第8話:派生世界の時間の流れ
ミコトはふと、疑問を抱いた。
案内人スキルの説明から察するに、転移先とされる『派生世界ルナティア』は、すでに数千年の歴史を持っているらしい。
そして、この派生世界の仕組みも、かなり過去から―― 『派生世界ルナティア』が最も古い派生世界と仮定しても、少なくとも数千年前から存在しているのだろう。もしかすると、1万年前から存在していた可能性も否定できない。
もしそれほど昔から続いているのだとしたら、異世界は一体どれほどの歴史を刻んできたのか。
その時間の流れを想像すると、途方もないスケールに気が遠くなる。
「異世界も歴史が古いんだね。何千年も前から存在するなんて。」
何気なく口にした言葉に、案内人スキルが答える。
(「申し訳ありません。派生世界の時間の流れについて、説明が遅れました。」)
案内人スキルはいつも通り冷静な口調で続ける。
(「『派生世界ルナティア』を含む派生世界の時間の流れには、特殊な調整が施されています。」)
(「派生世界は、できてから『原初の世界アマノハラ』の時間に追いつくまで、時間が通常より速く進みます。」)
ミコトは眉をひそめる。
「……えっと…それはどういうこと?」
(「『派生世界ルナティア』を例に説明いたします。」)
(「『派生世界ルナティア』は、既に約1万年の年月を刻んでおります。」)
(「ですが、こちらの『原初の世界アマノハラ』の時間では約10年前に誕生したばかりの世界です。」)
(「そして、つい最近、『原初の世界アマノハラ』の時間に追いつき、同じ時間の速さになりました。」)
「約10年……」
ミコトは唸る。異世界の時間がこちらの時間に追いつくまで、なんと1000倍の速さで進むのだ。
(1万年が、たった10年…。)
想像もつかないほどの加速。
そこに生きる者たちは、それを不自然とも思わず、ただ日常として過ごしているのだろう。
だが、ミコトの視点から見れば、それは何とも手早い世界構築だと思えた。
(だからこその『最低リソースで構成された世界』なのか…)
(じゃあ、一番古い派生世界は、どれくらい前に誕生したんだろ…?)
その瞬間、案内人スキルは誇らしげに続ける。
(「『原初の世界アマノハラ』の時間に追いついた初めての世界が『派生世界ルナティア』です。」)
その口調は、自信に満ちていた。
(うっ…)
ミコトは一瞬、一番古い派生世界について質問しかけたが、口を閉じた。
ルナティアは、初めてこの世界の時間に追いついた異世界なのだという。
それはつまり、他の異世界はすべて、この世界の時間に追いつく前に『再スタート』している可能性があるということ。
世界が古ければ古いほど、『生命の滅亡』と『再スタート』を繰り返しているのだ。
多くの生命が、誕生しては消え、また誕生しては消えていく―― その光景を想像した瞬間、背筋が冷たくなる。
(……いや、知ったとしても…気が重くなるだけだよ。)
知ったところで、何もできない。
真実を聞いたところで、何が変わるわけでもない。
その瞬間に襲ってくるであろう絶望感を想像し、彼はただ視線を落とす。
(他の異世界も全て、ルナティアと同じぐらいに産まれたと…そう思っておこう……)
そして、ミコトはぽつりと呟く。
「しかし、10年前か。」
「まさか、自分より後に産まれた世界だなんて……」
ふと、10年前の自分を思い出す。
そして、その瞬間、思考が重くなる。
(………)
10年前は、家族を事故で失った、人生で最悪の年だった。
ミコトはすぐに考えるのをやめたかった。しかし、それでも脳裏に記憶が鮮明に蘇っていく──
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……休日の朝、陽射しが柔らかく窓辺を照らしていた。家族全員でのドライブに心躍らせながら、父がハンドルを握り、母が助手席で笑い、妹が後部座席の隣からミコトに話しかける。車内には楽しげな会話と音楽が流れ、窓の外に広がる景色が穏やかな時間を映し出していた。
……一瞬の出来事だった。渋滞で車は完全に停止していたのに、鋭い衝撃。視界が揺れ、耳鳴りが響いた。頭が強く揺さぶられ、意識が遠のく中、シートにぐったりとしている家族の姿がぼんやりと目に入った。呼びかけようとしても、声は出なかった。
……病院のベッドで目覚めたとき、薄暗い部屋の中で機械の音が響いていた。体に繋がれた管、腕に巻かれた包帯。動こうとしても、体が思うように動かない。視界がぼんやりしている中、看護師がそっと近づいてくる。「目が覚めましたか。ゆっくりで大丈夫ですよ。」と柔らかい声が、静かな空間に響く。
……上半身を起こせるようになった頃、「…事故でした。ご家族の方は…」と、看護師が静かに説明を始める。
……車椅子に乗せられ、沈黙のまま進む廊下。冷たく静かな部屋の扉が開き、そこには、安置された家族の亡骸があった。声は出なかった。涙も出なかった。ただ視線が彷徨った。
……病室に戻り、一人きりになる。静寂が広がり、時計の針の音だけが響く。ゆっくりと目を閉じると、胸の奥から込み上げる感覚。気づけば、涙が頬を伝う。拭っても、次々と溢れてくる。シーツを頭までかぶり、声を殺した。そのまま、夜が深まっていく。どれほどの時間が経ったのか、わからない。気づけば、窓の外が薄明るくなっていた。涙はまだ止まらなかった。
……そして、葬儀の日。 車椅子のまま、学生服に身を包み、親族に囲まれながら遺影を見つめた。涙は、枯れ果てていたのか、それとも感情が奥底へ沈んでしまったのか。お線香の香りは、今も苦手なまま。
……葬儀の集まりの中、一部の親族が恥も外聞もなく遺産の話を始める。周囲は沈黙するが、気にする様子もなく会話は続く。その場を離れた。聞き続ける気にはなれなかった。
……警察から連絡を受け、何事かと警察署に向かうと、顔も覚えていない親族がいた。すでに法的な権利分は受け取っているはずの彼らが、家に忍び込み家財を物色していたらしい。近隣住民の通報で事なきを得たが、その親族は「まだ何か隠れている資産があるかもしれないから調べている。自分たちにはその権利がある。」と、悪びれることもなく言い放った。最後まで謝罪はなかった。
……中高一貫の進学校に通っていたので、親しい同級生の保護者や、その知人には法律に強い人が多かった。その大人たちが動き、家に忍び込んだ親族に対して法的措置を取れるよう、手続きを進めてくれた。その結果がどうなったかは分からないが、争いが続いていることは確かで、心に重くのしかかった。
……新聞や週刊誌の記者に突撃されることも多々あった。悲劇の主人公として祭り上げたかったのだろう。カメラを持った記者に、家の前に張り込まれ始めると、協力者に助けてもらいアパートを借りることになった。そして、家族の思い出がある家を離れてのアパート暮らしが始まる。そのアパートも、何度か転々とした。
……その後も病院に通っていた。リハビリは頑張っていたと思うが、一番重傷だった足は完治しないと医師に告げられた。静かにうなずくしかなかった。
……野球部を退部し、部室の自分用のロッカーを片付ける。事故の前までは、エースで主力打者だった。片付けをしながら、バットを手に取り、幾度も振った感触を思い出した。ロッカーを閉め、最後にもう一度、見つからないようにグラウンドを見た。
……それからは、元チームメイトが気まずくならないよう、グラウンドに近づかないようにした。校舎の窓から、遠くに見えるグラウンドを眺めることはあったけれど。
……野球ができなくなってから、時間の流れが変わった。声をかけられることは減り、自分からもかけなくなっていった。「また遊ぼう」「また話そう」、その言葉が次第に消えていく。色々と協力してくれた大人たちも、気づけば連絡がなくなっていた。何か特別な理由があったわけではないと思う。ただ静かに、距離が開いていき、今では完全に疎遠になっている。
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記憶の断片が、冷たい波のように押し寄せては去っていく。
ミコトは深く息を吐くと、頭を振り、こめかみの上をトントンと叩いた。
彼にとっての10年は―― 単なる数字では語れないほど重い時間だったのだ。
だが、異世界の時間の流れは、彼の感情とは無関係に進んでいく。




