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「では、我が国の繁栄を祈って。乾杯」


 長い長い演説を終えた王弟が、グラスを掲げる。一同もそれに倣い厳かな晩餐が始まった。



 さすがは王弟の主催する夜会だった。招待客は誰も皆上位の家柄ばかりで、久方ぶりの社交に出たジュヌフィーユは、会話についていくだけで精一杯だった。次々に運ばれてくるせっかくの料理も、緊張で味はほとんどわからない。


 兄は自分が出るから無理に出席する必要はないと言ってくれたけれど、ジュヌフィーユはこれ以上エリクから逃げていたくはなかった。

 そもそも、悪いのはジュヌフィーユの家なのだから。


 まだジュヌフィーユが幼かった頃、ジュヌフィーユの父は、親友だったエリクの父を裏切り、巨万の富を得てしまった。そのせいでエリクの家は窮地に立たされ、一時は家財のほとんどを手放したのだと言う。人伝てに聞いたエリクたちの悲惨な暮らしぶりは、幼く、過保護に育てられたジュヌフィーユには上手く想像が出来なかったけれど。彼はあれからずっと、ジュヌフィーユと、ジュヌフィーユの家を憎悪している。

  

 でも、きっと大丈夫。

 あれからもう十年だもの。

 私たちは大人になった。

 冷静に話せば、エリクもきっと、わかってくれるはず。


 しかし、いくら視線をエリクに流しても、目線は刹那もかち合うことはなかった。故意に逸らされているのかも知れないと思うと、気分はさらに落ち込んだ。

 それでも食事と談笑の合間、ジュヌフィーユは、どうにかエリクに話しかけようと彼の様子を窺い続けた。


 と、会話が一瞬だけ途切れて、ジュヌフィーユは口を開こうとした。しかし、隣に座っていた若い男が先に話しかけてしまう。


「時にどうです。ハルグリート伯、フィーデルの今年の葡萄は」


 エリクは男に、にこやかに応対した。氷色の瞳が、親しげに細められる。


「豊作でしたよ。現地にも行きましたが、品質がよかった。瑞々しくて、甘くて」

「それはそれは。来年が楽しみですな」

「ええ。十分ご期待に沿えると思いますよ」


 エリクの隣を陣取っていた白髪の紳士が、小さな目で弧を描いて微笑み、会話はさらに葡萄酒の話題へと発展してしまう。


 勢いを削がれてしまったジュヌフィーユは、会話に入ることもできないまま、相槌を打つことしか出来なかった。

 晩餐に出席さえすれば、話せるものだと思っていたけれど、甘かった。

 エリクは今や王侯貴族に次ぐ権力と財産を有している若者で、彼と懇意になりたがる者がこの機会を逃すはずもなかったのだ。

 実際、この晩餐が始まってからというもの、エリクは次から次に話題を振られ続けている。ゆっくりと話せる時間など、取れるはずもなかった。


 浮かない表情のまま、ジュヌフィーユはまた注がれたワインを口にする。

 挨拶を交わした時、無理にでも時間を作って欲しいと伝えていればよかった。

 ジュヌフィーユはそっとため息をこぼす。

 あとは帰り際に賭けるしかなさそうだ。


 緊張してきた身体が、にわかに熱を持つ。 


 それともこの美味しいワインのせいだろうか。


「大丈夫ですか?」


 と、隣から、気遣わしげな声が届いた。


「……?」


 声のした方を見上げれば、エリクに葡萄酒の話を聞いていた若い男──フランツと名乗ったその青年が、ジュヌフィーユを困ったような顔で見下ろしていた。

 異国の血が混じっているのだろう。深茶色の豊かな髪を後ろに流したフランツの、赤銅色の瞳がひどく印象的だった。

 フランツは、髪と同じ色の太い眉を中央に寄せたまま、こっそりとジュヌフィーユに耳打ちした。


「失礼、お顔が少々赤すぎる気がしまして。ペースも早すぎるようですが、アルコールに慣れていらっしゃらないのでは」


 ジュヌフィーユは「そんなことはありませんよ」と微笑んで返した。


「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫ですわ」

「本当に?」


 フランツは、半信半疑といったような瞳で、またワインを手に取ったジュヌフィーユを訝しげに眺めた。

 フランツの予測通り、ジュヌフィーユは酒に弱かった。それでも夜会に来て勧められたものを口にしないわけにはいかない。

 それに加えて、今夜出されているそれは、エリクの領地で醸造された一流品だった。愛酒家の王弟に気にいられているその銘柄は、晩餐の影の主役でもある。苦手などとは、口が裂けても言えなかった。


 火照る身体を持て余しながら、ジュヌフィーユはフランツに「大丈夫です」と繰り返す。その様子に、フランツは益々眉間の皺を深くしていった。


「やっぱり飲み過ぎです。お水をいただきましょう。ジュヌフィーユ様」

「いえ、私は」

「白だと言えば誤魔化せますよ。それにほら、他の方々ももう酔いが回り始めています。誰もわかりはしません」

「……そうでしょうか」


 ジュヌフィーユは「それなら」とフランツに従った。

 これ以上酩酊して、エリクとまともに話せなかったら元も子もない。


「いい子だ」


 フランツが頷いて、給仕に合図を出す。料理はやっと終盤に差し掛かっていた。


 あと、もう少し。

 ジュヌフィーユは水を待つ間、もう一度だけエリクを見やり、そうして凍りついた。心臓がどくりと脈打つ。


 エリクは、こちらを見ていた。全ての感情が抜け落ちたような、心ない表情で。

 絶対に許さない。と言われている気がした。

 恐怖にも似た感情に駆られて、ジュヌフィーユは唇を引き結ぶ。

 と、彼がエスコートしていたあの女性が、隣からエリクに話しかけて、視線は逸らされた。エリクは表情を柔らげて、女性に顔を近づける。何事かを話して、二人は楽しそうに笑った。



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