ファーストキスは私の物
私はシャロル・ラインハルト公爵令嬢。
公爵邸の奥行きのある広い部屋の一角で紅茶とケーキを頂きながら先程から来ている異母妹の相手をしています。
「エンリ、今日は婚約者が来るから悪いのだけど帰って貰えるかしら?」
美しい容姿にさらりと風に流れるパールピンクの髪とトパーズの瞳の異母妹であるエンリに言います。
「私もお姉さまの婚約者見たい~」
エンリは甘える様に言います。
エンリは公爵家に昔勤めていた使用人とお父様の間に出来た子供なのだと言います。
しかし、お父様が認知しなかったため公爵家ではありません。
エンリの母親も娘同様に美しい容姿をしていたため、ブリュッセル伯爵にめとられたと言うのでエンリ・ブリュッセル伯爵令嬢と名乗っています。
彼女の非常識な行動は学園でも目立っていましたが、遂にはこうやって公爵邸に遊びに来るほどまでに悪化しておりました。
お父様に報告すると同年代のお友達が出来て良かったではないかと何とも人の良い返答が帰って来た事でエンリが訪れる回数が増えてしまいました。
「本当に時間になってしまいますから」
「わかりました……明日も来てもいいでしょうか?」
「ええ、良いわよ」
本当は駄目と言わないと行けないのでしょうけど……。
しょんぼりして帰るエンリの姿を見ると、とてもそうは言えませんでした。
そんなある日、婚約者であるマルセデス侯爵家のハロルド様との月に数回あるお茶会の日に何故かエンリが訪ねて来ていました。前日に今日は来ては駄目よ言っておいたのに。
ハロルド様に失礼があってはいけないと帰るように促しますが。
しかし、時間が来てしまい馬車から降りて来たハロルド様はエンリにもう来ていたのかと言われるのを私は呆然と眺めています。
「僕が送って行こうと思ったのに……仕方のない子だ」
「ごめんなさい、ハロルド様、お姉さまに会えると思ったらつい急いで来てしまいましたわ」
「あはは、エンリは本当にお姉さんが好きなんだね」
「当然ですわ! 私はお姉さまが大好きなんですもの」
とても仲良く話をする二人を見て私は混乱致します。
エンリの事は前々からそうでしたが、婚約者のハロルド様は甘える笑顔で話しをしています。私の時とは明らかに違う姿に魅惑の魔法にでもかけられているのでしょうかと疑いたくなる程です。
親同士が決めた政略結婚なので月数回ある公爵邸でのお茶会を行ってきましたが千年の恋も冷めるような振る舞いです。
「シャロル。話したいことがあるんだ……エンリ」
「……はい」
ハロルド様はエンリの手を取り抱き寄せます。
そして私の方に向く姿は恋人を紹介する姿勢そのものです。
「僕達は愛し合っているんだ……シャロル……君との婚約を解消してもらえないだろうか」
侯爵家にそんな余裕があったかしらと思いましたが、婚約者の前で他の女性に手をかけている殿方とまた婚約を結びたいかと言われると……ありえませんわね。
「構いませんが、ハロルド様は、そんな事をして大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫に決まっている。ありがとうシャロル、これで僕達は真実の愛に一歩近づいたよ」
「ありがとうお姉さま! 幸せになりますわ!」
こんなに喜ばれると心が痛みますわね。
と思いましたが、これもハロルド様が選択した事です。
気になる事はありましたが真実の愛になると良いですわねと思うのでした。
それから少したったある日。
真っ赤なリンゴの様な顔をしたエンリが扉を開けたかと思うと。
「お姉さま!! どういうことですの!!」
新しい婚約者のスティーブ王子とのお茶会の場に乱入してきました。
よく見ると後ろにはハロルド様も連れていらっしゃいます。
「……僕、とエンリに何をしたんだ……」
こちらは反対に顔が真っ青で今にも倒れそうな表情で言葉を必死に絞り出しています。
「どうしたの? 二人とも」
「お姉さま見損なったわ! こんな悪辣な方だったとは思いもよりませんでしたわ!」
「……僕達の幸せを返せ!」
二人は私に対する怒りを隠そうとも致しません。
「二人は何に対してそんなに怒っているのでしょうか、私には見当がつきませんが……」
「何て酷いの、お姉さまはこの後及んで白を切るなんて……」
「ああ、可哀そうなエンリ……僕達の真実の愛はこの女に踏みにじられたんだ……」
エンリは床に崩れ去りそれを抱きしめるハロルド様、私は席に座りながらそれを見上げる形に……構図的には完全に悪爵令嬢ですわね。
ここでおーっほっほっほっほ! と言えば今読んでいる小説の主人公、悪役令嬢を完璧に再現できますわ。
「二人ともいい加減にしろ! ハロルド、シャロル嬢に対してあまりにも無礼だ」
馬鹿な事を考えていた私はスティーブ様の声で正気に戻り二人に向き直ります。
「スティーブ王子!? 何故あなたが此処に……」
「シャロル嬢は私の婚約者でお茶会に呼ばれていたのだ。で、そちらの無礼な女性は誰なのだ?」
「シャロルの婚約者? 王子が? こちらは……僕の婚約者エンリでございます」
「何!? ハロルド、シャロル嬢と婚約を解消してひと月も立っていないではないか! 婚約破棄された彼女の気持ちを考えれば1年は新たな婚約を結ばないのが礼儀であろう」
「いえ、それは……」
「スティーブ様、私は気にしておりませんので」
「……そうか、シャロル嬢の慈悲に感謝するのだな」
流石のハロルド様も自分から婚約を解消して欲しいと言ったとは言えないわよね。
「社交界でも女性の誰しもが憧れるスティーブ王子ですって……」
エンリはハンカチを取り出すと悔しそうに噛みしめています。
……あなたにはハロルド様がいるのに何故そう悔しそうなのかしら。
「よく分らん奴だな。それで何の用なのだ?」
「お姉さまが……悪いのよ。わたしたちの未来が台無しよ!」
「どういうことかしら?」
まったく身に覚えがありません。
「ハロルド様が侯爵家を勘当されて私との婚約が破談になったのよ!!」
「……ああ……なるほど、それは私の責任ではないわ」
「ど、どういうことだ?」
ハロルド様が驚かれるところを見ますと私達の婚約の意味を知らなかったのでしょうか。
「ハロルド様のマルセデス侯爵家は、私の持参金で家の借金を返そうとしていましたの。そこまで困窮していたわけでは無いのでしょうけど、身勝手な理由で婚約を破棄したあなたはマルセデス侯爵から信用を失った訳です。そんな馬鹿息子を養うよりは他から新たに後継者を立てて資産家の令嬢と結婚した方が良いと踏んだのでしょう」
「何てことだ……」
「何てこととはこちらのセリフだ! それではハロルドの身勝手でシャロル嬢の婚約を解消したという事では無いか」
婚約解消の話がばれちゃった……。
「も、申し訳ありません……」
あらあら、涙を流して床に頭を擦り付けていますわね。
この際だからエンリに前々から思っていた事を言ってしまいましょう。
「それと、エンリ、あなたは私の妹ではありませんね。髪の色も瞳の色も違うのに姉妹と言うには無理があるのではなくって?」
シャロルも、お父様であるラインハルト公爵も透き通る黒髪で目も王家特有のルビーの様に赤い瞳をしている。
「……そんなの、母親が違うのだから当たり前じゃないの」
「そうね……でもね。あなたお父様とも似ていないのよ。あなたは誰なの?」
「……もう姉妹ごっこも終わりね……」
「シャロル!?」
スティーブ様が立ち上がり私の前に飛び出しました。
「……邪魔をされた。でも、そうね……予定とは違うけど……スティーブ様は私の物よ」
エンリはスティーブ様を抱きしめて顔を押し当てています。
「エンリ、私の婚約者に何をしているの!?」
私は婚約者に抱き着くエンリに対して感情が高ぶってしまい立ち上がります。
公爵令嬢として如何なる時も冷静さを失ってはいけないと教育を受けて来ましたが流石の私もこれには驚きを隠せませんでした。
「残念、まさかお姉さまの次の婚約者がスティーブ様だったなんて夢の様ですわ……もうこれで私の物よ。ありがとう大好きなお姉さま」
肩に回した手からチラリと黒水晶が付いたネックレスが見えます。
「エンリ、どういう事だい?」
「あらあなた、まだ居たの。もうあなたは必要ないの、早く退場しなさい」
何て恐ろしい子、先程まで真実の愛を誓い合った人に投げかける言葉ではありませんわ。
その言葉を聞いたハロルド様は立ち上がりふらふらと部屋から出て行きました。
「説明なさい! スティーブ様に何をしたの!?」
「そうね……説明してあげるわ。この黒水晶を間近で見た人は魅惑にかかって最初に見た人を1年愛するの。かけ直しすれば一生愛する事が可能な真実の愛の魔道具なのよ」
とエンリは不敵な笑みを浮かべます。
「そんな物が真実の愛な訳がないでしょう」
何て言う事でしょう、もしそれが本当ならスティーブ様はエンリを愛してしまっているという事になってしまわれたのでしょうか。
「……そうか。これを見ろ、そして大好きな姉を見るのだ」
「えっ」
♢♢♢
あの事件からひと月が立った頃、ハロルド様は旅出ると手紙を1通寄こしたきり消息不明になり。
エンリは王子に対しての不敬を働いた罪で母親共々伯爵家から勘当をされてしまいました。
エンリの母親は故郷に帰ると言い出しエンリも連れて行こうとしましたが、お姉さまと離れる事は出来ないとエンリは公爵であるお父様に使用人になるために直談判をしました。
罪を犯したエンリを普通の貴族の家ならば雇い入れるなど到底考えられませんが、そこは人が良いと有名な公爵様はエンリのシャロル対する忠誠心に心を打たれたと言い雇いれたのでした。
「お姉さま~紅茶とケーキの準備が出来ましたわ~」
ウキウキしながら侍女服に身を包んだエンリはスティーブ様を招待したお茶会の席で楽しく微笑んでいます。
「ありがとうエンリ、今日の紅茶は何かしら」
「フルーツ系の物です~気分もリラックス出来て爽やか気持ちになれますよ~」
一口飲むとエンリの言う通り爽やかな味わいでここ数日の疲れも癒される気持ちになります。
「それで、スティーブ様、エンリの事は何か分かりましたか?」
「ああ、エンリはシャロル嬢の言う通り公爵の子供ではないな」
「やはりそうですか」
お父様の不祥事ではないと分かって安心しましたが。
エンリは勘違いのまま私を姉だと信じていたのですね。
「エンリには本当の姉が居たらしい」
「居たらしい?」
「ああ、血は繋がっているかは分からないがな……消息は不明だ」
異常なまでにお姉さまにこだわる理由はその辺にありそうですが消息不明ではこれ以上は分かりそうにもありませんね。
「黒水晶のネックレスはどこで手に入れた物か分かりましたか?」
「あの魔道具は公爵家の地下室にあったそうだ。エンリの母親が証言したよ」
「えっ?」
「驚くのも無理はないな、ここを辞めさせられた理由が地下室に保管されている貴金属を盗んでいたのを見つかった事だと言うからな」
「お父様は何故お許しになったのでしょうか」
「地下室にある物は飾り気のないガラクタで黒水晶も価値は無いに等しいから返却を行わなかったそうだ。効果に関しても公爵は知らなかった様だ」
「えっ、ちょっと待ってください。それじゃあ、エンリは黒水晶のネックレスを使ったのはあの時だけだったのに何故効果を知っていたのですか?」
「それが分からない。説明も何も無く野ざらしで置かれていたから効果を知るよしもないはずなんだが」
私達はエンリを見ます。すると笑顔を向けて。
「何をこそこそとお話をしているのですか? スティーブ様もまだ結婚はしてないのですから私のお姉さまとそんなに接近してはいけません」
スティーブ様をけん制しながらもじもじと私に愛の視線を送って来ます。
効果は確か1年よね……。頭が痛くなってきたわ。
「あっ、肝心な事聞いていませんわ、何故スティーブ様は魔道具が効かなかったのですか?」
私がそう言うとスティーブ様は顔を近づけて小声で話かけます。
「ああ、単純な話だ。王族のこの赤い瞳は魔力を無効化する魔眼だからな、魔力由来の魔道具も同様に無効化される。ちなみにこの事は国家機密だからな、誰にもしゃべるなよ」
「ち、ちょっと離れて下さい!! そのままキスしそうじゃないですか!」
「くっ、迂闊だった。これでは1年お預けではないか」
「当然ですわ! お姉さまのファーストキスは私の物なんですから!」
「えっ」
終わり。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
妹ものを書きました。
評価を頂ければ幸いです。
それでは、また次回作でお会いしましょう!