暗示や催眠術が当然のように存在する世界で、生きて恋をするのは難しい
「…近年は暗示詐欺の増加が顕著になっています。それではこちらのデータをご覧下さい…」
平凡な大学生の私は、夜、ぼんやりテレビを見ていた。
「オレオレ詐欺、業者へのなりすまし、それらよりも被害件数が未だに多いのが、暗示詐欺という状況です」
私は、自分が暗示が得意かわからない。
だって、暗示は人を殴るようなことだから。試しに家族に暗示をかけてみよう、とはならない。
しかし、暗示は暴力的な行動ではないため、喧嘩になっても「カッとなって暗示をかけました」とはなりにくい。なので、潜在的に暗示に向いていても、暗示が得意であると気づいていない人も多い。
「暗示の特徴を再確認してみましょう」
テレビの画面が切り替わる。
・暗示には道具が必要。→5円玉や暗示用の絵、指先を向けられたら目をそらす
・たいてい5分、長くても30分で解ける。
・未遂の場合、証拠が残りにくい
・身体的接触により解ける。
・複数人が同時に暗示にかかることはまれ。
・軽いショックや大きな音でも解けやすい。→電流が流れるスマホや財布で対策可能
私のスマホも電流が流れるタイプだ。
ピリっとする慣れ親しんだ感覚を覚えながら、チャットアプリを開く。
ゆこ:ご飯何時くらいがいい〜?
なぎさ(私):夕方ならいつでも
ゆこ:わかった、
ゆこ:じゃあ6時ね!
ゆこ、先週の授業で隣の席だったので仲良くなった子だ。明日は一緒にご飯に行く予定だ。ゆこは、距離の詰め方が若干早い感じがする。でも、頭もいいし、レポートでは結構助けてくれるのもあって、私は仲良くしたい。
翌日、私は授業後の時間を、親友と話しながら過ごしていた。
「医学部は来週も試験なのね」
「また?試験多いなー」
「何もこんな時期にやらなくてもね。なぎさはいいよね、後は期末だけでしょ?」
「いや、そのかわりに期末が結構多くって。テスト前に暗示かけてもらって、頭良くなったりしないかな」
「そんなのに頼ってたら、ばかになると思うね」
「どうせまなよりバカですよ」
「うん、ごめんね」
「誠意が感じられない」
「だってなぎさ、ものをすぐに無くすじゃん」
「それは関係ないよ」
親友、まな。小学校から大学までずっと同じだ。半分くらいを緑に染めた髪の毛。見た目からして、ちょっと変な子だ。まなは医学部なので、最近はここ図書館で勉強ばかりしている。ちなみに私は近くで本を読んでいる。
「しかしなぎさに友達ができるとはね。私は安心したね」
「余計なお世話だよ」
「これからその友達と食事行くんだったんね?時間大丈夫?」
「あ。そろそろ行かなきゃ」
手早く本をしまう。
「じゃあね〜」
「また」
「おまたせ〜!ちょっと待ってた?」
「いや、まさに今来たとこ」
ゆこはお洒落な子だ。今も午前中の服装から着替えて来ている。私と会うため?いや、流石に他に何かあったんだろう。
お店で料理を頼む。
「おまたせしました」
美味しそうな料理に、ゆこはカメラを構える。シャッター音が数回鳴った後、ふと彼女はこちらにカメラを向ける。
「え、ちょっと」
「なぎさちゃんはかわいいね〜」
「変な顔になってない?」
「大丈夫、ほら」
全く、リズムの独特な子だ。
「うん、美味しかった。ところで、ゆこ様、まとめノートの方を…」
両手を合わせて拝む。私は授業中寝ていたので、課題用に借してほしいと言っていたのだ。ゆこは恐らく課題も終わっているのだろうし。
「あ!」
カバンの中を探って、ゆこは顔を上げる。
「課題明日までだっけ?家に置いて来ちゃった…」
レストランを出て、私たちはゆこの家に向かっていた。私は写真を送ってくれれば良いと言ったのだが、ゆこは家も近いし、と反論する。さらにマンガもついでに貸してくれるという誘いに、結局のところ私は乗った。帰り道の話し相手でも欲しかったのだろうか?
「玄関で待ってて〜」
私は明日も忙しく、長居するつもりもなかったので、立ったまま待つことに。
「おまたせ〜!」
ゆこはノートだけを持ってこっちに駆け寄ってくる。
「あれ、マンガは?」
「何冊くらい貸せばいいかな〜って思って。いきなり全部は重いでしょ?」
「うーん、そうだね。5冊とか?あれ、このノートで合ってるっけ」
「合ってるよ〜、一応確認してみて!」
「ゆこは間違えた前科があるからな…」
ノートを開くと、まず上に課題の単元が書かれていて、その下に謎の図形。んん?何の図形だろうか。今回の授業こんなのあったっけ?しかし、上には単元名があるし…?
「見てるね見てるね〜。はい、あなたは私の命令に従わなければなりません」
あれ、何か変だ。
「そのままノートの次のページをを確認して、見続けてください」
新しいページにはさっきと別の図形が。
「では、あなたのスマホを渡してください」
ポケットから取り出して渡す。
「ロック解除の仕方を教えてください」
暗示対策として、私は数字ではなく、教えにくい、点を結ぶものをロックにしている。だから、解除の方法は教えても大丈夫…大丈夫?
「左上、上、右上、左、真ん中、右、左下、下、右下の中から答えてください」
暗示はこんな複雑な命令はできないから、これは暗示ではない。教えても大丈夫。
「左上、上、右上、右」
「番号じゃないからってこんな簡単なのにしちゃって…これじゃ危険だよ〜?まあ、一緒にいたのに全然見せてくれなかったから、こうして聞かないといけなかったんだけどね〜。じゃあそのままノートを見続けて下さい」
はい。ゆこの言うことだし、そうする。
「画像フォルダっと。あれ、まなってフォルダがあるけど、お友達?」
「うん」
まな。今も図書館で勉強してるのかな。
「あ、鍵垢あるじゃん〜!結構投稿してるね〜、なになに、今日は新しい友達と食事デート、お洒落な子だから自分の服装が心配!え〜、照れちゃうな〜、相思相愛?」
私も恥ずかしい。
「では、次にあなたは鍵をこちらに渡してください」
ポケットから取り出して渡す。
「あなたは合鍵を家の中に置いていますか?」
「はい」
一本だけ置いている。頷く。
「では、その場所を教えてください」
「ええと、入って右手にある机の、一番上の引き出しの中です」
「ありがとう、なぎさちゃん。では、ここに腰を下ろして壁に寄りかかってください」
言われるように動く。
「それでは、あなたはだんだん眠くなる。あなたはだんだん」
とても眠くなってきた。
ピリリリリ!はっ!?これは私のスマホに着信!?表示名はまな!え、私は暗示にかかっていた!?
「ごめん!」
私はスマホと鍵をゆこからひったくって、外へ逃げる!
ただ全速力で走る。ゆこから逃げる。なんで私は最後に謝ったんだろう?ゆこは私に暗示を、催眠術をかけた!私は、完全に言いなりで、それがとても心地よくて、まなからの電話がなければ、私は鍵を渡したままだった!合鍵を盗まれていた!
「なぎさ、聞こえるね!?」
電話から声が。そうだ、電話がかかって来ていたんだ。
「まな、図書館にいる?」
「いるけど…」
「今から行くから、待ってて!」
「ちょっと、なぎさどうして」
「後で説明する!」
私は電話を切った。脳裏に浮かぶのは昨日のテレビで見た一文。
『未遂の場合、証拠が残りにくい』
私には、ゆこを責めることはできない。ゆこは私と違って友達も多い。私が彼女を避けようとしたら、彼女の友人はどう思うだろうか。それがとても恐ろしかった。とりあえず、今はまなに出会って安心したい。
後ろから足音が聞こえる。必死で走って、この信号で振り切れる!
最後に何か、後ろから声が聞こえた気がしたけれど、間を通るトラックで内容は分からなかった。
「まな、待っててくれたんだ」
「…うん」
まなは図書館の前で本を読んでいた。
「私、ちょっと暗示をかけられちゃって。まな」
「…大丈夫だったのね?」
「怖かった!」
そう言ってまなに触ろうとしたけれど、あれ。まなの持ってる本に、見覚えのある図形が…
「はい、あなたたちはそっちの暗がりに移動してください」
いるはずないゆこの声が聞こえて。私は渡されたノートから目が離せないまま、移動した。
そう、全然本から顔を上げようとしないまなを、少しおかしいと思ったんだ。でも、それはもういい。もう、私は逃れられない。
「そんな悲しそうな顔しないでよ…はい、じゃあなぎさちゃんは、鍵を渡してください」
鍵を、渡す。
「まなちゃんは、もう帰っていいよ。まなちゃん、ここであったことは、辻褄の合わないことなので、全て忘れてください」
「…はい」
まなが、遠くへ行ってしまう。やっと会えたのに。また私は、一人になってしまうのか。
歩いているまなが、突然振り返った。
「なんてね!」
まなは急にスマホを取り出し、画面をゆこに見せつけた!
「ゆこさん。よくもなぎさを操ってくれたね!」
「そんな、私の術が、きいてない!?きいてなかった?そんなの聞いてない!」
「ゆこさん、この画面から目が離せそう?」
「うっ…なに、これ!?こんな…私より強い暗示なんて…」
「ゆこさん、なぎさに、鍵を返してあげてね」
「…はい、どうぞ」
「じゃあ、ゆこさん、今日は家まで帰ってね。今日のことは、また話しましょう」
「わかりました、そんな、さようなら」
まなは、私を見て、あくどく笑う。
「大変だったね。今日は私が送ってあげるから、一緒に帰ろうね」
私は、安心で泣き出してしまった。彼女と同じ暗示を使える人なのに、まなはとても優しかった。彼女は幼なじみだし、絶対に大丈夫。
帰って、机の中の合鍵を取り出し、場所を変えた。使っていない棚の上に、ぽつんと置かれた鍵。こんなのは、貸してくれた大家さんに返すべきなのかもしれない。
ある日、私は歴史学の授業を受けていた。
「…戦国武将の会談での暗示は当時も懸念されていたことであり、それを避けるために衝立が多く用いられていた。また、目を隠すような…」
私は、これからも、暗示のあるこの世界で生きていかなければならない。授業を聴きながら、ぼんやりとそんなことを思っていた。ふと思いついたことがあり、賃貸の大家に電話する。
「合鍵を作って、貸してもらったのって、一本でしたよね?」
「いや、二本だよ」