第72話:異世界転移辞退
ミコトは、意を決して告げた。
「……すみませんが……ルナティアへの転移を辞退します。」
その言葉を聞いた瞬間、案内人スキルは──
(「……えっ……?」)
それだけを、ぽつりと発した。
案内人スキルの思考は、まるで凍りついたようだった。
何も── 何も考えられない。
ミコトが転移してくれると、信じて疑っていなかったから。
……あの導き。
……あの思慮の深さ。
……そして、あの温和な言葉の数々。
すべてが、“転移勇者になる”という未来に繋がっていると、案内人スキルは感じていた。
ミコトにとっても、それは苦渋の決断だった。
(人生をやり直せるかもしれない!)
── そんな希望で、胸が躍り、心を満たした瞬間があった。
ステータス画面の年齢の項目には、上下のボタンが付いている。
(もしかすると、年齢を変えて転移できる……?)
(もし、怪我をする前の歳に戻せば……身体が治る可能性も……?)
もし、それが可能なら──
(レジスト『魔眼』への対策を踏まえて、現代知識や技術を上手く広めて……)
(異世界ファンタジーの定番の……)
(学園生活と冒険者の二足の草鞋を履いて、気ままな日々を送ったり……)
ミコトは、そんな未来を、ほんの少し夢見ていた。
だが、彼は頭を振った。
そんな私情で、決めてはいけないと。
(……俺には無理だなぁ……)
(何の専門知識も無いし……)
(戦いは……喧嘩すら、したことないし……)
ミコトは背もたれに身体を預け、静かに天井を見上げた。
優しさを持つ人ほど── 頼みを断るという選択には、引き受けるときよりも、深い勇気がいる。
案内人スキルは、困惑し、狼狽していた。
一体、何がいけなかったのか。
(……とても友好的に、コミュニケーションが取れていました……)
(……ミコト様の語感も、表情も、転移に向かって整っているように感じられていました……)
また、失敗してしまうのか──
そんな不安が、案内人スキルの中でよぎった。
だが、転移は── 候補者の“純粋な希望”で行うもの── それが、『管理者フィアナ』の譲れない信念だった。
だから、案内人スキルには、引き止めることも、説得することもできない。
この場面で、案内人スキルがミコトに言えるのは、ただ一つ。
次の候補者と接する際の参考にするとの名目で──
(「今後の参考のために……転移を辞退される理由を、教えていただきたいです。」)
これだけだった。
ミコトは、その問いに、自分の考えを整理し始める。
(人類と魔族が、案内人さんの言う通り互角なら……俺でも役に立てると思ってた……)
(しかし……)
勇者の説明の際の、人類と魔族の大戦の情報では── 人類軍と魔族軍の兵数差は、開き続けているようだった。
(人類側は、文明の進化を止めてまで、魔族との装備差を埋めようとした。)
(でも次は、兵数の差が問題になってきている。)
さらに──
(人類圏と魔族圏を隔てる山脈にある、人類側が建てた3つの砦も……すべて、魔族側に落とされている……)
先代勇者の時代には、ギリギリ互角に戦えていた。
その記憶が、管理者サイドの認識を縛っているのだろうと考える。
(でも、もう違う……ルナティアの管理者サイドの見通しは、楽観的すぎると思う……)
そう、ミコトは感じている。
彼の脳裏に映るのは、大きく崩れゆく戦況。
(……案内人さんから見せてもらった、異世界ルナティアの映像……)
(……どこかの大きな街の人々……)
(……のどかな農村の景色……)
(……そして……あの美しかった漁村……)
それらが、魔族に蹂躙される光景が浮かぶ。
(……それは、きっと── 遠くない未来に……)
その中で、自分が“希望”として転移することに、強い違和感があった。
ミコトは、静かに口を開いた。
「……魔族は、かつて人類に対して、勢力が大きく劣っていたと聞きました。」
「それが、先代勇者の時代には、互角の状態にまでなってしまっている。」
案内人スキルは、黙って耳を傾けていた。
「現状、戦力は均衡しているとも聞きました。」
「でも、もともと劣っていた魔族が、数百年前に人類と互角になったということは……」
「実際には、魔族が大きく有利な状況になっていると思えるのです。」
ミコトの声は、静かだった。
けれど、その語感には、確かな重みがあった。
「恐らく、次の大戦で……人類側は、これまでと同じような戦い方はできず……均衡は、崩れるでしょう。」
「その場合、人類に立て直すチャンスは……もう、訪れないと思います……」
案内人スキルは、驚愕した。
(「そ、そんなことは……無いはずですが……」)
その語感は、震えていた。
(ミコト様が言われるのであっても……それは、さすがに…………)
受け入れがたい── けれど、その説明は筋が通っているようにも、感じられた。
案内人スキルの中で、信じていた“希望”が揺らぎはじめる。
それは、ミコトの知力への深い信頼と、激しくぶつかり合っていた。
ミコトは、少し間を置いて続ける。
「……転移者としての勇者が、最低限、果たさなければならない成果を考えました。」
案内人スキルは、息を呑む。
「それは、レジスト『魔眼』への3つの対策を踏まえたうえで── 戦況を大きく覆すほどの知識や技術を、ルナティアの人類に伝えることです。」
ミコトの声は、淡々としていた。
だが、その語感には、確かな覚悟が宿っていた。
「そして、最終的には……誰も犠牲にせずに、魔王を倒すこと。」
「もしくは、魔王と単身で玉砕すること……」
「それが、転移勇者としての最低ラインだと、私は考えています。」
案内人スキルは、言葉を失っていた。
「でも、私にはそれができません。」
「専門的な知識はなく……戦闘スキルも、戦いの経験も、まったく無いので……だから、私は不適合です……」
ミコトは、静かに目を伏せた。
「物理学、化学、医学、栄養学、農学── そういった分野の専門家で、なおかつ武術の心得がある人。」
「そういう人が、転移勇者として適任だと思います。」
その言葉は、案内人スキルの中で、重く響いた。
案内人スキルは、ミコトの言葉を受け止めながら、思考を巡らせていた。
(……選定では── ミコト様は、転移候補者の第一位だった……)
(……しかも、第二候補を大きく引き離しての……)
一方で、“ミコト様の分析は正しいのだろう”とも、案内人スキルは考える。
その冷静さも、知力も、判断力も── どれも疑いようがないから。
(……我々には、レジスト『魔眼』への3つの対策は、考えられなかった……)
(……転移候補の選定の条件を……変更する必要があるのかもしれない……)
それでも尚、案内人スキルは思っていた。
いや── “直観”だった。
(……それでも……)
(……それでも、ミコト様に、転移していただきたい……私は……そう“感じる”のです……)
10人の勇者と共に歩んだ経験が、導いているのかもしれない。
(……でも……もう時間が……)
ミコトもまた、焦っていた。
幾つか伝えておきたい事柄があった。
……レジスト『魔眼』は、人類の生活圏に入り込んでいる、スパイなのかもしれないこと。
……管理者さんから現地勇者へのメッセージに、“案内人スキルの言葉は、自分の言葉として受け取るように”の旨を記載すること。
……『雷術スキル』の有効な使い道、など。
(……時間が……)
この時、『7日後に異世界転移します。よろしいですか?』と表示されているダイアログボックスの、自動的に[拒否]になるまでの時間が―― 5分を切った。
── ピロリロリン♪
軽やかなチャイム音が、ミコトの頭の中に響いた。
同時に、視界の端に新しいダイアログボックスが開く。
「えっ?」
(「えっ?」)
ミコトと案内人スキルが、同時に反応した。
ダイアログボックスには、こう表示されていた。
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残り5分を切りました。延長しますか?
[1時間延長する] [延長しない]
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「わ~、カラオケボックスみたい~~」
ミコトは思わず、わりと大きめの声で、そう口にしていた。




