第108話:聖地の実情
電車は都心へ向けて、滑るようにレールの上を進んでいく。
車内は両側がロングシートの、都市部ではよく見るタイプだ。
ミコトは運よく一番端の席に腰を下ろし、軽く息をついた。
微かな揺れに身を任せながら、ふと記憶がよみがえる。
(前に行ったのは……かなり昔だな)
(俺、小3くらいだったっけ……?)
目的地である“刀剣の博物館”。
その場を思い浮かべた瞬間、家族で訪れた日の情景が脳裏に広がる。
父と母。
そして、ベビーカーを卒業して、バギーカーにちょこんと収まっていた妹――澪。
(父さんと俺はパンフレット片手に、日本刀を夢中で見てたなぁ)
(母さんと澪は、すぐ隣の公園に行っちゃったけど)
ミコトは目を細め、少しだけ口元を緩めた。
(あの公園の……カフェ? まだあるかな?)
(なにかの醤油味が、やたら美味しかった覚えが……)
ミコトの視線は無意識のうちに流れる窓の外へ。
その移り変わる景色は――
緑が少しずつ減り、代わりに背の高いビルが増えていく。
大都市の気配が、静かに近づいてきていた。
ミコトは視線を窓の外に向けたまま、そっと意識をアンナへと向ける。
(「アンナ、……地球の実情を知って、どうだった?」)
すると――少しの間が空く。
派生世界の聖地『地球』に対する敬意が、その“間”の向こう側に感じられる。
(「……はい」)
アンナの声は、いつもよりわずかに慎重だった。
(「まず……人口の多さに驚愕しました。ルナティアの人類の、およそ千倍近い数です」)
ミコトは思わず眉を上げる。
(千倍……そりゃ驚くよね)
(つまり、ルナティアの人類は……800万人ぐらい?)
アンナは淡々と続けるが、その言葉の端には確かな畏怖の念があった。
(「地域ごとに差はありますが……社会に一定の秩序が存在していることにも驚きました」)
連結で車輪が少しだけ大きな音をたてる。
(「弓矢よりも早く移動できる手段……」)
(「城の見張り塔よりも、遥かに高くそびえる建物……」)
(「どれも、想像が及ばない領域でした」)
アンナの声色が、ほんの少しだけ息を呑むように乱れた。
(「そして……人類同士が大規模に争っている地域があることにも、強い衝撃を受けました」)
ミコトは思わず目を閉じる。
胸の奥に、重いものが沈む。
少し呼吸を整えるような“間”――
(「……その争いで各兵士が使っている武器は……」)
(「それだけで魔族を滅ぼせるのではないかと思えるほどの性能で……」)
(「それを……難なく扱っていることに……深い恐怖を覚えました」)
ミコトは目を開け、スマホの黒い画面に映る自分の表情を見つめた。
そこには、言葉にできない複雑な影が落ちている。
それでも――
(それが“欲しい”ではなく、“恐怖”か……)
(アンナと仲間たちの本質が……よく分かる)
(ほんとうに、善い人たちなんだね)
ミコトは、ルナティアの管理者サイドの“清らかさ”に、
少し救われた気がした。
ミコトは腕を組み、ゆっくりとうつむいた。
電車の揺れが、胸の奥の重さを静かに揺らす。
(「……うん、そうなんだよ」)
小さく息を吐き、窓の外へ視線を流す。
(「聖地どころか、いまだに戦争をやめられない国もあるんだ」)
(「そんなのは……ショックだよね」)
アンナはすぐには返事をしなかった。
ルナティアの管理棟の静寂が、心話の向こう側に薄く漂う。
(「……いえ、それが……」)
慎重に言葉を選ぶような声音。
(「原初の世界『アマノハラ』の時間に追いつき、触れることができるようになった時……」)
(「私たちは歓喜に震える一方で、胸に拭いきれぬ憂念も抱えていました」)
ミコトは眉を寄せる。
(「管理者の庇護を受けず、ただ物理法則のみが支配する世界……」)
(「生活スキルの付与もなく、善悪の評定すら存在しない社会……」)
アンナの声が遠慮がちになる。
(「人々は悪意に満ち、酷く荒んでいる世界なのではないか――」)
(「そんな声が、多くありました」)
ミコトは苦笑し、肩をすくめる。
(……漫画でよくある世紀末みたいな世界かな)
(「失礼なことを言ってしまい、すみません……」)
(「いえいえ、俺でもそう思うかも」)
電車の走行音が、ミコトの苦笑をさらっていった。
アンナは静かに思い返していた。
地球全体に対して属性確認を行った、あの瞬間のことを。
クリスマスツリーの電飾のような――輝く善属性の光たち。
(「グリーン属性、ブルー属性……」)
(「そして――ひときわ煌びやかなライト属性の光が、地球を彩っていました」)
ミコトは目を瞬かせる。
アンナの声には、その時の光景をそのまま抱えたような熱があった。
(「多くの方が“グリーン属性”と“ブルー属性”で――」)
(「皆無ではと考えていたライト属性の方も普通に大勢いて――」)
(「私たちは……とても感動しました!」)
ミコトは思わず息を呑む。
アンナの声は、安堵と感嘆が混ざった柔らかい響きだった。
(「特に、ミコトさんの住まわれている“日本という国”は――」)
(「善属性の率が、極めて高いのです」)
(「……日本が?」)
ミコトは小さくつぶやき、背もたれに寄りかかる。
胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。
アンナは続ける。
(「そして……生活スキルなしで、高い清潔性があることにも驚きました」)
(「見渡しても……落ちているゴミが、まったくありません!」)
ミコトは、つい足元の床をちらりと見る。
アンナの驚きは、誇張ではなく純粋な感嘆だった。
(「もし……他の異世界が“転移勇者”を探しに来るとしたら――」)
(「きっと、この日本を目指すと思います!」)
ミコトは思わず肩をすくめ、照れくさそうに笑った。
(……なんか、自分が褒められてるみたいで、恥ずかしくなってくるね)
車内のアナウンスが流れ、
降りる駅が近づいていることをミコトに伝えた。
ただ――
アンナの胸には、どうしても拭いきれない影が残っていた。
(……ですが、レッド属性、そしてダーク属性の人々は……)
(地球全体では、やはり……かなりの率で……)
(特に……ダーク属性の中には、異様な“重さ”を感じる人もいて……)
アンナは思わず、その“重い気配”から視線を背けた。
管理棟の静かな空気の中で、その印象だけが胸に残っていた。
(……あれは……凄く怖かったです……)
もちろん、ルナティアにもダーク属性の者はいる。
だが、地球の“闇”はどこか質が違うように思えた。
原初の世界『アマノハラ』に迂闊に触れてはならない――
そう伝えられてきた戒め。
(……あの言い伝えに、心から納得しました……)
光も闇も、すべてを内包する原初の世界――
その“重さ”を知り、古くからの戒めが、ようやく腑に落ちた。
幻想的な光が揺れる、ルナティアの管理棟空間。
その最上層――異世界ルナティアの管理者、フィアナの私室。
ミコトが急に外出を決めたため、
フィアナは自室で聖地『地球』の地表の映像を目にし、
そのまま何をするのも忘れて見入っていた。
(……胸が……熱い……苦しい……)
もし肉体があれば、涙を流していただろう。
身体も、手も、震えている。
その震える手を見つめた瞬間、ふと意識が下へ吸い寄せられた。
(…………)
自室の直下に広がる大広間を、ほんの一瞬だけ覗き込む。
なぜそうしたのか――それは、まったくの無意識だった。
ただ、なにかを求めるように、自然と体が動いていた。
フィアナの胸が強く焦がれたのは、
日本の映像に触れた瞬間、
魂の底に眠っていた“愛しさ”が疼いたから。
その“愛しさ”は――
今いる場所とは別のどこかに、
自分の居場所があるように錯覚させるほど強かった。
だからこそ、胸に走ったのは――
抗いがたい“孤独感”に似た痛みだった。
大広間には、上級職――管理者フィアナの腹心たちが集っていた。
皆、聖地『地球』の地表映像に見入っている。
「なんて衛生的なんだ!」
「『浄汚』スキルなしで、どうやって……?」
「管理されなくても、人はここまで節度を保てるのね……」
「あれほど混雑しているのに、一定の距離が保たれている!」
「誰もが全方位に意識を向けてる!?」
「みんな武技の達人なの……?」
「この『日本』という国は、“聖地”と呼ぶにふさわしい!」
フィアナは、そっと自室から、
直下の大広間をチラリと覗き込んだ。
皆は映像に夢中で、誰も気づかない、そう思っていた。
しかし――
次の瞬間、全員が一斉にフィアナの方へ向いた。
「!!」
フィアナは小さく体を跳ねさせる。
主を見つけた腹心たちは、喜びに沸き一斉に両手を広げた。
「フィアナさま~!」
「こちらへ~!」
「一緒に観ましょう~!」
温かい声が重なり、柔らかく大広間に響く。
思わず身を乗り出すフィアナ。
そして、気づけば自然と輪の中心に迎え入れられていた。
フィアナは、皆と肩を並べ聖地『地球』の日本の映像を見つめる。
(この日本の光景は……私の心を掴んで離さない……)
けれど――
(でも……私の居場所は、ここですから……)
その想いを改めて心に刻むと、
先ほどまで胸を焦がしていた“魂の疼き”は、
そっと寄り添うような温かさへと変わっていった。
ミコトは“ダンジョン”とも揶揄される巨大な駅に降り立った。
天井の高いコンコースには、絶え間なく人の流れが生まれては消えていく。
改札を抜けると、冷たい外気が頬を撫でる。
ミコトはスマホを軽く握り直し、前を向く。
(……あと二駅か。もう少しで……家族と歩いたあの場所に……)
電車を乗り換えれば――目的地はもうすぐだ。
胸の奥が、静かに高鳴る。
そこには間違いなく――
“本物”の“刀”が存在する。




