第74話:すべての生命を零へ還す決意
ルナティアの管理者フィアナは、淡い光を漂わせる姿は変わらぬまま──
重苦しい思考に囚われていた。
大広間の静寂の中、心の奥底で、異世界の意味を反芻する。
(……異世界とは……何のために存在するのか……)
彼女の思考は、“プリント基板の幾何学模様”のように魂に刻まれた、使命のアルゴリズムをなぞっていく。
── 地球の現在から約一万年前。
どこかの極めて強大な存在が、その時点の宇宙のすべてを記録した。
(……地球の人類を保全するため……)
それは、地球に“奇跡的に生まれた人類”を守ることを目的としていた。
異世界の管理者たちは、その記録を『アーカイブ』と呼んでいる。
しかし、記録するだけでは、それはただの情報に過ぎない。
(……情報だけでは……生命の意味をなさない……)
だからこそ、極めて強大な存在は、多くの異世界を作り、管理者を選定し、人類を繁栄させることを使命とした。
(……すべての異世界は……地球に“奇跡的に生まれた人類”の実体を伴う……バックアップシステム……)
フィアナは理解を深めるように小さく呟く。
その声は誰にも聞こえず、大広間には青い発光体の揺らめきだけが残った。
彼女の胸に刻まれた使命が、鋭く疼く。
(……このまま、人類滅亡までの四十四年……さらに……)
(……その先にある生命滅亡までの数千年を……待つわけにはいかない……)
なぜなら──
(ルナティアの生命滅亡までの数千年……その間に、地球の人類が滅亡しないとは限らない……)
異世界ルナティアは、他の異世界と異なり、『原初の世界アマノハラ』と同じ時間の流れを持っている。
その事実が、彼女の思考の重苦しさの理由だった。
フィアナの放つ微光が揺らめく。
(地球の人類、生命が滅んでいても……ルナティアをリセットし……)
(また新たに、生命を産み出すことは可能です。)
しかし、フィアナは確信している。
異世界がレジスト『魔族』に打ち勝つには── 地球からの転移勇者の力がなければ不可能だと。
(転移勇者の力なくして、魔族を上回る術はない……)
(それが、異世界の理なのでしょう。)
会議が終わり、静寂の大広間には青い発光体だけが揺らめいていた。
フィアナはその場に一礼し、ゆるやかに身を翻す。
ルナティアの管理棟空間── そこは薄暗い水中のような世界。
青い発光体が幾つも漂い、住人たちはクリオネのように浮遊していた。
歩くのではなく、流れるように身体を滑らせ、静かに進んでいく。
フィアナはその空間の最上層── 大広間のすぐ上にある自室へと向かう。
扉が開かれると、広がるのはプラネタリウムほどの広さを持つ空間。
天井には星々が映し出され、真冬の夜空のように、澄んだ光が静かに瞬いていた。
会議の余韻はまだ胸に残っていた。
だが、ここは彼女だけの空間── 使命と孤独を抱きしめるための場所。
どの異世界も、いまだレジスト『魔族』に勝利したことはない。
唯一、一万年の時を耐え抜き、『原初の世界アマノハラ』と同じ時間の流れに追いついたルナティアでさえ── 人類は風前の灯火だった。
(……だから、数千年も待つわけにはいかない……)
フィアナの胸に刻まれた使命が、重く脈打つ。
(早い段階で、世界のリセットを行う必要があります。)
(……その時、まだ生き残っている生命は……消え去ってしまうけれど…………)
淡い光を揺らしながら、彼女は小さく呟いた。
その刻を、彼女は胸の内で測り続けていた。
(次の現地勇者が、ミコト様の知恵の通りにどう戦うか……)
(その後、人類が魔族にどう対応するか……)
その有用性を見極めたのち──
(勇者誕生から大戦に至るまで三年……その後の様子観察に二年……)
(今から五年後に、世界リセットを行う……!)
青い発光体が静かに脈打ち、自室の空気を張り詰めさせる。
(そうすれば……新しいルナティアの一万年が始まります……)
(……その一万年は、地球の時間に追いつくまで、千倍の速さで時が進みます……)
(それは、地球では十年……つまり、地球の十五年後に、再び転移勇者計画を行うことができる……)
フィアナの光の核に、煌めく輝きが灯る。
その光は決意の証であり、未来への祈りでもあった。
(その時、ミコト様が健在であれば……)
(再び、声を掛けることができる……)
(二度目なら、ミコト様のお気持ちも、変わるかもしれない!)
そして、五年後に世界リセットを行うことが、管理者フィアナの胸の内で決定された。
たとえ、それが逃れようのない滅びの運命であったとしても──
(私が行うことは……その時代を生きる生命たちからすれば……虐殺と変わらない。)
(しかし、地球の人類をバックアップするという使命のためには……やむを得ない……)
(……)
放つ光を強く大きく揺らしながら、フィアナは自らの魂に刻まれた定めを噛みしめる。
(私は覚悟しました。)
その姿は震えながらも、確かな決意を帯びていた。
魔王や魔族など比ではない── 大虐殺者となることを。
そして、彼女は理解している。
自らも、世界リセットの罪の意識に耐えられず、精神は崩壊し、存在そのものが消失するだろうことを。
それは死ではなく── 魂の欠片も残らない、完全なる消滅。
(次に生まれるであろう、新たな管理者のために……)
(新たなルナティアのために……!)
フィアナは、なるべく多くの情報を残して、消えていこうと心に誓った。
静寂の自室に、彼女の決意はひとり静かに沈み込んでいく。
しかし、それも束の間── フィアナは、さらに重い決断をすることになる。




