第87話:現代防具
ミコトはキーボードに置いた指をそっと止め、画面を見つめた。
控えめな照明光の部屋に、液晶の白い光が煌々と浮かんでいる。
自分が建てた“某匿名掲示板”のスレッド── 通称“自スレ”。
そこに寄せられた有益な情報へのお礼と、それをすでに手配した旨を書き込むと、画面の向こう側が少しだけ近く感じられた。
「……武器と防具、か」
ミコトは椅子にもたれ、天井を見上げる。
自スレには、転移前の準備として“武器と防具は必須”という書き込みが散見されていた。
(確かに……)
転移先は安全な場所だと聞いている。
だが、ミコトは知っていた。
(物事は、始まり直後と終わり間際に、不測の事態が起きやすい……)
スポーツをしていた頃、何度も痛感したことだ。
(油断した瞬間に足を取られ、勝負がひっくり返る……)
あの感覚は、彼の心の奥に染みついている。
(最初の村で装備が整うかどうかも分からないしなぁ……)
視線を落とし、机の端を指先で軽く叩く。
(武器はまだ想像がつく。)
(日本刀、山刀、キャンプ用の刃物── 探せば何らか手に入る。)
問題は、防具だった。
(現代で手に入る“軽くて丈夫な防具”……)
ミコトの思考は、静かに深く沈んでいく。
転移までの時間は限られている。
準備の精度が、生存率を左右する。
その静けさの中で、画面の光だけが脈打つように揺れていた。
ミコトは椅子の背にもたれ、ゆっくりと息を吐いた。
(現代の素材で、軽くて丈夫な防具……もしそんなものが揃えば、ファンタジーの金属にも負けないかもしれない!)
期待が胸の奥で静かに膨らむ。
そして、最初に思い浮かんだのは軍関係の装備だった。
(……まあ、一般人じゃ無理だよな。)
苦笑しながら、指先でマウスを軽く弾く。
軍用装備は理想的な性能と扱いやすさを兼ね備えているはずだ。
だが、手に入らないものを考えても仕方がない。
(一般人で手に入る防具……)
ミコトは視線を宙に漂わせる。
剣道、フェンシング、アメフト、アイスホッケー── いくつかの競技用防具が頭に浮かぶ。
(でも、実戦でどこまで通用するか……)
小さく首を振る。
衝撃には強いが、刃物には弱そうだ。
異世界での戦闘を想定すると、どうしても不安が残る。
(他に……鎧武者の装備一式とか?)
ふと思いついたが、すぐに却下した。
(たしか、総重量は50kg前後と重かったはず。)
(転移時の重量制限の大半を占めてしまうな……)
(それに……異世界で鎧武者は目立ちすぎるよ。)
苦笑しながら肩をすくめる。
ミコトの思考は、防具の迷路の中を彷徨っていた。
画面に視線を戻すと、自スレはいつの間にか落ち着きを取り戻していた。
ネタ進行が静まり、有益な書き込みが再開している。
(……防具についても聞いてみるか。)
ミコトはキーボードに手を置き、軽く息を整えると書き込んだ。
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128:来訪者◆/■■!=■■:・・・
防具について相談したい
武道の防具も調べてみたけれど、どうも実戦向きではなさそうに思える……
衝撃吸収が中心で、斬撃とか刃物系にはほとんど耐性がないという話も見かけた
そこで、もし詳しい方がいたら教えてほしい
実戦寄りで、できれば目立ちにくい防具って何かある?
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投稿して十数秒。
すぐにレスが返ってきた。
『衝撃吸収は強いけど、刃物は無理』 『剣道具は斬撃ほぼ素通り』 『刺突も危ない』
「レス早っ……ホントありがとう。」
「やっぱりそうか……」
ミコトは小さくつぶやき、画面に目を細める。
そのとき、ひとつのレスが目に留まった。
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140:名無しさん@お腹いっぱい。:・・・
ライダー用プロテクターがおぬぬめ
バイク事故前提の装備だから衝撃には強いぞ
硬質シェルのなら斬撃にもある程度耐性がある
防刃ほどじゃないけど、武道用よりはマシ
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(ライダー用……?)
ミコトは、ブラウザの検索窓に指を滑らせた。
表示された画像に、思わず息を呑む。
彼の現代防具のイメージそのものがそこにあった。
(……これだ!)
肘、腕、膝、すね、肩、胸、背中。
必要な部位を守るパーツが、現代的な曲線で整然と並んでいる。
黒い硬質シェルが光を鈍く反射し、どこか異世界の装備よりも頼もしく見えた。
さらにスクロールすると、服の下に仕込めるインナータイプもある。
(これなら……異世界でも目立たないな。)
ミコトは画面を見つめたまま、口元にわずかな笑みを浮かべる。
オレンジ色の派手なモデルが目に飛び込んできて、思わず心が揺れた。
(……めちゃカッコいい!)
しかし、すぐに現実的な思考が追いつく。
(いや、黒だな……革製にも見えるし、目立たない方がいい。)
画面の中の黒いプロテクターは、静かに存在感を放っていた。
ミコトの胸の奥で、転移への準備がまたひとつ形を成していく。
ライダー用プロテクターのページを閉じたあと、ミコトはふと自分の身体に視線を落とした。
腕、胸、腰── 防具を装着するなら、サイズが合っていることが何より重要だ。
(……そういえば。)
ステータス画面に表示されていた“年齢”。
あれが変更できそうだったことを、ずっと気にしていた。
(年齢を下げれば……身体のサイズも変わるよな)
防具のフィット感は、生死を分ける。
転移先での戦闘を考えるなら、軽視できない問題だ。
ミコトはステータス画面を呼び出す。
その『年齢』の項目には、右側に上下『▲▼』のボタンと『確定』のボタンが並んでいる。
(「……アンナ、転移時に……年齢って変えられるの?」)
(「はい、年齢を変更することは可能です、ミコトさん。」)
アンナの声は、いつも通り落ち着いていて、どこか温かい。
ミコトは思わず姿勢を正した。
(「また、転移時には設定する年齢に関わらず、ミコトさんのお身体の不調も治るよう手配します。」)
「おぉ……!」
ミコトの目が一瞬輝いた。
座椅子から少し浮き上がるように前のめりになり、ステータス画面を覗き込む。
(この身体が……治るのか……)
しかし、ずっと期待していた言葉をアンナから伝えられたのに── ミコトの思考からは、“自由に動き回れる自分”というイメージが、スゥっと消えていった。
自分よりもっと相応しい人がいるはずと、そう思い込んでいるミコトは、“ルナティアへの転移を私情で決めてしまったこと”に対する罪悪感と責任感に心を締めつけられ、切羽詰まっていた。
そして──
(やはり年齢が変えられるのか……)
(魔族の寿命って、どれくらいなんだ……?)
と、妙なことを考え始めていた。




