9th. 魔法研究と実験
屋敷に着き、親衛隊の男が僕を下ろしてくれた。僕は彼に対し礼を言い、彼が全身で歓喜を表すと他の親衛隊の隊員は悔しそうな顔をしていた。そんな彼らに『お疲れ様。ありがとう、次外出するときに護衛、頼めるかな?』と一声かけると彼らは僕を運んでくれたもののように全身で歓喜を表した。ガシャガシャ!と大きな音を立て、『うおぉぉぉぉぉ!』という雄叫びを上げる彼らに何事かと人が集まる。
しかし、彼らの様子を見て『いつものか。』と居なくなる。どうやらこの光景というのはいつも通りのようだ。
最近、親衛隊の隊員が狂信者になっているのではないかと実は少し恐怖心を抱いている。いや、別に彼らのことが怖いってわけじゃないんだ。彼らが僕の言うことを妄信し過ぎるとそれで彼らが死ぬ可能性だってある。
今回の戦争ではこちらの被害は悪臭程度で(しかもそれは自分の攻撃による腐臭)命を危険に晒すようなものはなかった。しかし、それが彼らを狂信者にすることになるのなら、僕はどうにか止めないといけない。
民を守るというのは、貴族の役目だから。
さて、屋敷に入ると、そこにはリリィさんを始めとするメイドたちとヴァイスさんたち執事がお出迎えをしてくれた。
「ただいま。」
「おかえりなさいませ。この度は長いこと出られていましたね。」
「うん。初めに言ったとおり、彼女をスカウトしに行ったんだ。」
「その様子ですと、成功したようですね。」
「うん!これでこの領がもっと良くなると思う。でも、ちょっと疲れちゃったんだ。帰りに関しては親衛隊の人がおんぶしてくれたからうっかり寝ちゃった…。」
「まあ、彼らに任せているのなら問題はないでしょう(彼らは狂信者ですし…)。」
「?…ヴァイスさん何か言いました?」
「いいえ?何も。」
「ならいいんですけど。」
さて、とりあえず自室にでも行って今日はゆっくりしようかな?すると、目の前に赤い髪の少女が現れ、
「アニマ?」
「あ、リット…。」
僕を呼んだ。アニマ・リムル・ワルツェ。先日占領することになったワルツェ領の令嬢だ。彼女はこの領にスカウトした初めての人だ。
しかし、その答え方は彼女の隣にいた人物には不愉快に思えたそうで、
「…アニマ?ここではご主人様と言いなさい。大体あなたは貴族令嬢だったのでしょう?それくらいのことは身に着けているでしょう?」
隣にいたメイド長が叱責する。
しかし、何ともつまらない。
「ご、ご主人様…。」
「ん?何だい?……………メイド長、彼女は使用人ではないよ。寧ろこれからこの領の財産たる人物になると思っていてね。」
「で、ですか彼女はあなた様に…」
「『あなた様』?」
「……………リ、リット様に失礼な態度を取ったので、少々躾ける必要があったと思い…。」
「私は許可を出したっけ?」
「い、いえ…。」
「彼女に、アニマ・リムル・ワルツェに『敬語を使うな』とは言ってあったんだけどね。今回の件はメイド長も悪いし、伝達しそびれた私も悪い。それでやめてくれるかい?」
「は、はい。」
『敬語を使うな』の件は嘘だ。しかし、ここで恩を売るのは必要だろう。少なくとも、使用人との関係にトラブルが発生して彼女が恐怖を抱いてしまえば計画が水泡に帰す。魔法の開発なんかは前々から努力してきた。しかし、独りではどうしようもないことだってあるんだ。それをやっと解決できそうになったのに、それを邪魔させるなんてことはさせないよ?
あなた様という言葉には『旦那様』という意味がある。恋仲でもなければたかが主従関係。必要なものではあるがそれでもこの言葉には大切な何かを感じるため、僕は自分が認めた相手にしかこう呼ばれたくなかった。リリィさんとか。
さて、これからの予定は立てていなかったし、とりあえずアニマを研究室に呼ぶか。
僕は魔法の研究室として使っている地下室にアニマと2人で来た。そこには魔猿の骨格標本と前世の知識で言うホルマリン漬けのようなもの(実際、同じような性質の液体に漬かっている)、散々書き殴られたようなデータと、魔法陣の模型が置いてあった。
「こ、ここは?」
「ようこそ、アニマ・リムル・ワルツェ。ここは私の研究室で元牢獄。僕が改装したんだ。牢はそのままだけど、それでもいい感じの部屋になってるんじゃないかな?」
「何というか、研究室って結構物騒なんだね…。猿の死骸があるし。」
「ああ、あれは魔猿っていう魔物なんだよ。」
「…!?魔物って、あの動物だよね?」
「まあ、あのがどれを刺すのかは微妙だけど、その魔物だね。で、ここでの研究はぶっちゃけ、私と君くらいでしかできないんだ。」
「それって?」
「まず君には、『全属性魔法使用権限』があるんだ。」
「魔法は全部使えるってこと?」
「そう。理解が早くて助かるよ。で、私も同じなんだ。」
「ということは、私をスカウトした本当の目的って…。」
「騙すようなマネをしたのはここで謝るよ。建前上の理由も正しくはある。実際、この領に学校を作るという目的自体はあるわけだし。…でも、君が傷つくようなことは一切ないということだけは保証するよ。」
「…分かったわ。ちょっと騙されていたのはショックだったけど、そういう理由なら喜んで協力するわ。」
「ありがとう。…実は屋敷の倉庫を見てたらさ、魔鉱石が大量に見つかったんだ。…とりあえず、まずは『立体魔法陣』を作ろうか。」
「え、えぇぇぇぇぇぇぇぇ!?人間には不可能だとか言われているあの意味分からない魔法じゃん!まだ魔法を発動したことすらないのに!」
そう。確かにアニマは今まで魔法を発動したことはない。それはこの世界の魔法が使える年齢が適正魔法を調べてからだと認知されているからだ。偶然にも魔法が使えるようになった僕だからこそ気付けたことだけどね。
とはいえ、今欲しいのはアニマの魔法に対する好奇心が高まることだけだ。この研究所に必要なのは限りのない好奇心と魔法への探求心だけなのだ。
正直、2人だけでは魔法の開発が追い付かないということも考えているから研究所の人員増加については追々やっていくこととする。
ここの牢獄は時間の歪みが発生する。単純に寿命が長くなったかのような状態だ。現実世界での1分が、こちらでは20分程度になる。20倍の時間ここで作業できるというのは明らかに時間削減と長期間の研究に役立つんだ。現実世界にいればあちらの世界での時間経過は20倍で進むわけだから、魔法を開発するにあたって必要な時間をいくらでも確保できる。最高だ。これで魔物の体の研究もできればいいんだけど…。
まあ、実際この牢獄内の空間は『立体魔法陣』によって時間が歪められている。当たり前だろう。常時魔法を維持し続ける機構なんて、今のところそれしか見つかっていないんだから。この機構自体はこの屋敷のガラクタ置き場に転がってあったんだ。まあ、これのおかげでいろいろと活用できて嬉しいというのが1つ、そして分かった点が2つ。
1つ。この魔法の影響下において、生物の生の時間が引き延ばされる。効果範囲はおおよそ20倍。
1つ。この魔法の影響下において、生物以外の時間は外界から観測すると20倍の速度で進行する。
この機構によって、研究に必要な馬鹿みたいに長い時間を短縮できた代わりに、この魔法を行使したときの反動は本当に、大変重かった。
魔力切れで1日はほとんど真面に動けなかったし、けれど、それだけで済んだのはある意味奇跡かもしれない。
この世界の裏設定としては、『大魔法』と物語で語られる魔法を使用すると最悪の場合魔力だけではなく命まで吸い取られて死に至るというものがある。例えば、この世界で魔族の王を倒した勇者の仲間とされる賢者が『魔王の護り』を破壊するために放った『聖善』魔法。その魔法は既に伝わっておらず、歴史の闇に葬られたという。賢者が己が身を犠牲にして放った業だ。勇者もこの魔法の正体にある程度勘づいていたのかもしれない。
簡単に言えば、自爆魔法だ。自分の命を代償に絶対に避けられない確定命中の呪いとも呼べる魔法を放ったのだ。実際、この魔法は魔王の護りを破壊することに成功した。無論、僕が使ったそれも『大魔法』と言われるものだ。
魔王の護りについてはその内話そう。
さて、早速魔法の研究でも始めようか。
とはいえ、一番初めに『立体魔法陣』を作るというのは、いくら天才的な才能を持つ彼女でも難しいのか。僕はアニマの魔法習得について軽く手解きをする。まあ、魔法というのがイメージだということを随分と端折った感じで伝えた。イメージについては僕のそれを伝えては彼女が自ら考えるという力が付かないと考えたからだ。
しかし、その懸念は杞憂に終わる。
「あ、出来た…。」
アニマは『火焔』魔法を使うことができたのだ。しかし、この牢獄内では火焔の魔法は危ない。他のものに引火すれば一酸化炭素中毒になる危険性はもちろんあるし、彼女は初めて魔法を使ったこともあり制御が上手くできないかもしれない。消せなかったら僕が何とかしよう。
「アニマ、魔法を消せるかな?」
「えっ?…あ、消えた。」
「なるほど、魔法のコントロールはある程度できるみたいだね。魔法についての基礎知識はノートに纏めてあるからそれを読んでおいてほしい。あとは、ここで魔法を作るからそれを見てどこか気になるところがあったら教えて?」
「わ、分かった。」
僕は魔鉱石を削り出す。この物質は魔力によって硬度が変化する。魔力を多く込めれば込めるだけ硬くなるが込め過ぎても割れてしまう。魔力を込めていなくて柔らかいうちに加工するのが吉だ。何事も、加減が重要だ。魔力を込めるのは加工した後でも良い。魔力を込めても体積に変化は一切ないからだ。それに、魔力を一度込めればその後は魔力を自動で作り出して回り続ける永久機関のようになり硬度を維持してくれる。魔力によって硬化させるのは一度だけでいいというのが魔鉱石の利点だ。
まあ、実は『立体魔法陣』って魔鉱石出なくとも作れはするんだけどね。一番低コストで作りやすいのがこれってだけで、高価すぎて真面に貴族でもお目にかかれないオリハルコンとかヒヒイロカネとかなら一応『立体魔法陣』が作れるけど、流石に加工する技術力がそこまでないからね。歯車を作るだけでも重労働だし。
歯車の歯を削り出す作業はいつになっても緊張する。あれ?加工したことはあったか?なんていうどうでも良いことはできる限りスルーして、寸分の狂いもなく削っていく。魔法によって少しずつ。目測で測りきれないほど小さなものは魔法によってより正確に削っていく。流石に他の人より数倍以上多いとされる魔力を持っていたって、全部の作業を魔力で行えば到底足りない。初めは手作業で済ませ、魔法で行う。歯車が1つ1つ出来上がっていくが、その時僕が書いたノートを呼んでいたアニマから声がかかった。
「この歯車をどうやって魔法に使うの?」
「これは魔法の触媒なんだ。何度も何度も魔法が使えるように。」
「でも、魔法って1回使えばいいじゃん。ここには1回使えば覚えられるって…。」
「うん。良いことに気付いたね。実はここ、1つだけ例外があってね。短く言うと『立体魔法陣』は僕らが覚えるのには脳の容量が足りないんだ。」
「…ってことは、それが脳の代わりになって魔法発動を手助けしてくれるってこと?なんか気持ち悪いわね。」
「…常々思うけど、理解が早くて本当に助かるよ。気持ち悪いはちょっとあれだけど…。」
「でも、これってそんなにすごい魔法なの?」
「いや?まだこの魔法の効果自体は決まっていないよ。」
「じゃあなんで作ってるの?」
「アニマが案を出してくれたら、理想の魔法っていうのが作れるんじゃないかなって。」
「理想の魔法…!いい響きだわ!」
やはり、非常に頭が切れるが彼女も少女だ。『理想』という言葉はそこまで心に刺さるのだろうか?僕にはわからない。それとも、自分がそれを作れるという理由との相乗効果だろうか?まあ、それについてはどうでも良いけど。彼女が魔法に興味を持てばそれだけでいい。
「じゃあ、例えばこの魔法にどんな力が欲しい?」
「そうね…例えば、考えをすごく早くする魔法とか?同時に2つのこととか考えられる魔法も良いわね!掃除しながら料理の献立について考えたりできるもの!」
「随分実用的で家庭的な魔法だね。じゃあ、それを作ろうかな?流石に、2つ同時に考えるというのはイメージしにくいな。アニマ、そのイメージってある程度できる?」
「え?多分出来るわよ?」
「魔力は肩代わりするから、ちょっとイメージをしながらこの魔法陣に触れてくれる?」
「分かったわ!」
ここまでの会話と作業について見て居たら、アニマの適性について良く分かった。
彼女はイメージに対する表現力があまりにも富んでいるということだ。想像力が豊かで済まされる話ではなく、全属性魔法使用権限を持つからこそできる柔軟な発想。しかし、この魔法を既存の属性のカテゴリーに入れるとすれば、いったいどこに分類されるのだろうか…?
まあ、実際できてから考えよう。
アニマが魔法のイメージをすることで僕の魔力が魔法陣に引っ張られる。対抗しようとはせず、ゆっくりと魔力が抜かれていくのを感じる。しかし、今回はもうそろそろ終わる。また倒れるようなことが無くて良かったと思った。
そこにあったのは5㎝の立方体のようなものだ。歯車が透明なケースの中に何十も敷き詰められていて魔力を流すことで回るのだろう。
「出来たかもしれない!」
「やったぁ!」
これには僕も驚きと喜びを隠しきれなかった。この魔法というのは後に『魔力超高速処理回路』と命名しリットの切り札と呼べる代物となった。しかし、実験をしていない僕がそれを知るわけもなく、実際にその魔法を使うことにした。
「魔法の発動条件は?」
「あ~、決めてなかったわ。とりあえず魔力を流すことで発動してみましょう?でも、これの名前はどうするの?」
「分からないけれど、とりあえず仮の名前はこの効果を検証してから決めようよ。」
「それもそうね。私のイメージは完ぺきだったはず。まあ、魔力消費量がどうなるのかは魔法の規模によるって書いてあったから不安だけど。」
「小規模で一度使ってみようか。」
そういって、僕は魔力を少量流す。すると、手の中で歯車が回り始め、そこから放たれる魔力のようなものは僕の中に入り込む。脳に接続されるようにそれが動くと、僕はおかしなものを見た。
『「すごい!2つのことが同時にできそうだ!魔法が使えたりするのかな?でも、魔力消費量が多すぎる。」』
しかし、接続している際の魔力消費が思ったより多い。アニマは魔力量が他の人よりも多かったはずだし、彼女にも使ってもらおうかな。
「ふぅ…。」
「どうだったの?」
「これ、エグイ。」
「?…ちょっと使ってみるわ。」
すると、アニマは自分の感覚が2つになったその違和感に笑みを浮かべた。
「エグイっていった意味がよくわかったわ!これ、魔法も同時に使えそうよ!」
「私が試そうとしたことをよく考えたね。」
「でも、魔力消費が多いのがね…。」
「まあ、少なくとも2つの考えっていうのに慣れないとね。脳がいくつあっても、最終的にそれを制御できないとパンクしちゃうよ。」
「そうね…。」
この後、魔法の魅力に憑りつかれたアニマが、僕らが疲れ切って研究室を出てすぐに2人して居眠りしてしまうまで魔法について語り続けた。しかし、外の世界にいた彼らからすると、僕らは1時間程度しか研究室にいなかったという…。『20時間も話し続けていたらそりゃ倒れてもおかしくない』と後でアニマと反省したが、悪戯が成功した子供みたいな笑みを彼女が浮かべていて、『まあ、これでも良いのかな?』なんて僕は考えていた。
助手という言葉よりも適切な言葉があるとすれば…。
妹ができた気分だ。