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 失言だった。

 ジュヌフィーユの踏み込みすぎた発言に、エリクは明らかに機嫌を悪くしていた。自分が誰と親しくしようと、そんなこと、お前には関係ないと、彼の態度がそう物語っていた。

 わたしの馬鹿。

 あまりの失態にため息がこぼれる。気が抜けていたのだ。だから、妬くようなことを口にしてしまった。

 ジュヌフィーユはそっとダンスの輪を見やる。

 色とりどりの煌びやかなドレスが揺れるその中に、あのふたりもいるはずだった。

 ――アネットと手を取り合ったエリクはきっと、彼女にやさしく微笑みかけているのだろう。

 ここからではよく見えないはずなのに、ジュヌフィーユはどうしてか、その光景をありありと思い浮かべることが出来た。


 エリクは自分と別れた後、彼女と結婚するのだろうか。

 だとしたら、彼は今度こそ本当に幸せな結婚が出来る。何故ならそこには、なんの思惑も打算もないからだ。


「……」


 ジュヌフィーユはそっと立ち上がると、足早にホールを出て、ひとけの少ない廊下を進んだ。そうして、灯りの届かない柱の陰に身を潜める。エリクが恋しい人と一緒になって、幸せであるのならそれでいいと、そう、つい先ほど願ったばかりなのに。

 ジュヌフィーユは、あふれそうになった涙を堪えた。

 祝福なんて、とても出来そうになかった。

 ――――ただ、自分はまだ、彼を大好きなのだと思い知らされただけだった。


 なまじやさしくされたせいだ、抑えていたはずの恋心があふれ出てしまったのは。

 エリクに微笑みかけられるのが嬉しくて、ちょっとした会話に心は弾んで、まるであの日々の続きを見ているような気分になってしまっていた。

 そんなこと、あるはずがなかったのに。


「……御免なさい」


 ジュヌフィーユは謝り続ける。

 そもそもジュヌフィーユがエリクに許しを請うたのは、恋の成就のためではない。贖罪のためだった。なのにジュヌフィーユは、自分勝手にも甘い夢を見てしまっていた。このまま一緒にいられたらだなんて。せっかくエリクが許そうとしてくれているかもしれないのに。

 

 目を覚まされた気分で、ジュヌフィーユは顔を上げる。

 涙は、少し滲んだだけで済んでいた。

 落ち込んでいる場合ではない。

 ダンスが終わる前に戻らなくては。

 ジュヌフィーユは痛む胸を押さえながら、ホールへ戻った。


「ジュヌフィーユ」


 と、すでに一曲踊り終えていたエリクに早速見つかり、肩を強く掴まれる。


「探した。 どこに行ってたんだ」


 彼から強い怒気を感じて、ジュヌフィーユは身をすくませる。


「御免なさい」

「……心配した。 急にいなくなるから」

 

 そう言ったエリクのそばにはまだ、アネットがついていた。

 ジュヌフィーユを覗き込みながら、閉じた扇子の先で口元を覆っている。


「ねえエリク。 奥様お顔が赤いのじゃない? 熱があるのかも。 帰って頂いたら?」

「ああ、そうだな」


 言ってエリクは、ジュヌフィーユを覗き込む。


「やっぱり、具合が悪いんだろう? いとまの挨拶をしてくるからここにいてくれ。 一緒に帰ろう」

「エリク、でも」

「いいね」


 自分一人で帰宅出来ると伝えたかったのに、エリクはジュヌフィーユの目じりに触れるだけのキスをすると、すぐに主催の侯爵を探しに行ってしまった。思わぬ口づけに、ジュヌフィーユは茫然としてしまう。どくどくと、心臓が波を打っていた。


「本当に仲がいいのね。 妬けてしまうわ」


 と、アネットが顔を隠すように扇子を広げて言った。ジュヌフィーユははっとして俯く。キスは、結婚式以来初めてのことだった。


「……エリクったら、大げさですよね」

「そうですわね。 奥様のことがよほど大事なんですわ。 見ているこっちが恥ずかしくなっちゃうくらい」


 アネットの呆れたような声に、ジュヌフィーユは居た堪れない気分になる。本当に仲が良いのは、アネットたちの方なのに。彼女はこの結婚の裏にある復讐劇を知らないからそう思うのだろう。


「そうでしょうか」


 自信なさげに呟いてしまったジュヌフィーユには目もくれず、アネットは忌々しそうに眉を寄せる。


「ほんっとにエリクったらジュヌフィーユ様しか眼中にないんだから。 さっきも奥様の方ばかり気にして、足を踏まれてしまったのですよ。 最低だわ」

「まあ……! 大丈夫ですか? お、お怪我は」


 エリクがステップを間違えるだなんて今まで一度もなかったことだ。それほど機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 ジュヌフィーユは驚いて、アネットの足元に目を向ける。


「平気ですわ、このくらい。 でも、奥様がそんなに気になるならダンスなんてお断りになればいいのにって思いません?」


 同意を求められ、ジュヌフィーユは曖昧に笑い返す。


「きっとエリクは、アネットさんと踊りたかったんですよ」


 言いながら、本当にそうなのだろうと、ジュヌフィーユは確信していた。だってエリクは、アネットを可愛いと思っているのだから。

 そうしてまた落ち込みそうになる自分を叱りつけて、ジュヌフィーユは足早に戻ってきたエリクの手をとった。


「待たせた。 帰ろうか、ジュヌフィーユ」

「はい」


 いつまで彼の妻を名乗っていられるのだろうと、寂しく思ってしまいながら。



 ***


 最悪だ。

 屋敷に戻ったエリクは私室に篭ると、片手で口元を覆う。

 昔のクセが出て、ついジュヌフィーユにキスをしてしまった。そんなことをするつもりは微塵もなかったのに。身体が、自然と動いてしまっていた。

 最悪だ。

 声に出して呟き、エリクは頭を抱える。ジュヌフィーユは、どう思っただろう。


「それで、いかがでしたか?」


 着替えを手伝いにきていたヴィドックが、飄々と言う。

 エリクは椅子に深く座り込みながら、食えない執事を睨みつけた。


「……上手くいった、と思う」


 そうして、長いため息を吐き出す。 

 ジュヌフィーユ本人はごまかせたと思っているようだが、エリクは、彼女の目じりに浮かぶ涙の跡を見つけていた。ダンスホールから抜け出したわずかな時間に泣いていたのだろう。わざとアネットを「可愛い」と言って、見せつけるように踊ったすぐあとのことだ。ジュヌフィーユは見るも哀れに動揺し、気落ちしていた、ように見えた――エリクは眉を寄せる――つまり彼女は、ヴィドックの言う通り、自分に好意を寄せているのかもしれなかった。


「あり得ない……」


 どうして、僕なんか。

 項垂れるエリクに、ヴィドックが言った。


「あり得ないことはございませんよ。 旦那様はカイン様をお助けになられましたし、そもそも、心底嫌っている相手に今更謝罪しようなんてなさいませんでしょう。 ……最初からジュヌフィーユ様は旦那様をお好きだったのですよ。 だから、どうにか罰を受けなければとお考えになられたのでしょう」


 持論を並べ立てるヴィドックを横目に、エリクははっと浅く笑う。


「……だとしたら、彼女は本物の馬鹿だな」

「ええ。 それには同意でございます」


 エリクは苦笑したまま、復讐の方法を思案する。

 ――たった一言。アネットを可愛いと褒めただけで、ジュヌフィーユは涙するほどに傷ついていた。今まで、自分がいくら冷たい態度を取っても厳しい言葉を返しても耐え抜いていた彼女がだ。確かに、この方法は効果覿面(てきめん)なのかもしれない。ならば、エリクの取る行動は簡単だった。

 ……ジュヌフィーユは、泣くだろうか。

 その姿を思い浮かべただけで、エリクの胸は鈍く軋んだ。だが、これが彼女を心底痛めつけられる方法ならば、エリクが遠慮する必要はない。

 

「……離縁状の用意を、頼む」

「かしこまりました」


 力なく命じた主に、ヴィドックが恭しく応える。

 エリクは椅子に身体を預けたまま、両目を瞑った。あり得ないことだらけで、着替えをする気力すら、失われていた。



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