最果ての村
「カイ、疲れてはないか?」
魔王さまは幾度となく心配し、抱きかかえて黙々と歩むカイに声をかけたが、カイの返事は毎回変わらなかった。
「いえ」
たった二文字でおしまいだった。
「代わりますよ、カイ」
宰相サーシャもたびたび声を掛けた。
「いえ」
カイはその無表情を変えもせず、サーシャの方を向くでもなく言った。
人間の村が近づくと、村の入り口で魔王さまはカイの髪を撫でた。
キラキラと魔力の光が輝き、カイの獣耳を隠す幻惑の術がはられた。
勇者ルーズベルドはその青の瞳を見開いた。
目の前のワーウルフがこれではただの黒髪黒目の美丈夫にしか見えないではないか! ……なんという高等幻惑術。
「うむ、これでよし」
「ありがたきしあわせ」
表情をかえることなくカイは言い切ったが、幻惑で隠された尻尾は大いに振りきられていた。
魔王さま一行が村に足を踏み入れる。
道行く村のものは好奇の目を向けたがその視線は主に魔王さまに向けられていた。
(そりゃそうだろうな)
勇者は嘆息した。
魔王さまの双眸に刻まれた魅了の紋がその真価を発揮する。
「なんだ? ずいぶんと見られているな。カイに幻惑をかけておるというのに」
魔王さまは口をとがらせた。
通行人のほとんどが魔王さまを見て思わず足をとめる。
ああ、想像上の王子様とてこれほどまでに神々しくはないだろう。
魔王ルージュの艶のある漆黒の髪は綺麗に切りそろえられ風に乗ってさらりと揺れた。
その魅惑的な赤の瞳は見るものを惹きつけてやまない。その長い睫毛の一本一本でさえ存在感を主張した。
高貴な銀のマントは王子様の威厳を放ち、その磨き抜かれた玉のような白肌は透明感があった。
ほう、と思わず時を止められたかのように男女問わず魔王さまに目を奪われる。
勇者はあまりの事態に絶句した。
実は勇者ルーズベルドはこれでも勇者であるので魅了にも耐性は多少あったのだ。
一般人にどれほどまで影響があるかはよくわかっていなかったのである。
「ああ、そうか。魅了の紋は人間にも効くのだったな」
魔王さまは淡々と言った。
その横顔がなぜか悲しそうに見えて勇者ルーズベルドは思わず二度見した。
「まあ、よい」
魔王さまはにかっと笑った。
不意打ちの笑顔を直視してしまい勇者は慌てて口を覆いはくはくした。
ここは最果ての村。
魔王城に最も近く、勇者が最後に立ち寄る村だ。
総じて村の周りの魔物のレベルは高く、その環境を生き抜くために村人の戦闘能力もはじまりの街とは比べものにならない。
ここは王子ルーズベルドの国の領地の中でも最貧民の村だった。
とかく住みにくい場所ほど掃きだめのようにつまはじき者が追いやられる。
ここは、王子の住む国、エルダーシアの貧富の差をまじまじと見せつけてくるところだ。
(歴代の勇者がことごとくこの村を通ったのだというのに今だ改善もされない)
王子ルーズベルドの瞳は悲しげに村を見回した。
我が国エルダーシアの王子が勇者として旅立つのはもはや伝統だ。
国を背負って出発した勇者が帰還とともにその苦労を忘れてこのような辺境の地をないがしろにしてきたのだろうかと胸が痛む。
崩れかけた村の外塀は魔物の襲撃が頻繁にあることを示しており、修繕の行き届かない住居は昔ながらの萱で作られたものだ。王都から離れるにつれ時代が退化しているかのような錯覚をうける。
(王城がこの国のすべての富を吸い上げている)
これは城でのうのうと暮らしていた王子時代にはとうてい気づけないことだった。
恵まれているのだと気づかないままに暮らしていた。
「よお、王子サマがこんな辺鄙なところまで何しにきたってんだ?」
見れば褐色のガタイのいい男が親しげに魔王ルージュに話しかけている。どうやらこの男は魅了にかなり耐性が強いようだ。
「ああ、一泊宿を探している」
王子を勇者ルーズベルドのことだととらえた魔王ルージュがにこやかに答えた。
「へえ、本当に王子サマだとはな。……有り金全部おいていきな」
ぬらりとサーベルを抜き取ったならず者に、サーシャとカイがとっさに腰元の得物に手をやる。
「よい」
魔王ルージュは手で二人の動きを制した。
「そうじゃルーズベルド、みせてやろう。我の力をな」
にかっと笑って魔王さまは赤の瞳を煌めかせた。
「我の魅了の紋のせいで大抵の輩は相手にならんからのう。腕がなるわ」