第47話:初代勇者と聖女
勇者一行が旅立ってから、二年の歳月が流れていた。
幾多の試練を越え、仲間との絆を深めながら歩んできたその道の果てに── ついに、魔族軍侵攻の報が届いた。
人類軍は急ぎ集結し、各地の各種族の英雄たちが本陣へと向かう。
勇者ルクス率いる一行もまた、戦場へと歩を進める。
本陣は、見晴らしの良い高台に築かれていた。
そこからは、遠くに広がる戦場の地形が一望できる。
風が吹き抜ける中、ルクスは軽く深呼吸をした。
(いよいよだ……)
彼の視線は、自然と隣に立つ聖女イリュシィへと向かう。
いつも傍らに寄り添ってくれる彼女の存在は、ルクスにとって何よりの支えだった。
その横顔に、言葉では語れぬほどの安心が宿っていた。
(……ありがとう、イリュシィ)
風が、二人の間を優しく通り抜けていった。
勇者ルクスは、聖女イリュシィに好意を寄せていた。
それは、仲間たち“ヴァレア、シュエン、フロウ、グラド”の誰もが気付いているほど、明らかなものだった。
ただ一人、イリュシィを除いて。
しかし、その想いは、胸の奥に静かに沈められていた。
(魔王を倒すまでは……私情を挟まない……)
(それが、俺の誓いだ。)
一方のイリュシィは、異性に対してまったく興味を示さない。というより、恋愛という概念そのものに意識が向いていない。
彼女の心はただ一つ、創造神様と呼ばれる『ルナティアの管理者フィアナ』に向けられていた。
その信仰は、もはや心酔に近く、他のことは何も気にしていないようだった。
それでも、ルクスは確信に近い自信があった。
(もし俺が告白すれば……きっと、彼女は受け入れてくれる。)
(俺は創造神様に選ばれし勇者だから。)
(それが、彼女にとって絶対的な価値であるはず……)
その“選ばれし者”という肩書を、彼女の心に寄りかかる理由にしていいのかと、ルクスは何度も自問した。
(だが……イリュシィが他の誰かと結ばれることは── 耐えられない……)
(創造神様に由縁のある者は、勇者だけじゃない……)
風が吹き抜ける中、ルクスの胸に、言葉にならない痛みが残った。
各地の大きな神殿には、創造神様に仕える大神官が存在し、彼らもまた“神に選ばれし者”として崇められている。
その善悪ステータスは必ず“ライト”であり、人格者ぞろいなのは間違いない。
そして、過去の聖女たちは皆── その大神官の一人と結ばれてきた。
それは、信仰の象徴として当然の流れであり、聖女の心が“選ばれし者”に向くのは自然なことだった。
結ばれた後の話だが、と前置きしてルクスは考える。
(イリュシィの心に、いつか愛情が芽生えてくれれば……)
それが彼の中に静かに灯る希望だ。
仲間たちは、そんなルクスとイリュシィのことを“やきもき”して見ていた。
(ああやって、いつもイリュシィがルクスに寄り添っているのは…… “勇者”だからか? “ルクス”だからか?)
と、よく話していた。
結論はいつも、“勇者だから”で一致するのだが。
人類軍は、新たに開発された武器『弓』を配備し、勝利を確信していた。
「これで……魔族の接近を許さずに制圧できる。」
指揮官たちはそう口にし、兵士たちの目にも希望の光が宿っていた。
遠距離からの攻撃が可能となったことで、魔族の咆哮が届く前に、矢が空を裂く── そんな未来が描かれていた。
勇者ルクスもまた、英雄ヴァレアの活躍を信じて疑わなかった。
(ヴァレアなら……必ず多くの魔人を射抜いてくれる!)
(あの“弓技[プロトタイプ]++”── あれは、希望そのものだ。)
「頼んだぞ、ヴァレア!」
ルクスはそう呟き、風に乗せてその言葉を戦場へと放った。
だが、初戦の火蓋が切られた瞬間── その確信は、音を立てて崩れ去る。
「……なんだ、あれは……」
前線の兵士が、震える声で叫ぶ。
魔族軍は、なぜか人類軍を遥かに上回る数の弓兵を配備していた。
しかも、その弓の性能は──
(嘘だろ……あれは、俺たちの弓と……同じ?)
(試作と改良を重ねたはずなのに……どうして、魔族が……)
空が黒い矢で覆われる。
人類軍の前衛は、接近する前に次々と倒れていく。
「陣形が崩れる! 回復班、前に出ろ!」
「無理だ! 矢が止まらない! 回復が間に合わない!」
叫びが飛び交い、指示がかき消される。
戦場は、悲鳴と怒号と絶望に包まれていた。
「なぜ……魔族が、我々の弓を……?」
ヴァレアが呟く。
初戦── 人類軍は、大敗を喫した。
二日目、人類軍は、戦場の空気を一変させる必要があった。
「このままじゃ……押し切られるぞ!」
「正面からぶつかっても、勝ち目はない……!」
指揮官たちの声が飛び交い、戦場の空気は焦燥に染まっていた。
魔族軍の圧倒的な弓兵数、その矢の雨は、前衛を貫き、陣形を崩し、希望を削っていく。
(真正面じゃ……勝てない……)
(なら、地形を使うしかない……!)
人類軍は、地形を活かすことに活路を見出した。
谷を利用し、遮蔽物を配置し、風の流れすら計算に入れる。
戦術が、静かに塗り替えられていく。
「地形を制す者が、戦場を制す……!」
誰かがそう叫び、兵たちの目に再び光が灯った。
指揮官の声が、谷に響く。
「峡谷へ誘導しろ! 湿地に踏み込ませれば、奴らの脚は止まる!」
人類軍は、地形を武器に変えていった。
「高台に布陣しろ! 高低差を使えば、弓の数の不利は覆せる!」
「林と岩場に伏兵を配置! 背後から奇襲を仕掛けて、奴らをかく乱するんだ!」
指揮官の目が輝く。
(魔族は……数で押せると思っている。)
(なら、好きなように踊ってもらおうか!)
「前線、計画通りに後退! 奴らを引き込むぞ!」
「包囲網、展開開始!── 急げ!」
「奴ら、食いついてきたぞ……!」
その一手一手が、魔族軍の衝動的な進軍を翻弄していき、突っ込んでくる敵を、地形と知略で絡め取り、手玉に取る。
「数だけじゃ、勝てないんだよ……!」
戦略で後れを取った人類軍は、戦術で圧倒していく。
とはいえ、そこまで高度なことができたわけではない。
“チェスや将棋”で言えば、三手先を読む程度── それが、この世界の人類の限界だった。
一方の魔族軍は、一手先しか見ていないような用兵。
それは、『原初の世界アマノハラ』における“地球の闘争の歴史”から見れば、稚拙で未熟なものだった。
それでも、人類軍は戦況を盛り返していく。
限界の中で、知恵を振り絞り、命を燃やして──
当初、勇者ルクス一行は魔王との決戦まで温存される予定だった。
だが、戦況が激しく揺れる中── いつしか、彼らも戦場に立っていた。
英雄ヴァレアは、弓による遠距離攻撃の要として、初戦から参戦していた。
だが、次に飛び出したのは、我慢しきれなかった英雄シュエンだった。
本陣の制止を振り切り、戦場へと駆け出す。
「命令? 知るかよ……ぶち殺してくる!」
それに続いたのは、英雄グラドと英雄フロウ。
グラドは、フロウが共に来たことに目を丸くしたが── すぐにニンマリと笑顔になる。
(まあまあやるじゃないか!)
と、フロウのことを見直していた。
仲間たちが戦場へと飛び出していくその背を、ルクスはただ黙って見送っていた。
(何やってんだ、俺は……! 仲間が命張ってるってのに……)
(このまま見てるだけなんて、冗談じゃない!!)
喉元まで込み上げていたその想いは── 言葉にはできなかった。
(俺は……勇者だ。使命を背負ってる。)
(わがままなんて、許されるはずがない。)
創造神の敬虔な信徒である聖女イリュシィも、絶対に反対するだろう── そう思っていた。
拳を握りしめたまま、ルクスはその場に立ち尽くしていた。
だが、イリュシィは静かにルクスの前に立ち、風に揺れる衣を整えると、そっと両手を差し伸べた。
急なことに、ルクスは反射的に手を伸ばしてしまう。
その手を、イリュシィは両の掌でそっと包み込んだ。
「行きましょう、ルクス様。」
その一言に、ルクスは目を見開いた。
彼女は、いつもは自分のことを“勇者様”と呼んでいた。
それが“ルクス様”に変わった瞬間── 彼女の声には、いつもの敬虔さとは違う、人肌のようなぬくもりが滲んでいた。
そして、最後まで出撃を制止されていた勇者ルクスと聖女イリュシィも、遅れて参戦する。
勇者一行は合流し、少数の精鋭部隊と行動を共にして、各地で大きな戦果を挙げていった。
特に、勇者一行のいる部隊は“おとり役”として最適だった。
魔族軍は、勇者の存在に過剰に反応し、面白いようにおびき寄せられていく。
その誘導は、戦術の要となり、各地の包囲網を成立させた。
勇者一行は、この上なく充実した戦いを進めていた。
そして── この日こそが、彼らの歩みに最も鮮やかな光が差した日だった。
この日、すべての人類の頭の中に、軽やかなチャイム音が響き、『百魔斬りが達成されました。』とのアナウンスが、数回にわたって流れた。
二日目、三日目を経て、戦況は完全に五分へと戻った。
そして四日目── 人類軍は、ついに魔族本陣の包囲にかかる。
「このまま押し切れば、勝てるぞ!」
(……やっと、ここまで来た……)
(この流れなら、勝利は確実……だが……)
物資の不足が深刻化していた。
補給線は限界を迎え、兵たちの疲労も積み重なっていた。
「継戦は困難だ……ここで決着をつける!」
「それ以外に道はない!」
(魔王を討てば……終わる……すべてが!)
各地の戦線が連動し、魔族軍の退路を絞っていく。
そして、本陣の精鋭騎馬隊が動いた。
「全隊、突撃準備── これが最後の一手だ!」
当初より予定されていた、魔族の本陣である“魔王が率いる部隊”への強襲が、ついに敢行される。
いくら魔王とはいえ、数百の精鋭騎馬による突撃の前では、命の保証はない。
魔王は即座に親衛隊に命じる。
「前へ出ろ。時間を稼げ!」
そして、自らは単身で後方部隊へと下がろうとする。
だが── その行動は、人類軍に誘導されたものだった。
魔王の退路に、勇者一行は待ち構えていた。
風が止み、空気が張り詰める。
そして──
単身の魔王と、勇者ルクス、聖女イリュシィ、英雄ヴァレア、英雄シュエン、英雄フロウ、英雄グラドとの決戦が始まる。




