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 それから、挨拶がひとしきり終わって、パーティーは華やかに幕を開けた。



 その、会場の完璧なこと──。


 エリクは、いつの間にこんなにも準備を進めていたのだろう。


 立食式のホールのあちこちには豪勢な料理と薔薇の生花が飾られ、客人の舌と目を大いに喜ばせていた。異国からの客人に対する配慮もあり、誰もが楽しめるように工夫を凝らしてある。


 彼の多忙を知っているジュヌフィーユは、その有能ぶりに、閉口した。

 エリクは子供の頃から物知りで聡い子だったけれど、その能力は枯れることなく開花したらしい。

 次から次にエリクと話をしたがる者が現れて、ジュヌフィーユはそんな人気者の夫の隣で、どうにか頷くことしかできなかった。


 ──失敗しないうちに、早く、無事に終わって欲しい。


 しかし、そんなジュヌフィーユの願いも虚しく、腹を満たした者たちがダンスホールに移動を始めてしまった。主催ホストであるエリクも例外ではない。

 既婚者であるにも関わらず、見目麗しいエリクと踊りたがる女性は少なくなかった──期待の込められた視線が四方から飛び、エリクを取り巻く。

 それでも形式上、最初の一曲をエリクはジュヌフィーユと踊った。

 無言でダンスホールに連れられ、ジュヌフィーユは緊張に身を硬くしながら音楽に乗った。


「……疲れたか?」


 緩やかなステップを踏む合間、夫に囁かれる。

 疲れた、と正直に答えたら、また冷たく笑われるのだろうか。

 ジュヌフィーユは「いえ」と口元に笑みを灯す。

 けれどそんなジュヌフィーユにエリクはやはり、嘲笑を返した。疲弊を見抜かれているのだろう。


「客人の見送りまでが仕事だ。 笑顔を崩すなよ」


 ダンスが終わり、手を離される。

 とたんに、あの高い声の主が近づいてきた。 


「エリク様! 次は私と」


 人の波を割って現れたのは、アネットだった。ジュヌフィーユには目もくれず、エリクの腕をとる。エリクは、そんなアネットを見つめて仕方なさそうに微笑んだ。


「今夜は足を踏まないでくれよ」

「任せて」

「……返事だけはいいよな」


 言い合いながらエリクとアネットはダンスの輪に混ざり、ジュヌフィーユは入れ替わる人々に押し出されて場を離れた。

 そうして取り巻きの後方に立ち、軽やかに踊り始めたふたりを見つめる。


 ──エリクは本当に、賢いわ。


 至近距離で微笑み合うふたりを前に、ジュヌフィーユの胸は切なく締め付けられた。


 決して自分には向けられることのない笑顔を堪能できるアネットが、羨ましくてならなかった。


 ──エリクはさぞかし満足していることだろう。

 彼の望み通り、ジュヌフィーユは確かに苦しみの中にいるのだから。

 

「あいつ……新妻をほっぽり出して何やってんだか」


 と、隣から呆れたような声が降ってくる。

 驚いて見上げれば、渋面のフランツが腕を組んで立っていた。


「……フランツ様」


 呟くように言ったジュヌフィーユに、フランツが苦笑を向けてくる。 


「悪く思わないでやってくださいね、ジュヌフィーユ様。 アネット嬢は、あいつの妹のようなものなんですよ」

「……妹?」

「ええ。 子供の頃からの知り合いのようですよ。 仕事の関係で、よく遊んでいたとか」

「まあ……そうなんですか」

「はい。 ですから決してジュヌフィーユ様が心配なさるような間柄ではございませんよ」


 フランツの擁護も虚しく、ジュヌフィーユは気落ちしていった。

 子供の頃から。

 道理で距離が近いと思った。

 今も兄妹のように戯れ合うふたりに、ジュヌフィーユはやはり羨望を抱いてしまう。

 幼い頃はジュヌフィーユもしょっちゅう彼にくっついていたものだ。

 今では、あり得ない思い出となってしまったけれど。


「……余計なことを言ってしまいましたかね」


 ぽつりと言ったフランツに、ジュヌフィーユはまずいと顔をあげる。

 夜会の最中だというのに、思い出に潜り込み、黙ってしまっていた。


「いえ、そんな」


 ジュヌフィーユは無礼を取り消そうと慌てふためく。

 そんなジュヌフィーユに、フランツはそっと微笑んだ。


「あいつは、昔から誰にでもやさしいから奥方としては心労が絶えないかもしれませんが、どうか信じてやってください。 エリクは、家族を蔑ろにするような男ではありません」


 言って、その温かな眼差しを親友へと注ぐ。


「──ご両親のことも、とても大切にしていましたから」


 エリクの、両親。


 ジュヌフィーユは、罪悪感に苛まれて眉を寄せた。

 エリクの両親は、昨年亡くなっている。流行り病だと聞いた。 

 生きていたら、この婚姻を許しはしなかっただろう。それとも、息子同様嬉々として受け入れただろうか──そうでないと、信じたい。記憶に残る彼の両親はどちらも善良な大人だった。特に母親の方は数回会っただけだけれど「お嫁さんに来てもらえる日が待ち遠しい」と幼いジュヌフィーユをとても可愛がってくれた覚えがある。

 ジュヌフィーユは、彼の母親が大好きだった。


 きっと、彼女にも恨まれていたのだろうけれど。


 ジュヌフィーユは人の目を引いてやまない夫を見つめた。


「……フランツ様は、エリクのことがお好きなんですね」


 ジュヌフィーユがぽつりと言うと、フランツは「とんでもない」と目を丸くした。


「僕は異性愛者です。 あいつとはただの腐れ縁ですよ」


 そういうつもりで言ったわけではないのだが。

 ジュヌフィーユはおかしくなって、つい笑ってしまう。


「信じてください」


 悲痛な声を上げたフランツに、ジュヌフィーユは「信じますわ」と返しながらもまた笑ってしまった。

 エリクは本当にいい友人を持っている。

 ジュヌフィーユも大切にしなければならないと思った。




 *


「──ねえ、どうしてあのひとと結婚したの?」


 親友フランツと楽しげに話している妻に気を取られていたエリクは一瞬、反応に遅れた。

 笑顔を取り繕い、アネットを見下ろす。


「ごめん、何?」

「もう、聞いてなかったの? どうしてあの地味な女の人と結婚したのかって聞いてるの」

「……地味か?」


 確かに陰気な雰囲気を纏ってはいるが、地味とは違う気がする。

 首を傾げたエリクに、アネットは頬を膨らます。


「地味でしょう。 今日はいい方だけど、こないだの晩餐会のドレスだってひどいものだったわ。 古臭くて、生地も擦れてて……じゃなくって、なんでエリクはあの女の人と結婚したの? お母様もお父様もびっくりしてらしたわ」


 まさか真実を話せるわけもなく、エリクは無難な答えを返す。


「好きになったからだよ。 それ以上の理由があるか?」


 ハルグリードは幸い、政略結婚などせずとも安定した地位を築けている。

 だからこそ、持参金も出せない困窮している貴族の娘を嫁に迎え入れることが出来た。その余裕は、エリクの権力を社交界に示すのにも上手く役立っていた。


「……私がエリクと結婚したかったわ」


 悔しそうに言うアネットに、エリクはくすくすと笑う。


「それは悪かった」

「ちっとも思ってないでしょう」

「バレたか」

「もう……!」


 それは、付き合いの長いアネットだからこそ言える軽口だった。

 エリクは思う。

 あのまま仲違いさえしなかったら、ジュヌフィーユとも今頃はこんなふうに冗談を言い合えていたかもしれないと。本物の、仲睦まじい夫婦として。


「……」


 馬鹿馬鹿しい。

 ありえない幻想を、エリクは一蹴した。


 この一ヶ月、ジュヌフィーユは始終怯えたように過ごしている。その姿に、エリクは無性に腹が立った。

 そうすることを望んだのは自分のくせに、彼女がそばにいることが予想以上に苦痛で仕方がなかったのだ。

 おはようと声をかけられることも、おやすみなさいと囁かれることも、慣れるどころか、日毎に苦しさを増していく。

 しかし、だからといって、そう易々と手放すつもりもない。

 まだ、彼女を苦しめる手立てはあるはずだ。


 暗い復讐心を内に秘めたまま、ダンスを終えたエリクは、他の誘いを断り、妻と親友の元へ戻る。


「──フランツ様、もう、分かりましたから」

「いいえ、まだ誤解されているでしょう」

「していませんわ」


 フランツと談笑しているジュヌフィーユは、笑っていた。客人に向けるような愛想笑いではない。本物の笑顔だった。


 ──何がおかしい。


 エリクは湧き上がった不快感を堪えて、必死に平静を装う。


「ジュヌフィーユ、フランツ」


 ふたりが同時にこちらを向く。

 ジュヌフィーユの笑顔が陰る。

 フランツは気づかない。   


「何を話してたんだ?」


 にこやかに笑いかければ、フランツが不自然に口籠もる。

 エリクは会話の内容を問いただしながら、これ以上ふたりを近づけさせたくないと思った。

 大切な親友までもが、この一族の毒牙にかかっては堪らないから。

 誰にともなく言い訳し、力ない笑顔を浮かべる妻を見下ろす。

 まだ、まだ、足りなかった。

 

  

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