8-3 鏡の泉の門
像の真後ろにあたる壁の前に小さな台座が置いてあり、その上に小箱が一つ置いてある。
『あの箱の中に、ディア・マレのラクリマが入ってるよ』とミルが言うのでメルの手を離し、台座の前に立つと小箱を見る。
(このまま箱を取っていいものだろうか? 箱を取った途端、ストーンと下へ落ちるんじゃないか?)不安を感じて足元を叩くと、コツコツと硬い音がする。
(下には何も細工されてないようだな)振り返ってミルたちを見ると笑顔が返ってきた。
向き直ると、どうしようか迷ったが「ここまできて陥れるようなことはしないだろう。たぶん……」意を決して両手で箱を掴み、ゆっくり持ち上げる。
……何も起きない。
「フゥ、寿命が縮むぞ」大きく息を吐くと、改めて小箱を見る。
モスグリーンの表面に、人魚の浮彫が施されている年代物の木箱。
蓋を開けてみると、雫型をした十五センチくらいの水晶が入っている。
「コバルトブルーの水晶なんて、初めて見た」
その時『兄ちゃん、そろそろ時間だから出るよ』ミルが声を掛けてくるので「時間? ここは制限時間があるのか?」するとメルが駆け寄ってきて『お兄ちゃん、行こう』と腕を引っぱる。
「わかった」箱を脇に抱えて彼女の手をとり、ミルのあとから部屋を出ると、入ってきた鏡が置いてある広間へ戻り、波紋が広がる長方形の鏡の前に立つ。
今度はロイが先に出て、あとからミルたちが出てくる。
三人が門から離れると石柱の間にあった鏡が消え、再び奥の森が見えるようになった。
『お兄ちゃん、最後まで頑張って旅を続けてね』見上げるメルの頭を撫でながら「頑張るよ」笑顔を返すと「ところでミル。奥の部屋にあった大量の木の人形は、何か意味があるのか?」
『あれは、一角獣に木にされてしまった、人間のなれの果てだよ』
「エッ! あれは元人間だったのか?」
『そうだよ。滅多なことではここまで辿り着くことはできないんだけど、稀に来ちゃう人間がいて、中に入っちゃうんだ。そしてあの部屋へ行ったとき、一角獣が珍しくて、眺めてるうちに目を見ちゃうんだ』
(あの口伝を知らなかったら、確実に木の人形にされてたぞ)ゾッとすると「元には戻れないのか?」
『戻せる者がいるけど、ずっとあとのことだと思うよ』
「じゃあ、もし僕が木の人形にされてしまったら、元に戻れるのは何十年もあとってこと?」
『もっとあとかも』
「ここで消息不明になるのか?」
『そうだね。でも、無事に出てこられたから』
「……確かに」笑いがひきつる。
『でも、この森が壊される前に来てくれてよかった』
「それはどういう意味だ?」
『だって、この森が切り開かれたら、僕たちも鏡の泉の門も無くなっちゃうから』
「どうして?」
『僕たちこの森の精霊だから他に行けないし、この門も、大地が汚されたら消えてしまうんだ』
「君たちがいなくなるのも門がなくなるのも困る。あの口伝がここで終わってしまったら、先に行けなくなるってことだろう?」
『でも、お兄ちゃんにラクリマを渡せたから、僕たちの役目は果たせたよ』
「君たちの役目?」
『とにかく、先に進めばわかるよ』
「ちょっと待て。役目ってなんだ?」
『僕たちからは言えないんだ。でも、最後まで必ず行ってね』
「最後まで?」
『約束だよ。絶対、最後まで行ってよ』
ミルの顔が突然揺れた。
「ロイ、起きろ。基地に着いたぞ」
「エッ、何?」目を開けるとマーティの顔が見える。
「基地に着いた。降りろ」
「あ、ああ」荷台から降りると、空が明るくなっていた。
腕時計を見ると午前七時になるところ。
(なんだ、夢か。それにしてはリアルだったな)
「ロイ。何を持ってるんだ?」マーティが左脇を指すので「エッ、あれ?」ラクリマが入っているあの小箱を抱えていた。
「この箱。あれは夢じゃなかったのか?」
「どこから持ってきたんだ?」
「なあ。僕、ちゃんと車の中にいたか?」
「なんだ、夢遊病なのか? 俺が起きたとき、ちゃんといたぞ」
「いたならいいんだ」
「で、その箱は?」
「預かりものなんだ」
「預かりもの? 誰からの?」
「まあ、いいから、いいから」
(もう少し、あの二人に聞きたいことがあったんだけどな)マーティの肩を叩くと「さあ、脱出の準備を急ごう」




