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30話:ご令嬢、2人

「えぇと……よろしくお願いします、アシュクロフトさん」

「お互いに災難でしたわね。よろしくお願いします、スライさん。それと、ここからはエスメラルダで構いませんわ。アシュクロフトと言ったら、家族がみんな反応してしまいますから」

緊張でガチガチのアンジーに笑いかけながら、エスメラルダはそう言った。アシュクロフト家の家紋が入った、馬車に乗り込む直前のことである。最初はアンジーとエスメラルダだけが馬車に乗り伯爵は馬でついていく予定だったが、アンジーからの懇願で伯爵も乗ることになっていた。新婚約者と旧婚約者の2人きりは気まずいと言われ、伯爵もなし崩しに巻き込んだのだ。

「その旧婚約者の父、も乗るのでは大差ないのかもしれないんじゃない?」

「2人きりよりはいいかなって……」

彼はアンジーに危害を加えないことを王の前で約束してあるし、何より愛妻家であることはかなり有名だ。

『アシュクロフト夫妻といえば、夫婦円満の代名詞。なのにその娘であるエスメラルダは、な……結構凹む』

とは、猫達と戯れている時にぽろっと漏らしたアルフレッドの台詞である。襲撃から守ってもらうための滞在とはいえ、噂の仲睦まじい夫婦が見られるかもしれないというのは、少しだけ楽しみだった。

「まぁ、いいや。アシュクロフトの名において、アンジー・スライ嬢、きみの安全を保証するよ」

「よろしうお願いします、伯爵様」

ぺこりと頭を下げて、エスメラルダとアンジーが乗り込む。最後に伯爵が乗って、「出してくれ」と御者台に続く窓を叩いた。ムチの音がひとつ鳴って、馬車が出る。乗合馬車と違って、あまり揺れないのがさすがだとアンジーは思った。

「エスメラルダ、スライ嬢。今から風繭を作るから、窓の外は見ていいけど手を伸ばさないように。怪我するかもしれないからね」

「風繭?」

授業で習った魔法には、そんなものはなかったはずだ。そう思っていると、教えてくれたのはエスメラルダの方だった。

「お父様の魔法なんです。風を何か……この場合は馬車ですわね。馬車を包むように吹かせるんです。私達はもう慣れてますが、少しうるさいかもですね。いつでもかまいたちになれるような風が吹いてる状態ですから、危ないんです」

「そ、それはすごいですね…!?」

アシュクロフト伯爵と風の精霊が、《力》による使役だけでなく単純に仲良くしているからできる魔法のひとつである。普通の術者なら、風の盾を馬車一つにかけるようなことをできたとしても長時間はできない。魔力消費が激しすぎるのだ。しかし、伯爵は涼しい顔をしていた。貴族として魔力が多いことを勘定に入れても、中々他の人ができるものではない。

「建物ひとつ囲んでた時に比べたら、軽い軽い。たまには、父親らしくかっこいい所も見せないとね」

「お父さんってのは、すごいんですね……」

アンジーのその言葉には、父親を持たない彼女の純粋な憧れがあって。エスメラルダは、少し微笑ましく思って笑みをこぼした。

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