第110話:本物の『刀』
勇んで入室したミコトは、展示室の雰囲気に息を呑む。
そこは――
テニスコートほどの空間が大きく広がり、
天井の照明は抑えめで、
床は鈍い金色。
壁は漆黒。
――薄い影が空間の輪郭を柔らかく縁取っている。
「……ここだ」
小さく呟くと、その声が吸い込まれるように消えていく。
(見覚えがある……!)
(前に来た時は気付かなかったけど、こんなに厳かな空気だったのか……)
湿度も低く保たれているのだろう。
外と比べ、肩回りがひんやりとした。
ミコトは無意識に――入口の前から数歩だけ避けた。
靴底が金色の床を軽く叩き、乾いた音が静寂にほどける。
(……水族館より、少し明るいくらいか)
目が慣れてくると、床の金色に“砂地のような粒子状の模様”が見える。
だが、試しに踏みしめても、ざらつく音はまったくしない。
(照明の光を反射しないよう設計してる……?)
感心しながら顔を上げると、小さく息を吐いた。
(壁もか……艶を抑えた材質なのか塗装なのか)
(鑑賞の邪魔にならないように……徹底してるな)
そして――
正面の壁一面が、巨大な展示スペースになっていた。
そこには幾振りもの『刀』が、壁の半分以上を占めるガラスに封じられている。
展示スペースの内部は、外の落ち着いた色彩とは対照的に純白だった。
上部には明るい照明が並び、ガラスの内側だけが昼のように照らされている。
(なるほど……見やすいように中を明るくしてるのか)
刀はすべて、光沢のあるシルクのような布を掛けた、
『刀掛台』にそっと乗せられていた。
その刀掛台には、二振りずつ置かれているように見える。
しかし、よく見ると──
上段には、むき出しの刀身そのもの。
下段には、ダミー刀身に鍔と柄を取り付け、鞘に納めたもの。
(……二振りに見えて、一振り分なんだよね……分解展示ってやつ)
ミコトは小さく頷く。
薄暗い空間、金色の床、漆黒の壁。
白い光が布の滑らかさを照らし──刀の鋼の色が浮かび上がる。
光と影の対比が、荘厳な空気を際立たせていた。
他に人影はなく、開放感から一つ深呼吸をする。
空調に整えられた、特有の“無臭の気配”が肺に広がる。
それは、空気そのものが磨かれているような、涼しさの鼻覚だった。
パンフレットを軽くめくりながら、展示スペースをぐるりと見渡す。
右側の壁には通路が伸び、その先の小部屋が国宝級と重要文化財の展示室らしかった。
(国宝級は……一振り……まぁ、そうだよね)
(重要文化財は二振りと……)
左側の壁は大きく開口していて、すぐ隣の部屋が見える。
(へぇ……鎧もあるのか)
パンフレットによれば、そちらは『武者鎧』や『槍』などの展示場になっているようだ。
ミコトは無人の静寂に包まれたまま、そっと心の中で声を送った。
(「アンナ、見てるよね?」)
アンナの透き通った声が意識に届く。
(「……はい……」)
(「あまりの光景に、圧倒されています……」)
少し震えるような、息を呑んだ気配が伝わってくる。
(「えっと……ルナティアにも文化財の展示とかあるよね?」)
ミコトは展示スペースを見渡しながら問いかけた。
(「いえ、まだそこまでの文化もなく……」)
アンナの声は、どこか申し訳なさそうだ。
(「強いてあげるとすれば、大神殿の彫刻や石碑でしょうか……」)
(「そういった場は……必ず白が基調ですが」)
ミコトは思わず頷く。
(「そっか……ここは確かに“黒や金”をあしらってて、重々しいかな」)
(「でも、禍々しくはないよね?」)
問いかけると、アンナの声がぱっと明るくなる。
(「はい! ルナティアの神殿とは違う雰囲気ですが、」)
(「とても美しく──聖域のように感じられます!」)
その熱量に、ミコトは思わず口元を緩めた。
ミコトは、パンフレットを片手に──
(まずは……“国宝級”にお目にかからないとな)
と、右奥へと足を向ける。
通路を抜けた瞬間──また雰囲気が変わる。
広さは十畳ほど。
照明や壁、床の質感は先ほどと同じだが、
展示スペースの内部だけが、象牙色に近い淡い金色で統一されていて──
(おぉ……一段、格式が上がった感じがする)
光が柔らかく満ち、空間全体が厳粛な神の住まいのように見えた。
正面に一振り、左右の壁にも一振りずつ。
(おおぉぉぉ…………)
ミコトは正面の一振りに視線を奪われる。
自然と背筋が伸び、思わず跪きそうになる。
(これが……国宝級……だよな)
パンフレットの記述が脳裏に浮かぶ。
(……持ち主が国宝指定を断った……)
(だから、こうして“常設展示”できるんだとか……)
ミコトはただ立ちすくむ。
澄み切った空気の中で、刀だけが静かに時を刻んでいるようだった。
国宝級の刀に見入っていたミコトは──
はっと我に返り、意識をアンナへ向ける。
(「アンナ、これが話してた“本物の刀”だよ」)
すぐに、震えるような声が返ってきた。
(「は、はい……拝見してます!」)
(「……なんという崇高さ……」)
その息遣いが伝わってくるほど、アンナは圧倒されていた。
(「解析を頼みたいんだけど……」)
(「はい! 喜んで!」)
即答だった。
(ホントに嬉しそう)
ミコトは思わず口元をほころばせる。
(「間にガラス──仕切りがあってもできる?」)
(「はい!問題ありません。ですが……申し訳ありません……」)
少し間があった。
(「かなり時間がかかりそうです……」)
(「やった! できるようで良かった!」)
(「うん、時間は大丈夫。解析って大変なんだね」)
ミコトが少し早口で返すと、アンナは少し困ったように答えた。
(「えっと……ルナティアではすぐなのですが」)
(「……こちらの世界では、材質や構造が未知のものが多く……」)
(「あ~それはそうか」)
ミコトは納得して頷く。
(「一度解析を終えれば、同様のものは早くなりますので――」)
(「なるほど! じゃあ、応援しながら待ってるよ!」)
(「はい!」)
アンナの声は弾んでいた。
ミコトはパンフレットを開き、三振りの刀を順に見ていく。
その中で、正面の国宝級の一振りだけが、他とは違う気配を放っていた。
(少し細い……?)
次に刀身全体に刻まれた模様が目に入る。
それが記号なのか、文字なのか判別できない。
だが、その刻印が刀身の上部に煌めきを与え、刃文の鉛色との対比を際立たせていた。
(「あっ、この場のデータ収集は終わりましたので、移動しても大丈夫ですよ」)
アンナの声が軽やかに響く。
(「はーい、ありがと!」)
ミコトは小さく返事をしながら、ふと考え込む。
(ふむむ……データを得るのと解析はまた別なんだね……)
興味は湧いたが──
今はアンナの集中を乱したくない。
ミコトは質問を飲み込み、静かに次の展示へと視線を移した。
一方で──
深い海の底に沈んだような静寂と薄闇のルナティア管理棟空間。
その中央付近に位置する『案内人スキル室』では、
アンナと部下二体を中心に、球状の全方位スクリーンが展開され──
のんびりと展示品の鑑賞をしながら、データ収集が進められていた。
──そのスクリーンには、ミコトの周囲の映像が投影されている。
少し離れた場所では、『国宝級の刀』の解析が進行中だ。
重要な任を担っているのは、アンナの部下二体が連れてきた助っ人だった。
その助っ人は、部下二体と同じく、まだ駆け出しらしい。
クリオネのような姿の、耳や手足のような突起は先が丸っこい。
背は部下二体よりも低く、その代わりに横にふっくらしている。
助っ人は──武具の製造に一家言あるらしく、
国宝級の刀の映像とデータを見た瞬間、激しく飛び上がった。
そして、光の粒を撒き散らしながら、
一人で解析させてくれと、全身で駄々をこね始めた。
それはもう、酷かった。
「転移勇者が待っています」
「手分けしましょう」
と、アンナと部下二体がなだめても、助っ人は一切聞き入れない。
光の粒をぽろぽろこぼしながら、
ぴょんぴょん跳ね回り──ごろごろ転がり回り──そして跳ね──また転がり──
もう、どうにもならない。
結局、助っ人一体に解析を任せることになった。
だが、駄々をこねるだけあって、刀への執念は凄まじかった。
解析に入った途端、全身全霊が一点に沈み込むように集中する。
それは、アンナと部下二体で行うより明らかに速いので、
助っ人を連れてきた部下二体の面目は、どうにか保たれた。
──青い発光体が幻想的に揺れる中、解析の光が鋭く瞬いていた。




