第84話:アンナ
ミコトは机に肘をつき、ノートPCの画面を見つめていた。
瞳には迷いが揺れ、指先はキーボードの上で宙を彷徨う。
(……異世界に行く準備を進めたいけど……)
(自分だけで検討するのでは、漏れがありそう……)
ふと、彼の脳裏にひらめきが走った。
(“某匿名掲示板”に書き込んでみるか……)
声にならない息が漏れる。
(ノイズだらけになるとは思うけど……)
(でも、思いもよらない知恵が拾えるかもしれない……)
眉間に皺を寄せ、彼は小さく首を傾げた。
(どう書き込めば、まともに相手にされるかな?)
(“無人島に行くことになったら?”って体裁にするか……?)
(いや、たいして変わらないか……じゃあ、そのまま“7日後に異世界へ行くことになる”って書いてしまおう。)
苦笑が浮かぶ。
(どうせ、いかんともし難い進行になる……)
(でも、損はしないから……やってみる価値はある。)
決意を固めると、彼はスレッド作成画面に向かい、要件を打ち込んでいった。
(トリップも付けて……と。)
--------------------
1:来訪者◆/■■!=■■:■/■/■(日) ■:■:■ ID:■■■
あと7日で異世界に転移することになった。
とりあえずPCや記録メディアは注文して、某大規模Wikiの日本語版と英語版をDLしたけど、他に何を持っていけばいいだろうか。
知識とか生活用品とか、何でもいいから教えてくれ。
【異世界の情報】
・生態系は地球の1万年前の動植物と同じ。
・文明は地球の1000年前程度
・帰ってこれないので完璧に準備したい。
・持っていけるのは100kgまで
・持っていけないもの:放射性物質、病原菌、大量の麻薬、大量の毒物、動植物などの生き物(植物の種は除く)、生もの、大量の金、大量の白金。
--------------------
次にミコトは、案内人スキルとの関係の仕切り直しを考える。
(ルナティアへの転移が確定したからね……)
(案内人さんとは、もう少し打ち解けておきたい。)
まずミコトは、案内人スキルの呼び方について思案した。
(“案内人さん”では長いし、どこかよそよそしい。)
(“案内人”と呼び捨てるのは、もっと無いな……)
職業をそのまま呼ぶのは、名前を呼び捨てる以上に失礼に感じる。
―― 病院で「看護婦!」と呼んでいた、どこかのおじさんの姿が脳裏をよぎる。
(あれは、聞いているだけで居心地が悪かったな。)
ミコトは、少し遠慮がちに問いかけた。
「案内人さんは……お名前はありますか?」
(「名前は“案内人”です……?」)
案内人スキルは、質問の意図を掴みかねているように答えた。
「それはスキル名ですよね。実際の名前は?」
(「いえ、スキルですので、“案内人”が名前になります。」)
淡々とした返答。
しかし、その響きにはどこか寂しさが滲んでいた。
ルナティアの管理者サイドで名前を持っているのは、管理者フィアナだけなのだ。
「えっと……では、今までに愛称などはありましたか?」
(「いえ、そういったことは、今までにありません……」)
案内人スキルは、気落ちしたように答えた。
その瞬間、ミコトは思い至る。
―― そういえば、案内人スキルと現地の勇者との関係は、親密とは言えないようだった。
ただ“案内人”とだけ呼ばれ、重用されない存在として扱われていたと聞いた。
ミコトは、少し緊張しながら確認した。
「もし、失礼でなければ……私から愛称を付けたいと思うのですが、良いでしょうか?」
すると、案内人スキルは、とてもうれしそうに答えた。
(「はい! 是非お願いします!」)
声の調子が一段明るくなったように感じられる。
了解を得られたので、ミコトは少し考えようと思った。
しかし、すぐに一つの名前が思いついた。
――“アンナ”
それは、“あんないにん”の先頭の音から取った、単純な発想だった。
(案内人さんの声や口調は女性っぽい感じがするから、悪くないかも。)
しかし、すぐに迷いが生じる。
(案内人スキルでアンナは、さすがに安易すぎるかな?)
(ちょっと今風ではない感じもするし……父が聞いていた昔の歌に出てきたような記憶もある。)
(けど、ルナティアに“日本の今風”なんて関係ないよね……?)
ミコトは、少し勇気を出して提案した。
「“アンナ”は、どうでしょう?」
すると――
(「…………」)
案内人スキルはしばし沈黙する。
(しまった、やっぱり安易すぎたか……)
後悔の念が胸に広がり、ミコトは思わず目を伏せた。
まるで時間が止まったように感じられる。
しかし、次の瞬間――
(「素晴らしい名前をありがとうございます!!」)
弾むような声が返ってきた。
(うわぉ!)
急なことに、ミコトは心の中で叫ぶ。
予想外の反応にも驚きを隠せない。
(「フィアナ様のお名前と、同じ文字で終わる素晴らしい名前です!」)
(「さらにフィアナ様のお名前と、同じ文字がもう一つ入っています!」)
(「深く!……深く感謝します! ミコト様!」)
案内人スキルは、捲し立てるように喜びを表した。
早口のあまり言葉が重なるほどで、声も震えていた。
当然、その理由は意図していたわけではなかった。
(なるほど、そういう基準か。)
(“フィ ア ナ”と“ア ン ナ”……)
確かに、響きの中に共通する文字がある。
彼は、ほっと胸を撫で下ろした。
(気に入ってもらえたようで良かった……)
少し時間が経ったので、ミコトは“某匿名掲示板”を軽く確認する。
チラ見すると、いくつかレスがついていた。
--------------------
2:名無しさん@お腹いっぱい。:■/■/■(日) ■:■:■ ID:■■■
妄想乙wwwwwwwwwwwwwwwwwww
3:名無しさん@お腹いっぱい。:■/■/■(日) ■:■:■ ID:■■■
(´・ω・`)また異世界スレかよ…
4:名無しさん@お腹いっぱい。:■/■/■(日) ■:■:■ ID:■■■
また釣り師か…暇人乙wwwwwwwwwwwwwww
5:名無しさん@お腹いっぱい。:■/■/■(日) ■:■:■ ID:■■■
異世界転移w
はい解散w
6:名無しさん@お腹いっぱい。:■/■/■(日) ■:■:■ ID:■■■
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 異世界転移wwwwwwwwwwwww
\____________________
--------------------
画面に並ぶ文字列はノイズばかり。
(やっぱりガヤガヤしてるな~)
(まぁ、こうなるか……反応してくれるだけマシかな……)
ミコトは苦笑しながら、その雑多なレス群を眺めた。
そこに有益な情報はなく、ただ匿名の声が騒いでいるだけ。
だが、そのいつもの喧騒を見ていると、逆に心が落ち着いていく。
―― ノイズの中に、稀に光るレスがある。
それを淡く期待して、ノートPCの画面は閉じないことにした。




