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 ──幼い頃からずっと、彼と結婚するのだと言い聞かされてきた。



「婚約者?」


 初めてエリクと会った時、ジュヌフィーユはまだ八歳だった。

 だから父親に「お前の婚約者だ」と紹介されても意味はよく分からなかった。


 ただ、客間にいたその少年の美しさに、思わず見惚れてしまったことは今でもはっきりと覚えている。

 優しい色の金髪に、青空色の瞳、人形のように整った綺麗な顔。彼の髪が短くなければ、きっと女の子だと思っていた。


「初めまして。僕はエリク。エリク・ハルグリードです」


 声まで可愛い。

 ジュヌフィーユは胸がきゅうとなるのを抑えながら、父親に促されるまま辿々しい挨拶を返した。


「は、はじめまして。ジュヌフィーユ・ビヌジュエーブと申します」


 もっと言いやすい、簡単な姓名だったらよかったのに。

 ジュヌフィーユは思いながら、ニコニコと笑っている美しい少年を見つめ続けた。色が白い、目が大きい、睫毛が長い──可愛い。ソフィ(お気に入りのお人形)のお婿さんにぴったりだわ。

 そんな無礼なことを思いながら、ジュヌフィーユは、頭上で交わされる父親達の会話を聞くともなく聞いていた。


「奥様に似て、可愛らしいお嬢さんですね。よかったな、エリク」

「いえいえ。少々大人しすぎるきらいがありましてね。困っているところですよ」

「よいではありませんか。私の家内など鳥みたいに喋ってばかりで、耳がおかしくなりそうですよ」

「それこそ羨ましい。うちは私以外皆内向的ですから、私が一人で喋っているようなものなんです」


 今思えば、父はその謙遜の奥で、家族を見下していたのだろう。──政略結婚だった父と母の仲は、二人の子供を成したあと、すっかり冷え切ってしまっていた。ジュヌフィーユはたったの一度も、二人が微笑み合う姿を見たことがなかった。


 貴族にとっての結婚は、家を存続させるための義務に過ぎず、それ以下でもそれ以上でもない。

 そうしてジュヌフィーユはその義務の相手として、エリクを当てがわれたというわけだった。


 ただ、普通の婚姻と違ったのは、ジュヌフィーユが本当にエリクに恋をしてしまったということだけだ。


 月に数度、エリクは親睦を深めるためにとジュヌフィーユの家を訪れた。

 そこで一緒にお茶をしたり、かくれんぼをして泥だらけになって召使いに怒られたり、温室で読書をしていて、うっかり昼寝をしてしまったこともある。


 その時一度だけ見た、エリクのあどけない寝顔が今でも目に焼き付いて離れない。

 いつもは年上風を吹かせて澄ましているエリクが、口を半開きにして涎を垂らしそうになっていた。エリクのこんな顔はきっと、自分しか知らない。そう思うと、ジュヌフィーユは嬉しくなった。


 結婚したら、一緒の寝室で眠るようになる。それこそ彼の寝顔はジュヌフィーユひとりのものになるのだ。なんて楽しいのだろう。心が躍るようだった。大好きなエリクと朝も昼も夜も一緒にいられるだなんて。


「ねえエリク。エリクは、私の旦那様になるのよね」

「そうだよ。世界で一番幸せな花嫁さんにしてあげる」


 自信たっぷりに言ったエリクに、ジュヌフィーユは嬉しさを隠せずににやける。


「早く大人になりたいな。花嫁衣装ってすごく素敵なんですもの」

「僕も早く見たいな、ジュヌフィーユの花嫁姿」


 幼いふたりは微笑みあって、どんな式にしようかと話しあった。

 野菜はなしにしてお菓子ばっかりにしようだとか、友達をたくさん呼ぼうだとか、怖いピアノの先生は呼ばないでおこうだとか。


 夢と希望にあふれた理想の結婚式。

 エリクはあの時も、義務でジュヌフィーユのままごとに付き合ってくれていたのかも知れなかった。 



 ***


「お綺麗でございますよ、お嬢様」


 支度を手伝ってくれた侍女のアルバが、鏡の中のジュヌフィーユを見つめて言った。ジュヌフィーユは、縁に花と鳥の装飾が施された立派な姿見から、そっと視線を逸らす。


「ありがとう、アルバ」


 エリクの用意した純白の婚礼衣装は、急遽あつらえたとは思えない、予想を遥かに超えた美しい仕上がりをしていた。幾重にも重ねられた繊細なレースと、壮麗な蔦模様の刺繍。襟の大きく開かれたそれは、ジュヌフィーユの細い首と肩を魅力的に見せてくれた。さすがは、国一番と名高い針子の作品だけはあった。


「用意は出来たか?」


 コンコン、とノックの音がして、返事を待たずエリクが顔を出す。ジュヌフィーユもアルバも思わず身構えながら、新郎に向き直った。

 着飾ったジュヌフィーユを無遠慮に眺め回しながら、エリクが満足そうに頷く。


「似合ってるじゃないか」


 ジュヌフィーユと同じく、純白の礼装に身を包んだエリクが歩み寄ってくる。

 ただそこにいるだけでも華やかなエリクが全身を飾り立てている。その気品と威圧感に気後れしながら、ジュヌフィーユはエリクの氷色の瞳を受け止めた。エリクが、ドレスを検分するように両目を細める。


「細かく注文をつけた甲斐があった」


 ジュヌフィーユは言うべきかを迷いながら、けれど一応言葉にしておこうと、口を開く。


「あの、エリク」

「なんだ?」

「……その……色々と準備を、ありがとう。この、ドレスも」


 まもなく始まる式を前に、ジュヌフィーユの緊張は最高潮に達しようとしていた。

 あの晩餐の夜から今日までおよそふた月半。異例の婚姻が可能だったのは、彼の権力と財力があればこそだった。国一番の針子を掴まえることが出来たのも、無論、エリクの力だ。


「別に、君のためじゃない」


 言ってエリクは、そばのソファに腰を下ろす。


「仮にもハルグリードの花嫁に、妙な格好はさせられないだけだ」


 目的を忘れるなと、エリクが仄暗い瞳を向けてくる。

 これは、復讐なのだと。


「……わかっているわ」


 ジュヌフィーユは視線に耐えきれず、そっと顔を俯けた。

 あれから、エリクの多額の出資によってビヌジュエーブ家は立て直しを図ることが出来ている。あとはエリクの気が済むまで、ジュヌフィーユが堪えれば済む話だった。


「そう悲観することもないだろ。愛のない結婚なんて珍しいことじゃない」


 あまりにもジュヌフィーユが気落ちしていたためだろうか。

 エリクは愉快そうに微笑んで言った。


「……そうね」


 ジュヌフィーユは、彼と目を合わせられないまま答える。

 そうだ。貴族にとって結婚は生まれながらの義務。そこに恋だの愛だのを求める方がどうかしている。大人になった今、そんなことは、ジュヌフィーユだってわかりきっている。けれど──


『世界一幸せなお嫁さんにしてあげるよ』


 そんな、幸せな未来もあったかもしれないのに。


 あのままなんの障壁もなく結婚していたとしても幸せになったとは限らない。

 人の心など今日明日で変わる、不確かなものだ。

 愛は冷めることもあるし、恋だって形を変える。

 それでも、確かに幸せだったあの日々が、ジュヌフィーユに甘い幻想を見せてくる。現実とあまりに乖離してしまった、夢を。


「──そろそろ行こうか。奥さん」


 エリクが言って、ソファから立ち上がる。

 ジュヌフィーユも、覚悟を決めた。


 


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