1st. 目覚めと把握
2023年05月22日
変更点:違和感のある会話などの描写の修正。
目を醒ますと、そこには目を疑う光景が広がっていた。
明らかに日本ではない、長閑な牧草地帯。一突きされれば熊ですら即死しそうな程鋭い角を生やしたウシが僕を囲っている。対して僕の見た目はどうだろう。貴族らしい若干綺羅付いた煌びやかな服に身を包み、それは自分が高位な存在であるということを象徴しているかのようだった。しかし、そんな自分はこの状況下において誰にも助けられる気配がない。
自分が異物であるかのように、自分自身の中に他の人間の記憶が入り込んでいる気持ちの悪い感覚だ。
(捨てられたか…。)
自分はそう分析した。しかし、オオツノウシ(仮称)は僕を物珍しそうな目で見ているだけだ。襲う気が全く見られない。自分は首を傾げる。
(そもそも、喰うことが目的なら寝ている間に喰えるはずだしな。)
彼らが自分を襲うと言った可能性が低くなったと考え、僕は立つ。
「リット様!」
後ろから声が聞こえた。メイド服に身を包み、身体的特徴が分からなくなっている少女だ。確か名前は…リリィと言ったか。メイド服というのは本来主を欲情させないようにするためのモノだとか。そんなことを思い出す。しかし、ここではそんな知識が要らないものだと破棄する。
貴族の挨拶の仕方など僕にはわからない。だから僕は記憶にあったいつも通りの受け答えをしようと思う。
「どうなさいましたか?えっと、リリィさん?」
「えっ!?わ、私の名を呼んでいただけるなんて…!ああ主様!感激の極みでございます!」
メイドの少女はリリィという名前で、確か僕のことを助けてくれる人だったはずだ。信じても問題ないはず。しかし、そのまま今の状況をゲロっても問題があるだろうから記憶喪失という体で進めていこうかと思う。
「…失礼。実は先ほど頭を打ってしまったのかほとんど記憶が残っていないのです。」
「なんと…!?」
「ですから、私にここについてご教授願いたいのです。」
「承知しました!」
『僕』と話す方が自然な筈なのに、何故か『私』の方がしっくりくる。
オオツノウシ(仮称)はリリィさんの言葉に従うようにして僕を囲うのを辞めた。リリィさんはこのウシたちの飼い主のようなモノなんでしょうか。
やれやれ、記憶容量不足の所為で色々抜け落ちてしまっているようだ。もっとこう…日本にいた時の記憶がほとんどないようだ。しかし、これだけは鮮明に覚えている。
『マジック☆ラヴシューターズ!』という恋愛ゲームだ。しかし、こんなメタい話をしたところで、リリィさんは信じないだろう。ある種僕の狂信者的存在になって全て信じる可能性はあるが。
その知識によると、リットという人物は…『悪役令息』。主人公たちに敵対する存在だという。正直、僕自身の能力は人並み以下と言ったところだが、リットは全魔法適正持ちで超ハイスペックという設定がある。一般より上くらいにはなれるかも知れない。しかし、性格難と家族を作ることに対しての異常なまでの執着を持っている。
性格難などについての裏設定は描かれていないが、家庭内トラブルについての描写は存在した。家族を作ることへの執着も、家族に対しての何か大切なモノを再び手に入れたいからだと考察されていた。しかし、そこが描写された試しはない。
屋敷に着くと、出迎えは誰もおらず、屋敷に入れば精悍な顔立ちで身なりが整った男性が僕に対して殴りかかってきた。が、食らうのは気に喰わないためそれを避ける。バルトは僕の父親だ。つまり、十中八九家庭内トラブルによる精神汚染による性格難があったのだろう。反吐が出る。
「確かあなたは…ああ、バルト伯爵ですね。今日も元気がよろしいようで。」
「なんだ?いつも何もしてこない丁度いいサンドバックだったくせに。」
「突然実子である私におふざけとはいえ暴力を働いたのです。王国法では家庭内暴力は厳しく取り締まられますよ?」
「テメェ…。」
「おやおや、貴族ともあろうモノが私のような小僧一人に言い負かされるなどとは世も末ですね。可及的速やかに爵位を返上なさいませんか?」
「…貴族という括りで無くなれば、一族郎党処刑されるが?」
バルト伯爵は小心者だが亭主関白としてゲーム内では有名だ。家族に対しては平気で脅しをするしメイドにセクハラすることなんてザラにある。リットが死亡するルートは大体がこのバルト伯爵の巻き添えを食った時だったりもして、僕は彼を蹴落としつつも処理する方法を考えていた。
しかし、彼に対して怒りを覚えていたのもまた事実。大した関わりはないが、中身が違くともリットであるならばこれくらいの小さな煽り文句くらい入っても問題はないだろう。
「貴族たるもの、誇りを持つべきです。国王陛下より賜りし責務を果たすために命を捧げるべきです。返上し処刑されるならばそれは本望なのでは?国王陛下へ、国へ命を捧げることが出来たのです。あなたのような出来損ないな無能には誇るべき偉業です。その責務から逃げ、領地の経営を赤字にさせた挙句、私へ虐待のような仕打ちをし、あたかも正当な躾のようにして逆らえないような教育をしたのはどこのどなたでしょうか。」
「ぐっ…。」
「話になりません。さて、リリィさんにいろいろなことを教えていただかなければならないので私はここで失礼します。」
散々煽り散らかして僕はバルト伯爵の横を素通りする。リリィさんは頭を下げてから僕に付き添い、バルト伯爵は唖然とした表情で石のように固まっている。僕の中のリットがグーサインを出した感覚があった。そして彼は思い残すことが無いといった表情で今までの記憶を置いて行って消えてしまった。
いや、それが本当にリットだったのかが怪しい気もしてしまうが。
「…!?」
突然頭痛のようなモノが走りバランスを崩しかけたが、特に何事もなかったかのように態勢を立て直した。リリィさんはそんな僕に対して心配そうな表情を見せていたが、『別に問題ありませんよ』と一声かけると安堵した表情になった。
取りあえず、僕がこのリット・メルト・ヴランディアに与えられた使命…『悪役令息』というヒールになることはリリィさんに伝えないといけないな。この屋敷を見る限り、ほとんどの人は僕の敵だと考えられる。リリィさんは僕に対して親切に接してくれている。だから、彼女にだけは知っておいて欲しい。
3年生のイベント『ヒール追放』で僕が学園から追放されることを。
この世界は簡単に言うと恋愛ゲームの世界。主人公は男Ver.と女Ver.がいて、それぞれの主人公が干渉しあうことによって進んでいく。選んだ方の主人公がハッピーエンドを迎え、選ばなかった方の主人公が闇堕ちして処刑されると言った最低な内容だが、そんな悲劇の主人公を両方救うことが出来るシナリオもあったため、そこに至るまで何十時間と遊んだものだ。
と、この話しはそこら辺で一度切ろう。問題は、僕が転生したリット・メルト・ヴランディアだ。
僕は男Ver.の主人公を設定した際に現れるボスキャラで、女Ver.の攻略対象になる。男Ver.の主人公の時は嫉妬を拗らせて悪魔に憑りつかれ、そのまま女Ver.の主人公を魅了する。女Ver.主人公が彼に憑いた悪魔を払うことが出来ればリットルート攻略が出来る。また女Ver.主人公を選び、とある人物を攻略した上に両主人公救済シナリオにシフト変更した時のラスボスだ。先ほど言った通り、全属性の魔法適正を持っている上に魔力のステータスが他のキャラの5倍ほどはある。そんなバカ高い魔力を生かして全体即死魔法を使ったり、超強力単体魔法攻撃を使ったと思えば急に剣に持ち替えて異常な攻撃力の剣撃を使ってくる。女Ver.の時はリットを攻略するだけでヌルゲーと化すその惨状にシナリオ無視のTAでリットを攻略するプレイヤーもいたとか。恋愛ゲームでTAってどういうことだよ…。
そんなことを考えていると自室に着いた。自室の中は仄暗く、生活感が全くない上に乱雑に置かれ過ぎた教科書や魔導書の他にメモが張られているノートがあった。
両親に愛されない苦しみを勉強に向けていたのか。だからあれほど…。
リットがどれほど苦しい思いをしていたのかを垣間見た僕は顔を歪めていたのかもしれない。リリィさんが心配そうな顔をしている。『さ、入ってください。』僕はそう言ってリリィさんを自室に入れる。
リリィさんを木の丸椅子に座らせ、僕はベッドに座る。
そして近くに誰もいないことを確認してから話し始める。
「さて、ではまず、私が今、どういう状況かを話します。」
「はい、お願いします。」
僕は大きなため息を1つ付き、息を大きく吸うとこう話し始める。
「まず、今の私は恐らく、昔のリット・メルト・ヴランディアではありません。全く別人が入り込み、リットの記憶と他の人の記憶を持つイレギュラーになっています。」
「イレギュラー…ですか?他の人の記憶って…。」
「そう。転生なんかに近いと考えられます。昔のリット・メルト・ヴランディアはおそらく消滅しました。」
「そう…ですか。」
リリィさんは悲しげな表情を浮かべ、メイド服のスカートを握った。皺くちゃになってしまったそれを見つめ、考え込むようにしてから、彼女はこう言った。
「でも、私は大丈夫です。どちらにせよ、今私が使えるべきお方はリット・メルト・ヴランディア様であり、その中身がどう変わられたとしても、その忠誠が揺らぐことはありません。」
「…ありがとうございます。」
「少し気になることがあるのですが、よろしいですか?」
「どうぞ。」
「それを何故、たかが1メイドである私に教えてくださったのですか?」
それを始めに聞いて来たか。僕は話が早く進むことに感謝した。
「実は、私はこの世界に酷く似た物語を記憶に持って居るんです。」
「…仰っている意味が良く分かりません。」
「まあ、簡単に言うと、そこの世界通りに行くと、私は学園に行き、その後で悪役令息として全力でヒールを演じる必要があるんです。」
「ヒールを…演じる?」
「そうです。私はその物語だと色んな要因の所為で歪んでしまい、最終的に物語の主人公と敵対してしまうんです。」
「では、それを避けるようには出来ないのですか?」
「それをあまりしたくはないんです。」
「どうしてですか?」
「問題は私がヒールにならなかったケースの話をする必要があります。私がそうならないと、傷付く人がいるんです。」
「…それは誰ですか?」
「さあ、誰でしょうね。それについては今の時点で話すことはできません。」
この時点でこのことについては話せない。しかし、僕がヒールにならなければならない理由の1つに、物語最重要キャラクターが関わるということだけはここで言える。
「ともかく、私のプラン通りに進むならば、私は学園に入って3年生までそのまま進学できます。で、そこで将来の婚約者に婚約破棄され、私は追放されます。」
「そんな…!?」
「まあ、私にデメリットは大きいのですが、問題はその後です。」
「後?」
「ここからが私の、リットの面白い物語が始まるんですよ。」
僕は笑って事の詳細を話した。リリィさんはそれに目を丸くして、その後に笑った。
条件次第ではリットは悪役から主人公へ返り咲ける。
リットは、追放されてから主人公になる男なんだ。
話を終えた僕らは部屋から出るわけだが、先にリリィさんに出ていってもらった。この行為はこの世界で言う『性行為をしていない』という意味になる。他のメイドたちに僕とリリィさんが関係を持ったという疑うを持たれては後に悪影響を与えてしまう。
このゲームは恋愛ゲームである上に男女の性行為についての軽微な描写があり、汚い話ではあるが童貞処女でイベントに差異が生まれてしまうのだ。リリィさんはこの物語に影響を与えるキャラクターの一人だ。プラン通りに進めなければこちらが追放された後のルートに影響が出てきてしまう恐れだってある。
また、『性行為をした』と認識されればそれに沿って物語が進んでいくのも事実だ。この物語はそう単純ではない。イベント同士の絡み合いが非常に複雑化し過ぎて全キャラ攻略に三、四百時間はかかった。
攻略だけだ。まだまだイベントは制覇できていない。
…ルートなんて、いくらでも変化できるさ。
大丈夫。まだフラグは立たない。
僕はそう判断し、今までの自分が書き記してきたノートを読み返すことにした。