇心が入り混じる。
ミコトはステータスウィンドウに視線を固定したまま、案内人スキルであるアンナへ“心話”で問いかけた。
(「アンナ、80歳って……俺の寿命なのかな?」)
(「いえ、ミコトさんのお身体の構成から、問題なく健康でいられる上限年齢が80歳と算出されています。」)
(「おぉ!」)
ミコトは思わず声を漏らし、背筋を伸ばした。
(「なら、そこからまだしばらくは生きられそうだね!」)
(「はい、その通りだと認識します。」)
アンナの落ち着いた声が、ミコトの思考に静かに染み込んでいく。
ミコトは腕を組んだまま、思考を深めていく。
(……もし魔人の寿命が80歳より短かったら、魔王と戦わずにして“寿命で勝てる”んじゃない?)
自分で考えておきながら、僅かな狂気を覚えつつ、アンナに問いかける。
(「アンナ、魔族……いや魔人の寿命ってどれくらいか分かる?」)
(「??」)
アンナは、ミコトの質問の意図を読み取れなかったが──
それでも答えるのが役目だった。
(「……魔人の寿命は確認されていません。」)
(「そっか、ありがとう。」)
(「じゃあ、勇者が80歳だったら……魔王も80歳になるのかな?」)
(「!!」)
アンナの返答が一瞬止まった。
ミコトが何を考えているのか悟ったのだ。
(「……高齢の魔人が選ばれる可能性は……高いと推測します。」)
(「……しかし、年齢まで相対するかどうかは……確証はありません……」)
それは、どこか怯えたような、慎重すぎるほど慎重な声だった。
魔人の寿命は不明。
勇者と魔王の年齢が相対する確証もない。
(……リスク高すぎるか?)
ミコトは一度、諦めかけた。
だが、次の瞬間には別の考えが閃く。
(いや、“あの最後の手段”がある……)
(こっちだけ高齢になっても……なんとかなる……)
胸の奥で、不穏な決意が弾けた。
(やってみる価値はある!)
ミコトはステータス画面の年齢を『年齢:80』に設定し、今にも『確定』ボタンを選択しようとしていた。
その頃──
ルナティアの管理者サイドは、慌てふためいていた。
海中のように薄暗く、“東京の某ドーム球場”ほどの広さを持つルナティアの管理棟空間の大広間。
そこに管理者フィアナと取り巻きたちが、緊急招集で集まっていた。
「なぜ年齢が進められるのか!」
「まさか進めるなんて、思いもよらず……」
「なら必要ないじゃん……」
「それだと、システムとしての美しさが……」
「ミコトくんが短命に!」
「ミコトさんの瞳に感情がない……」
「やばいやばいやばい!」
「時間をくださーい!」
「誰か、ミコトくんって言った?」
会議は、荒れに荒れていた。
ルナティアの管理者サイドから、アンナへ緊急の指示が届いた。
『時間を稼いでください!』
だがアンナは、静かに首を振った。
(……時間稼ぎは不要です。)
(ミコトさんの気を変える妙案があります。)
そして、アンナは穏やかな口調でミコトに話しかける。
(「ミコトさん、一度、年齢を戻してみてください。」)
(「えっと?……はい。」)
ミコトは少し戸惑いながら、年齢を“15歳”まで戻してみた。
(「スキルポイント……SPを確認してみてください。」)
(「少し増えているはずです。」)
(「……確かに。」)
アンナは自信を持って説明する。
(「身体的能力が低下する分、SPが増えるように調整されているのです。」)
(「なるほど〜」)
しかし、ミコトは── その点にはすでに心当たりがあった。
(「いや、でも……」)
そう呟きながら、ためらいもなく年齢を“80歳”へ進めてみる。
(「??」)
(「……やっぱり、年齢進めてもSP増えるよ。」)
(「!!」)
アンナは驚愕した。
その妙案は、見事に外れてしまった。
年齢を戻す方──年齢を進める方──それぞれ、ある年齢を境に“1歳につき1SPが加算される”仕様らしい。
アンナは苦々しく胸の奥で叫んだ。
(なぜ……なぜこのような処理が設けられているのですか!?)
(こんな年齢を進める方の動作は……要件になかったはず……!)
ミコトはステータスウィンドウを軽快に操作しながら、年齢を次々と変えていく。
(「10歳だと10SP……80歳だと30SP増えるんだね、なるほど。」)
(「で、ですが! 10歳なら身体的能力はやがて伸びますし……長生きもできますよ!」)
(「そっすねぇ……」)
アンナは必死に訴えたが、ミコトの返事には気持ちが入っていなかった。
その頃、管理者フィアナは──
(……ミコトさんが高齢で、すぐにこの世を去るのなら……)
(ルナティアで家族や親友ができる可能性は低い……?)
(それなら……私は裏切り者にならずに済む……?)
ほんの一瞬。
胸の奥に、そんな考えがよぎってしまった。
次の瞬間、フィアナは身を震わせる。
(……なんてことを……最低です……)
自己嫌悪が、冷たい波のように押し寄せた。
心は海に投げ込まれた石のように、音もなく沈んでいく。
人知れず、どこまでも、どこまでも。
ミコトは、今度は年齢を“若くする”方向へ意識を向けた。
(逆に……若すぎたら魔王ってどうなるんだ?)
そう呟きながら、年齢を10歳以下にしようと試してみる。
(「……あ、10歳以下にはできないのか。」)
(「10歳未満ですと、贈呈される“生活スキル”が揃わないこと。」)
(「そして脳の仕組み上、現在の思考力が保てなくなります。」)
(「そのため……10歳が下限になっています。」)
アンナの声は、少しだけトーンが落ちていた。
(「なるほど。」)
(「自分が自分じゃなくなってしまうと……それはナシだね。」)
ミコトは軽く頷き、思考を続ける。
(魔人って、人類より成長早そうだし……若くしても弱体化は望めないか?)
(でもまあ、念のため聞いておこう。)
(「アンナ、10歳だと、魔人ってどんな感じ?」)
(「魔人は……少々お待ちください、確認します。」)
(「はーい。」)
アンナは本当はすぐに答えられた。
だが“正確な情報か確認する”という体で、わざと時間を稼ぐ。
その頃、ルナティアの管理者サイドは──
「ナイス!」
「うまい!」
「なんて機転だ!」
「時間稼ぎ成功!」
大広間に歓声が響き渡っていた。
アンナの返答を待つ間、ミコトは年齢を変えたときの身体情報を、ひとつずつ確認していた。
(でも、身長が低いのは目立たなくていいかもね。)
(ルナティアの人間“ヒトネ”の成人男性の平均身長は155cmだったっけ。)
(俺は10歳のときで152cmと……13歳ぐらいから、目立つ背の高さになってしまうのか。)
ミコトは“身長によるステルス性”にも興味を向け始めていた。
(平均より低い方が警戒されなくて良さそうだよな……)
しばらくして、アンナの声が静かに届く。
(「魔人は……えー……」)
(「魔人の幼体は……これまで確認されていないようです。」)
(「そのため……生まれてすぐに戦闘可能な状態であると……推測されています。」)
(「そっか、やっぱり若い方で魔王を弱体化させるのは無理かぁ……」)
アンナは、知っている内容を“確認しているふり”をしながら、わざとたどたどしく伝えた。
その瞬間、ステータスウィンドウがふっと勝手に閉じた。
「……あれ?」
ミコトが眉をひそめる。
(「申し訳ありません。開き直します。」)
アンナが冷静にウィンドウを再表示する。
すると、年齢の表示はミコトの実年齢である“25歳”に戻っており── 上の『▲』ボタンだけが灰色になっていた。
「……あれ?」
ミコトは『▲』ボタンを押してみるが、年齢は進まない。
試しに年齢を一つ下げてみると、灰色だった『▲』ボタンが黒色に戻り、25歳までは進めるようだった。
(「今の年齢以上には進められなくなっちゃってる?」)
(「はい……年齢を進められたのは、制御漏れだったようです。」)
(「ただいま、修正が行われました。」)
(「お手間をおかけして申し訳ありません。」)
アンナが静かに告げる。
(「なるほど! バグなら仕方ないね。」)
(「了解~」)
ミコトはあっさり受け入れた。
アンナは胸を撫で下ろすように、そっと安堵の息を漏らした。




