第102話:アンナの戦闘考察
ミコトの視界にある『従魔ウィンドウ』の中では、ミカドが“ヘソ天”で無防備に眠っていた。
真っ白な腹がふわふわと柔らかそうに揺れている。
(ミカドの戦闘力と、俺との役割分担……これは十分いける)
そう考えながらも、ミコトの視線はついミカドの腹に吸い寄せられてしまう。
そして目を輝かせる。
(……ふふふ……)
(俺は……その腹を狙っているぞ、ミカド……)
(必ず……モフモフしてやる! 必ずだ!)
だが、ミコトは自分が脱線しかけていることに気づき、慌てて頭を振った。
そして、思考を次の課題へと切り替える。
(次は──アンナだな)
アンナは“案内人スキル”だ。
それは、勇者を導くために存在する力。
だが歴代勇者たちは、その真価を一切使ってこなかった。
(アンナの能力を最大限に引き出して、戦闘で使える形にする……)
ミコトは頭の中で、アンナの持つ力を整理していく。
アンナの能力で戦闘時に有用なのは──
…周辺把握
…他のスキルの使用
…精密なスキル操作
(この三つが、戦闘で特に重要になるはず)
ミコトは意識を切り替え、アンナへと“心話”を向けた。
(「アンナ、ちょっといい?」)
(「はい! 喜んで!」)
まるで居酒屋のような元気な即答に、ミコトは思わず肩をすくめた。
(おっふぅ……)
気を取り直し、ミコトは本題へ入る。
(「周辺把握って、どれくらいの範囲を見られるの?」)
(「あと、死角とかある?」)
(「周辺把握ですね!」)
(「把握できる範囲は──直径100メートルになります」)
(「死角はありません」)
(「おぉ……壁の向こう側とかも分かるってこと?」)
(「はい。遮蔽物があっても遮られません」)
(「地中も把握できます」)
(「それは凄いね!」)
ミコトの声が思わず弾む。
(「高速思考スキルを使ってる間でも、周辺把握できる?」)
(「はい、可能です」)
(「ありがとう!」)
短い言葉に、ミコトの素直な驚きと感謝が滲んだ。
ミコトは目を見開いていた。
アンナの能力の規模が、想像以上だったのだ。
(……とんでもなくない?)
思わず心の中で呟く。
歴代勇者がこの能力を“まったく使ってこなかった”という事実が信じられず、もはや謎だった。
(勿体ない……なんて勿体ない……)
胸の奥で何度も繰り返す。
(野球場が丸ごと入る広さだぞ……)
(20階建てのビルだってすっぽりだ……)
直径100メートルと聞くと一瞬狭く感じるが、冷静に考えれば“かなりの広さ”なのが分かる。
しかも──死角なし。
(優秀すぎる……)
朝の光が窓から差し込み、部屋の空気を柔らかく照らしている。
その静けさの中で、ミコトの心だけが熱を帯びていく。
アンナの能力の“本当の価値”が、ようやく見えてきた気がした。
ミコトは座椅子の上で姿勢を正し、アンナの次の能力へと意識を向けた。
(他のスキルの使用……ここも確認しておきたいな)
そう思いながら、アンナへ“心話”を送る。
(「収納スキルって、動いてるモノを収納できたりする?」)
(「いえ、通常はできません」)
(「収納は、対象が止まっていて……さらに身体で触れていることが条件になります」)
アンナの声はいつも通り丁寧で、落ち着いている。
(「そっかぁ……でも、“通常”ってことは……?」)
ミコトが続きを促すと、アンナは少しだけ声を弾ませた。
(「ですが、私なら──ミコトさんから少し離れているモノも収納できます」)
(「動いていても、ゆっくりであれば収納できます」)
ミコトは思わず前のめりになる。
(「お役に立てそうですか?」)
(「もちろん!」)
胸の奥で、ひとつの可能性が形になり始める。
(飛び道具への対策……これ、できるかもしれない)
ミコトはふっと微笑み、冗談めかした軽い調子で“心話”を続けた。
(「アンナは超優秀だね。」)
(「色々と頼んじゃって、止まらなくなるかもね~」)
だが、その言葉を受け取ったアンナは──
(「ありがとうございます! いくらでもご指示ください!」)
と、期待を込めたような明るい声を返す。
(「お、おぅ……」)
ミコトは思わずのけぞる。
冗談のつもりが、想像以上の熱量で返ってきた。
しかし、それは当然のことだった。
初代勇者から十代目勇者まで──
数千年という気の遠くなる刻を、ただ見守ることしかできなかった存在。
虚しさと、無力感と、願いの行き場のない日々。
だからこそ──
ミコトの言葉ひとつ、頼みごとひとつが、アンナにとっては“役に立てる証明”になる。
可能な限り何でもしたいと強く望むのは、当然のことだった。
ミコトは腕を組み、天井を見上げた。
実は“高速思考スキル”に、無視できない不安があるのだ。
(思考が速くても、身体が付いてこないところ……)
(これは最初から分かっていたからいい)
(けれど……)
胸の奥に引っかかっていた懸念が、じわりと浮かび上がる。
(動体視力……それに、音の聞こえ方が問題だ……)
(この懸念事項は、ちゃんと共有しておかないとね)
ミコトはスマホを手に取りながら、アンナへ“心話”を送った。
(「高速思考スキルってさ……“動体視力”と“音の聞こえ方”がネックなんだよね」)
(「???」)
アンナはどうやら“高速思考”の使用感がまだ掴めていないらしい。
(「例えば……動きが速くて目が追いつかないモノは、思考速度が上がっても“見えないまま”だと思う」)
(「なるほどです」)
アンナの声が、理解の色を帯びる。
(「あと耳は……」)
ミコトはスマホの動画アプリを開き、適当な映像を再生した。
そして、再生速度を“10%”──10分の1に変更する。
そのスマホからの音は、ゆっくりと、そして不気味なほど低く響いた。
まるで世界がスローモーションになったような感覚。
(「……このようになるのですね。理解しました」)
アンナの声は、先ほどよりもずっと深い納得感を含んでいた。
ミコトはスマホの音を止め、深く頷いた。
(……それでも、高速思考スキルは極めて有用なんだよな)
弱点はある。
それでも、動体視力については補う手段がある。
(「速くて見えないモノは……周辺把握でサポートを頼むと思う」)
(「承知しました。お任せください!」)
アンナの返事は、迷いのない力強さに満ちていた。
その声を聞くだけで、ミコトの胸の奥が少し軽くなる。
ミコトとアンナが高速思考の弱点について話している、その裏で──
アンナの部下の一体が、静かに動き始めていた。
それは、音のサンプル作成──
…過去の戦闘記録を高速で読み込み、
…剣戟、衝撃音、術の炸裂、風切り音、
…あらゆる“戦闘の音”を抽出していく。
…そして、それらをすべて“10倍遅くした音”へ変換し、
…次々にデータとして保存していった。
同時に、もう一体の部下も動き出す。
…なにも表示していない透明なウィンドウを生成し、
…そこに戦闘映像を映し出して、
…動きを“スローモーション”にして確認し始めた。
音と映像。
高速思考スキルの弱点を補うための“システム”を構築していく。
しかし──
アンナ本人は、そのことにまったく気付いていなかった。
自分の後ろで、二体の部下が“自発的”に、全力で動いていることに。
ミコトは窓の外に目を向けながら、静かに思考を巡らせた。
(アンナの周辺把握があるなら……奇襲はされない)
まずはそこが大きい。
戦う相手を“選べる”。
(先に見つけられるなら、戦える相手だけを選べる)
(そして、無理な相手だったら避ける……)
(地道に戦って、経験を積み、戦いの勘を育てよう)
それがミコトの基本方針だった。
(そして……高速思考スキルを使いながらの立ち回りも、前もって身につけておきたい)
思考と判断が先に走り、身体が遅れる感覚。
音が低く、視界がゆっくりになる違和感。
それらに慣れておく必要がある。
ミコトは深く息を吸い、静かに決意を固めた。
しかし、ミコト・アンナ・ミカドの一行は──
ルナティアに転移したその日の夜、想定を遥かに上回る激闘へと突入することになる。




