第111話:試し斬り
最初の展示室の左壁、その中央に大きな開口部があった。
隣室は光がわずかに変わり、空気が少し柔らかく感じられる。
その先に――
『甲冑』を“立像に着装させた全身展示”が見えていた。
――柱型のガラスケースの中心に、“藍と黒の大鎧”が佇んでいる。
内側からの照明が甲冑の面を照らし、
反射のないガラス越しに、細部までくっきりと――
『札板』の黒漆は、夜の闇をそのまま閉じ込めたような艶を放ち、
その上を走る『威糸』の藍色は、星屑を編み込んだような神聖さを宿していた。
(カッコいいな……)
(西洋鎧とはまた違う……この重厚さ……)
ミコトは吸い寄せられるように歩み寄り――
正面――左側――裏面――右側――
視線が自然と流れ、足が勝手に動き、
ガラスケースの周りをぐるぐる回っていた。
(……これは……実物じゃないと絶対伝わらない……)
まるでそこに本物の『鎧武者』が立っているかのように、
甲冑の存在感が、静かに空間を満たしていた。
ミコトは改めて甲冑の正面に立つ。
照明の角度で、『面頬』の奥に落ちる影が深く沈み、
その暗がりの奥に、視線が潜んでいるように思える。
胸の奥が、ひやりと揺れ――ふと、鎧武者と対峙する光景が脳裏に浮かぶ。
(……この甲冑で刀を振り上げて襲ってきたら……)
(絶対に足がすくむ……腰が抜ける……!!)
喉の奥が、乾いたように詰まる。
展示室の静けさが、想像の恐怖をさらに濃くした。
そして――
異世界で戦う自分の立場が、急に現実味を帯びて胸に落ちてくる。
(ルナティアの魔物や魔族もこんな感じ……?)
(いや! 鎧武者の方が絶対に怖いはず!)
切腹を名誉とし、命を捨てる覚悟を持った戦士。
日本人なら誰もが心のどこかに抱いている“侍・武士”のイメージが、ミコトの中にも根を張っていた。
(俺自身が……そうならなければ……!)
その想いが、ガラスに映り込む“自分の顔”と、重なる面頬の影に宿る。
しばらくの間、ミコトもまた、ひとつの影のように立ち尽くした。
青い発光体がゆらりゆらりと――静寂と薄闇に沈むルナティア管理棟空間。
その中央付近の『案内人スキル室』では、
解析の助っ人が床にぺたりと座り込んでいた。
“ずんぐりしたクリオネ”のような身体が発する琥珀色の光は、弱々しく脈打っている。
呼吸のたびに光が揺れ、疲労の色をそのまま表していた。
助っ人の手元には――僅かに透き通り――虹色の光に薄く包まれる――“美しい刀”が浮かんでいる。
それは――
『国宝級の刀』と寸分違わぬ形状の『マホ仮想体』だった。
――『マホ』とは、異世界ルナティアに存在する“意識に呼応する高エネルギー”のこと。
――『解析』とは、その“マホ”を編み込んで“仮想体”を生成すること。
アンナと部下二体は、座り込んだ助っ人を心配して周囲に集まる。
助っ人は、まだ息が整わないのか、胸のあたりをふわふわと上下させていた。
アンナはすぐに、国宝級の刀の仮想体へ手を伸ばし、複製を作り出そうと意識を集中させる。
すると――
助っ人が、はっと跳ねるように手を伸ばし、アンナの行動を止めた。
(……?)
助っ人の拒否の態度に、アンナは少し困ったように声を送った。
「……大切に思うのは分かりますけど……」
「性能試験をしないわけには……」
しかし、助っ人は“そうではない”と首を振った。
助っ人は、弱々しい琥珀色の光を揺らしながら、
この刀は実戦に向かない――と告げる。
アンナと部下二体の光が、同時に瞬く。
助っ人は、仮想体の刀を見つめたまま、淡い光を震わせて続けた。
他の刀のデータと照らし合わせると、
耐久性に難があり、刃の角度も異質で、
斬れ味よりも“見た目の輝き”を優先している可能性が高い――と。
(??)
(??)
(??)
アンナと部下二体は、すぐには理解できず、
三つの光がまた小さく瞬いた。
「観賞用ですか……? それにしては……」
アンナは仮想体へ意識を伸ばす。
そこには、ただの装飾品とは思えない、
極めて複雑で精緻な内部構造が確かに存在していた。
――ルナティア管理棟空間の存在は、仮想体から“その全容を感じ取る”ことができる。
その刹那――
アンナの意識に、ひらりと一つの察しが浮かんだ。
(……ルナティアでは、人類からフィアナ様へ……よくお供え物があります)
実際に渡せるわけではないため、いずれは破棄されるもの。
それでも、人類は創造神への敬愛と真心を込めて捧げる。
素材を厳選し、技巧の粋を尽くした、最高の品を。
――それらは解析され、仮想体となってフィアナの元へ届けられる。
――しかし、人類はそのことを知らない。
(……この『国宝級の刀』も……宗教上の“奉納品”……?)
アンナの推測は、正確に答えに辿り着いていた。
助っ人は、すでに収集済みの“二十振りほどの刀のデータ”を一気に読み込み、
その中から“最も実戦向き”と感じられた一振りを選び出すと、
疲れた身体を震わせながら、急遽解析へと入った。
青い発光体が、静かな薄闇の中でゆっくりと揺れる。
その中心で、助っ人の琥珀色の光が、
再び強く、鋭く――
一点に沈み込んでいった。
“ずんぐりしたクリオネ”のような助っ人は──床に伸びていた。
琥珀色の光は微かにだけ灯り、消えそうになっては、また微かに灯る。
アンナと部下二体は、光の粒を散らしながら両手を伸べて、心配そうに囲む。
助っ人が震える手でアンナへ差し出したのは、
“最も実戦向き”として選び抜いた刀の仮想体だった。
刀身には“三つの峰”が連なるような刃文が走り、
茎には──ただ、『兼元』とだけが刻まれる。
受け取ったアンナの両手も震えていた。
(……美しい……なんて見事な……)
だが、すぐに意識を集中させ、その仮想体の複製を生成し、
その場に宣言する。
「歴代最強の魔王と謳われる『初代魔王』の仮想体を用意します」
「それに対し、ルナティア史上最高の剣士である『九代目勇者』の剣撃を再現し──」
「試し斬りを行います」
“初代魔王の仮想体”が、静かにその場に形成されていく。
それは──
二メートルを優に超える巨体。
百キロを超える重量を、筋肉と太い骨だけで構成したかのような分厚い体躯。
肩幅は広く濃い影を落とし、胸板は岩塊のように盛り上がっている。
その全身を覆う鎧は禍々しく、黒鉄の板金が幾重にも噛み合い、
兜の面は“怒り”と“憎悪”を抽象化したような造形をしていた。
仮想体全体が、赤黒い薄い光に包まれている。
それは熱ではなく──“呪いの残滓”が滲み出るような──血生臭い気配だった。
“初代魔王の仮想体”が完成する。
──マホ仮想体には“魂”も“記憶”も存在しないため、自ら動き出すことは決してない。
すると──部下二体と助っ人に──並々ならぬ、殺気のような緊張感が走る。
アンナはそれに対し、
(……仮想体とはいえ、魔王の姿は恐怖を感じますよね……)
(可哀想だけど……最初の性能試験は、これが最適ですから……)
とだけ、考えた。
だが、部下の一体が、強い光を放って前に出て──
"初代勇者の剣撃”を強く希望する。
(……えっ……?)
(……いつもは控えめな子なのに……?)
アンナは一瞬だけ迷う。
『九代目勇者ラシュア』は、アンナにとって歴代勇者の中でも特別な存在であり、
その剣撃以外は考えられなかった。
けれど、
初代魔王に対峙し命を散らせた──『初代勇者ルクス』の姿が浮かぶ。
「……そうしましょう。初代勇者に、敬意を込めて」
その部下の光がさらに、ぱっと明るくなる。
希望が通ったこともあるが──“敬意”という言葉が嬉しかった。
そして──
アンナは“初代勇者の剣撃”を再現する。
それは見事な精度と鋭さだった。
宙に浮かぶ刀身が、音もなくアンナの意識に従い、
鋭い一閃となって振り下ろされる──
初代魔王の仮想体の首へと斬撃が走る──
刃文が虹色の光に照らされ浮かび上がる──
その刃が首に触れたように“見えた”刹那──
刀は首の反対側に──
すり抜けた。
(??)
(??)
(!!!)
(…………)
──この場の全員が、“それ”があり得ないことを、理解している。
──たとえ実体を持たない仮想体でも、必ず“実体と同じ現象”が完全に再現されるため。
すると──
少しの間を置き──
初代魔王の仮想体の首が──
ぽろりと落ちた。
(!!!)
(!!!)
アンナと部下の一体は、両手を上げて“ゥァァァ!!”と戦慄し、
後方へ飛び退くと、抱き合って“ガタガタ”と震える。
もう一体の部下は、茫然とその場で固まる。
床に伸びたまま見ていた助っ人は、
腕を組んで満足げに、何度も頷いていた。




