第109話:記憶の香り
目的地付近に着いたミコトは、立ちすくんでいた。
目の前にそびえるのは――『有料公園』の門。
(……ほんとに、ここだっけ?)
スマホの地図アプリを見ると、
青いピンは、迷いなく“ここ”を指していた。
(博物館の隣に公園があった気がしたんだけど……?)
(この中にあるのかな……)
秋の斜光が、コンクリートの壁を鈍く照らしていた。
門の入口の左側には、小さな“入場券売り場”があった。
(……とりあえず、入ってみるか)
ミコトは小さな窓口へ向かい、手前で料金表を確かめる。
~大人400円・子供200円・未就学児無料~
「やっす!」
思わず漏れた声が、うろこ雲の空に溶けていく。
「大人一枚お願いします」
「は~い、400円になります」
「どうもです~」
「ありがとうございました~」
軽く会釈しながらチケットを受け取る。
そして――ミコトは門をくぐった。
視界が一気に開けると、草木の香りを風が連れてくる。
目の前には幅の広い散策路がまっすぐ伸び――
やがて、ゆるやかに左へとカーブしていく。
ミコトは歩きながら、枝葉のさざめきに耳を澄ませる。
(……この感じ、なんか懐かしいな)
カーブの手前で、右側に大きな建物があるのに気づき、
ミコトは足を止めて見上げた。
(……ああ、ここが“刀剣の博物館”か)
胸の奥で、ひとつ納得が落ちる。
(入ってすぐ博物館だったから……)
(隣が公園だって勘違いしてたのか、俺)
小さく息を吐く。
けれど、すぐに建物へ向かう気にはなれなかった。
(日本の心である“本物の刀”――)
(しかも“国宝級”に会いに行くのに、)
(なにか気になったまま入るのは、違うよな……)
ミコトは視線をカーブの先へ向ける。
そこには、色の違う散策路が続き、並木が落ち葉を舞わせていた。
(……よし。先に、公園を歩こう)
軽く頷き、ミコトはそのまま歩き出した。
公園の中へ足を踏み入れると、
敷き詰められた“クッション性のあるタイル”が、やさしく靴裏を受け止める。
鮮やかな芝生の緑に輝く広場。
その先には木造校舎のような建物が見えた。
(……小学校っぽい?)
歩を進めると、古めかしい“円柱型の赤い郵便ポスト”が視界に入った。
(……昔の郵便局か……)
(色々な古い建物を移設してるんだ)
ポストを目印に右へ曲がる。
その先で、光がきらきらと瞬いた。
(小川……あったんだ、ここ)
水面が秋の陽を反射して光の帯を作る。
その流れに沿って歩くと――
(あっ、池か……)
(鯉がたくさんいる)
思わず口元が緩む。
さらに先には、水車が回っているのが見えた。
ミコトは近づき、水車小屋の内部をのぞき込む。
(……なんか、昔も見た気がする)
水の音だけが静かに響く。
平日の午前中、ほとんど人影はなかった。
“かやぶき屋根”に、
秋の木漏れ日がゆらゆらと落ちていた。
ミコトの足が――ふいに止まる。
視線の先には、広めの敷地に古民家と庭。
乾いた土の匂いと、草の香りが混ざり合っている。
散策路から一歩、踏み入れる――
足音が土と砂利の音に変わる。
(たしか……この庭で、稲をもらって……)
――幼いミコトは、“刈り取られた稲”を抱えて
(『千歯こき』で“もみ”を外して、)
(臼で突いて“もみ殻”を割って、)
(最後に、大きな箱みたいなののハンドルを回して……)
(風を起こして、もみ殻を飛ばしたんだ)
スマホで調べると、その風を起こす器具は、
『唐箕』という名前らしかった。
杵の重み、風が舞い上がる音、乾いた殻の軽さ。
そんな記憶がふっと蘇る。
(もしかして……父さん母さんは……)
(俺に“こういうの”を体験させたくて、)
(ここに連れてきてくれたのかも)
ミコトはしばらく立ち尽くし、
揺れる木漏れ日を静かに見つめていた。
古い民家から少し歩くと、公園の中心あたりに、
カフェ――ではなく、茶屋――のような、『売店』が見えてきた。
(あれ……?)
ミコトは思わず目を見開く。
記憶の中では“カフェ”だったはずの場所。
だが、その軒先には――
"お団子 飛騨高山直送醤油"と書かれた“のぼり”が揺れていた。
(……あ~。あの、やたら美味しかった醤油の味……団子だったのか)
納得したように頷いたあと、ふと眉を寄せる。
(いや、しかし……)
(団子のこと忘れて、味だけ覚えてるって……どうなの、俺)
少しうな垂れながらも、
「……三本ください」
焼き台から漂う香ばしい醤油の香りが、ふわりと鼻をくすぐった。
団子を噛むと、旨味たっぷりの醤油の味が舌に広がる。
(あ~……これこれ~)
その瞬間――
両親の“ある姿”が脳裏をよぎる。
ミコト家で飼われていた、食にどん欲な小さな家族たち。
デグー、モルモット、ネザーランドドワーフ、ハムスター。
その子たちを前に、
「食いしん坊ちゃんたち♪」
「よく食べる子は可愛いね~」
「オヤツだよ~」
と、いつも笑顔で世話をしていた父と母。
(もしや……その“よく食べる子”に……)
(俺も入ってたんじゃ……!?)
心当たりは、ある。
スポーツ少年で体格も良かったミコトは、小学生の頃から大人以上の食欲があった。
外食に行けば、父も母もメニューを見ながら、
「これも食べれば?」
「これはどう?」
と、色々勧めてくれた。
だからいつも何品も頼んで、もりもり食べていた。
(これは……確定か……)
(いや、まてよ……?)
ふと、妹の澪のことも思い出す。
ミコトが注文した料理が届くたびに、“あ~ん”と言うので、一口・二口あげていた。
そしていつも、
「お腹ぽんぽん」
と、満足そうに言っていた。
(澪よ……きみも“こっち側”だ)
そう思うと、ふっと微笑んだ。
ミコトは団子を食べ終えると、
(なんか、色々と……謎が解けたなぁ)
と納得し、刀剣の博物館へと戻ることにした。
ミコトは、少し進んで――
なんとなく振り向く。
そこには逆光の中、茶屋風の売店が幻想的に浮かんでいた。
その光の中に――
父、母、妹の笑顔が見えた気がした。
"刀剣の博物館"の入口の前――
ミコトはそっと目を閉じ、気合を入れることにした。
胸いっぱいに空気を吸い込むと、落ち葉の匂いがかすかに混じる。
(……よし!)
と、ゆっくりと息を吐き、
カッと目を開く。
自動ドアが開くタイミングに合わせて、
ミコトは心の中で叫んだ。
(「押して参る!!」)
すると――
(「えっ!」)
(「チュッ!」)
アンナとミカドの驚いた声が、意識の中に弾けた。
(「あ、心話で叫んじゃってた……ごめんね」)
(「あ、いえ……大丈夫です」)
と、アンナが小さく返す。
(「ブギュ!」)
と、ミカド。
(「あ~ごめんごめん、起こしちゃった? よしよしよしよし……」)
(「ピルピルピル♪」)
(「……ぶぎゅ?」)
(「アンナもごめんね~、よしよしよし……」)
(「えっ? あの、……えぇっと……」)
(「ありがとです!」)
アンナは、ミカドに“ブギュ!”の意味を聞こうとしただけだったが、
勘違いでも構ってもらえたのが嬉しかったので、
照れながら――そのまま受け入れた。
だが――
自動ドアの先に広がっていたのは、
パンフレットなどが置いてある小さなカウンターと、
こぢんまりした“土産物売り場”だけ、だった。
(むぅ……)
(そっちか!?)
視線の先には、幅が広くてなだらかな階段。
その上の階に展示室があるらしい。
階段へ足をかけながら、
ミコトは拳を軽く握る。
(……いかん……やり直さなくては!)
展示室に入る時にもう一度と――
さっきと同じ“気合を入れるくだり”を、心の中で準備した。




