第103話:「転移後初日の一幕」──ミコトの初陣
~時は進み──ミコトがルナティアに転移した日の夜──その一幕~
夜の森は、息を潜めたように沈黙していた──
(……静かすぎる)
そんな静寂の中で、ミコトたちはすでに“複数の魔物”と対峙していた。
魔物はすべて茂みに潜み、姿を見せない。
だが──アンナの周辺把握が、闇の奥に潜む存在を間違いなく捉えていた。
(「ミコトさん、周囲に反応があります。複数……隠れています。」)
アンナの心話が、夜の静寂を一切乱すことなく、そっとミコトの意識に染み込んでくる。
その声は落ち着いているのに、どこか張り詰めた響きを帯びていた。
星々の瞬きは重なり合う枝葉に呑まれ、森は底知れぬ闇に沈んでいる──
ミコトは“タクティカルライト”の光量を抑えめにして、足元へ向けた。
淡い光が、木々と茂みの輪郭をかろうじて浮かび上がらせる。
(……見えない。けど、いる……)
初めての異世界の夜──
闇の中で、ミコトの鼓動だけが確かに速さを増していた。
ミコトの想定は、初日からあっさり崩れ去っていた。
胸の奥で、苦い息がひとつ揺れる。
(もっと地道に経験を積んで、少しずつ慣れていくつもりだったのに……)
──しかし、現実は容赦なかった。
その瞬間、ミコトの視界にふわりと透明のウィンドウが重なった。
アンナが展開した“視界補正”だ。
闇の中に、赤い人型が五つ、静かに合成されていく。
Wを逆さにしたように広がる布陣。
まるで、こちらを包囲する準備を整えているかのようだった。
(「おぉ!すごい、暗視スコープいらないね!」)
ミコトは思わず感嘆し、視線を走らせる。
(「あっ、この視界補正は俺にだけ?」)
(「はい、申し訳ありません。ミコトさんにだけです。」)
アンナは、少しトーンを落とした抑えめの声色で返す。
(「ダイジョウブ! 自分デ、ワカル。」)
ミカドが胸を張るように言い、尻尾を小さく揺らした。
(そっか……デグーは夜目は利かないけど、うっすら赤外線が見えるんだったっけ。)
(“ダイオウデグー”になって、その能力も強化されてるのかな……?)
ミコトは赤い人型の位置を再確認する。
(「ミコトさん、五体はすべてゴブリンです。」)
(「増えてる!……さっきは三体だったよね?」)
(「ウン。」)
ミカドが短く返す。
三体のときは、ミカドが単独で突っ込み、すべてを軽く倒していた。
だが今回は違う。
(数が多くなって……しかも広がって布陣しているな……)
ミカドが突撃してる間に、別のゴブリンがミコトの方に向かう可能性があった。
それを理解しているミカドは、今はミコトのすぐ傍らに寄り添っている。
そのミカドの身体は、ミコトより一回り大きくなっている。
ゴブリンを対象に、“質量共鳴スキル”を使っているためだ。
そして、ここまでの三人のやり取りは──
高速思考スキルによって、実時間では僅か“1秒”ほどだった。
うっすらと輪郭だけ分かる茂みの奥で、
血のように赤い光がいくつも瞬いていた。
(……あれは……ゴブリンの目か……怖すぎる……)
ミコトは喉の奥がひりつくのを感じながら、息を浅く整える。
高速思考スキルがあれば、初陣でもパニックにはならない──
そう考えていた。
(敵の動きが遅く見えれば、焦らず対処できる……と、思ってた……)
しかし、甘かった。
“見える”ことと“怖くない”ことは、まったく別だった。
(……一人だったら完全に恐慌状態になるな、これは……)
自分の心がどれほど脆いかを、ミコトは痛感する。
アンナの冷静な状況報告と、柔らかな心話の声。
ミカドの無謀とも思えるイケイケさと、元気な心話の声。
二人の存在が、ミコトの大きな支えになっている。
(……助けられてる。ほんとに……)
深く、静かに感謝が湧き上がる。
すると──ふと、脳裏に浮かぶ。
(10代目勇者は……ここよりもっと深い森を、十代半ばで一人で彷徨ってたのか……)
想像しただけで、背筋が冷える。
(俺には絶対に無理だ……)
ミコトはそう思いながら、それでも前を向く。
闇の奥で、赤い光がまたひとつ瞬く。
Wを逆さにしたように広がるゴブリンの布陣を、ミコトはじっと見据えた。
茂みに隠れていても──
(こちらを覗き見ているのは間違いない……)
と、ミコトは察する。
左手に盾スタンガンを構え、右手にタクティカルライトを握る。
ミコトはライトの光量を最大に上げようと指を動かした。
指先がじんわり汗ばんでくる。
その瞬間──
(「アッ」)
(「??」)
(「ミコトさん、身体ごと右に20センチ。」)
アンナの冷静な声が、ミコトの意識にすっと滑り込む。
(「了解!」)
ミコトが右へ踏み込む。
(「OKです。」)
すると、石が“風に流されるシャボン玉”のような緩やかさで視界に入ってきた。
(……キャッチできそう……)
ミコトは思わず手を伸ばしそうになったが、無駄なことだと気づきやめた。
伸ばしかけた手を止めた瞬間、石は左腕をかすめて通り過ぎていく。
そして──
(「アッ!」)
(「??」)
(「ミコトさん、頭を右に10セ──」)
アンナが言い終わる前に、ミカドがぐいっとミコトの肩を押した。
(「OKです。」)
次の瞬間、左耳のそばを弓矢が“よく飛ぶ紙ヒコーキ”ほどの速さで通り抜けた。
本来なら目で追える速度ではない。
だが、高速思考の世界では、すべてがゆっくりと流れていく。
高速思考を使っていても──
動体視力が追いつかないほど速い対象は、本来なら“見えない”。
だが今、ミコトの視界には弓矢がはっきりと映っていた。
(「弓矢が見える! アンナ凄い!」)
(「ありがとうございます。」)
(「完全に透明なウィンドウを開発して、そこに映像を映しています。」)
アンナの声は控えめだったが、どこか誇らしさが滲んでいた。
(「おぉ~!」)
ミコトは思わず感嘆の意を漏らす。
(「ミコト、自分デ、避ケラレソウ?」)
ミカドが尻尾を揺らしながら問いかける。
その声は相変わらず前向きで、ミコトの緊張を少しだけ和らげた。
(「うん、大丈夫だと思う。」)
(「避けられない場合は、収納スキルで回収して消せますよ。」)
アンナの説明は落ち着いていて、頼もしさが胸に染みる。
(「アンナ、強イ! ミコトヲ、任セタ!」)
(「はい! 任されました!」)
二人の声が重なり、ミコトの背中を押すように響いた。
ミコトは、ずっと“獣型モンスターのほうが厄介”だと思い込んでいた。
牙や爪を剥いて飛び掛かってくるイメージが強かったからだ。
だが──現実は違った。
人型は、弓も投石も使える。
闇の中から、こちらを抜け目なく狙ってくる。
(……アンナとミカドの補助がなかったら、俺はいま死んでたな……)
背中に冷たい汗が伝い、ミコトは喉を鳴らす。
(「収納はMPを消費するため、極力避ける方向にしたいです。」)
アンナの声は落ち着いていて、状況を冷静に見ていた。
(「うんうん、高速思考を切らせたくないから、MP節約しよう。」)
ミコトは頷きながら、胸の奥でスキルの重要性を噛みしめる。
(「コノ、ユックリニ、ナルヤツ、強イ!」)
ミカドが尻尾を揺らしながら言う。
その声は、戦闘中とは思えないほど明るい。
(「ホントに、ここまで強力なスキルだとは思いませんでした。」)
(「ミコトさんが強く求めていたのが良く分かりました。」)
アンナの言葉は素直な驚きと納得が混じっていた。
(「俺はたまたま、ゲームで似た体験をしたことがあったからね。」)
ミコトは苦笑しながら答える。
だが、その“たまたま”が今、命をつないでいる。
ミコトは改めてタクティカルライトの光量を最大まで引き上げた。
そして、弓を放ってきた方向の“赤い人型”へ素早く光を向ける。
瞬間──
「ギャッ!」
悲鳴が闇を裂き、続けて“ガサッ”とうずくまったような音が響いた。
ミカドは、その音に反応してすかさず跳び出した。
だが──地上を走ったわけではない。
──“ドッ!”
木の幹を蹴り、弾かれたように上へ跳ぶ。
──“バシッ!” ──“バッバッ!”
さらに別の枝を蹴り、三角飛びのように軽やかに高度を上げていく。
その動きは、闇に溶け込み、まるで影そのものだった。
そして、目を押さえてうずくまるゴブリンの真上へと飛び移り、
死角から一気に飛び掛かる。
ミカドの狙いは迷いがなかった。
鋭い軌道で首筋へと牙を走らせ──
的確に致命傷を与える。
ゴブリンの身体が、力を失って崩れ落ちた。
夜の森に、わずかな振動だけが残る。
ミコトは残る四体へ、タクティカルライトを素早く向けていった。
光が闇を裂くたび──
「ギャッ!」
「ギャアッ!」
先ほどと同じ悲鳴が四度、立て続けに響く。
茂みの奥で“ガサッ”“ドサッ”と倒れ込む音が重なった。
その瞬間、ミカドは木々を蹴りながら影のように駆ける。
枝から枝へ、軽やかに跳び移り──
上から襲い掛かるようにして、次々とゴブリンを仕留めていった。
(「ミコト、強イ!」)
(「ありがと~ミカドも超強いよ!」)
(「ピルピルピル♪」)
ミカドの嬉しそうな声が、緊張の中に小さな温度を灯す。
(……何とかなったな)
ミコトは胸の奥でようやく息を吐き、
張り詰めていた肩の力をそっと抜いた。
しかし──
夜の森の沈黙は、まるで“次”を待つように重い。
魔物の襲撃は、これで終わりではなかった。




