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――この頃、エリクが変だ。
彼の腕に手を絡ませながら、ジュヌフィーユはそっと隣を見上げた。
鮮やかな金髪を後ろに流し、黒の礼装をまとったエリクは、いつにも増して美しかった。挨拶にまわってくる貴婦人たちは彼に手を取られるとうっとりと微笑み、年頃の娘たちは頬を赤く染めあげていた。結婚しても、エリクは変わらず社交の場で人気を集めている。だから、こんな光景も珍しいことではない。
ただ、この頃ジュヌフィーユは、エリクに違和感を感じ始めていた。
よく目が合うようになったし、本当に一言二言ではあるけれど、会話をしてくれるようにもなった。
その些細な変化に、ジュヌフィーユがどれ程戸惑い、喜んでしまっているかなんて、エリクは知らない。
だから今夜も、そんな態度を取ってくるのだろう。
エリクは何度もジュヌフィーユに顔を向けては目を細め、小さく微笑んでくれた。
今夜の晩餐会は、エリクが懇意にしている大貴族が催しているもので、だから失敗は決して許されない。そのこともきつく忠告されるだろうと覚悟していたのに、馬車の中で彼は「飲みすぎないように」とこぼしただけだった。
いったいエリクは、どうしてしまったのだろう。
夫の変わりようにジュヌフィーユは首を傾げ、そうしてふと思った。
もしかしたらエリクは、自分を許そうとしてくれているのかもしれない、と。
見目麗しい夫を見上げながら、ジュヌフィーユはそんな期待を抱き、嬉しさと寂しさを半分ずつ抱えた。エリクが復讐から解放されるなら、こんなに嬉しいことはない。しかし、それは同時に、この結婚の解消も意味していた。自分勝手にもジュヌフィーユはそれを寂しいと感じてしまう。
許し合えても、自分たちの未来に待つのは別れなのだ。
それでもジュヌフィーユは、エリクに感謝していた。
どうか彼が、今度こそ本当の幸せを掴めますようにと心の底から願う。
それだけで十分だと思っていた。
その時までは――。
晩餐会には、いつかのように王侯貴族や各国の要人が招かれていた。
テーブルにはエリク自慢のワインが振る舞われ、客人たちの舌をおおいに喜ばせている。
それは、いつもよりもずっと明るく、楽しい食事だった。
ジュヌフィーユは隣席した老夫婦にワインの産地や特色やらを聞かれて、丁寧に説明をした。老夫婦は有名な美食家のようで、とても美味しいと絶賛してくれた。
と、それを見ていたのだろう。
エリクに不意に耳打ちされる。
「完璧だった。 ありがとう」
仮、ではあるけれど、自分は彼の妻だ。だから、礼を言われるようなことではない。
でも、嬉しかった。
ジュヌフィーユはもう笑顔を我慢することなんて出来なくて、この場でなら不自然ではないだろうと、エリクに微笑んだ。
「……ヴィドックさんが色々教えてくれたの」
緩む頬を抑えられなくて、気持ち悪い笑顔になってしまったかもしれない。
エリクが驚いたように目を見開いて、一瞬口を噤む。そうして、ためらいがちに何かを言いかけた。
「ジュヌフィーユ、君は」
と、彼の言葉を遮るように、ダンスの合図が鳴った。
エリクははっとして顔を離す。
「…………ダンスだ。 踊れるか」
「……ええ」
何を言おうとしたのだろう。
ジュヌフィーユはエリクに手を取られながら、立ち上がった。
腹を満たした若者たちが、待ちきれないとばかりにダンスホールの方へ移動していく。その群れを追っていると、もう何度となく聞いた、可愛らしい声が聞こえた。
「こんばんわ、エリク」
彼女も来ていたのか。
ジュヌフィーユはエリクの横に並んだアネットを見て、ちり、と胸を焦がす。
「アネット」
夫の唇からこぼれた穏やかな声に、ジュヌフィーユはちり、と胸を焦がす。
この三カ月、嫌というほどエリクがアネットと共にいるのを目にしてきた。だから分かる。エリクは、アネットには特別気を許していると。
子供の頃から一緒だから、とフランツは弁明するように教えてくれたけれど、やはり、ふたりを近くで目にするのは辛かった。
ジュヌフィーユは、そっとエリクから手を離す。
「ジュヌフィーユ?」
「ごめんなさい、エリク。 少し飲みすぎてしまったみたい。 向こうで見ているわ」
とたん、心配するみたいに眉をひそめられる。
「大丈夫か? 眩暈は? どこかで休ませてもらおう」
「ううん。 少し座っていれば治ると思う。 あなたは行かなくちゃ。 ダンスの約束があるでしょう」
挨拶の時、エリクは数名の女性とそんなやり取りをしていたのだ。
約束は大切だ。
けれどエリクも、なかなか引かない。
「そんなものはいい。 おいで、あそこに座ろう」
エリクはジュヌフィーユを支えるように腰に手を回すと、壁際の長椅子に誘導した。
給仕から水を受け取り、ジュヌフィーユに差し出す。
「……気づかなくて悪かった。 そんなに飲んでいると思わなくて」
目の前にかがんだエリクは、そんなことまで口にする。
人目があるから、仲睦まじい姿を見せつけたいだけなのかもしれないが、少し前までは、演技だとしてもこんな風に見つめられることはなかった。冴え冴えとした氷のような瞳で、表面上だけの言葉をかけてくるだけだったのに。今は熱っぽくジュヌフィーユを見つめてくる。
本当に、この頃のエリクは変だ。
まるで昔の彼を見ているようで甘く苦しい。
ジュヌフィーユは痛む心臓を押さえつけて、言葉を絞り出した。
「わたしの方こそ、ごめんなさい。 ダンス……」
「いいよ」
エリクの伸ばした手が、ジュヌフィーユの横髪をやさしく梳いた。
はたから見れば、相思相愛の夫婦に見えたことだろう。
ジュヌフィーユは赤くなって、俯く。
「……もう本当に平気よ。 アネットさんも待ってらっしゃるだろうから、行って」
と、エリクがおかしなことを聞いたみたいに吹き出した。
「アネットならいくら待たせても問題ない。 気にするな」
アネットなら。
その親密さに、ジュヌフィーユの胸がざわめく。
気づけば唇が動いていた。
「アネットさんとは、本当に仲がいいのね」
嫌味に聞こえてしまったかもしれない。
ジュヌフィーユはすぐに後悔した。
けれど遅かった。
エリクは真顔になった後、不愉快そうに視線を逸らす。
「…………アネットのことは、可愛いと思ってる。 けど、君には関係ないだろ」
後で迎えに来る、と言って、エリクが立ち上がり背を向ける。
アネットと合流した夫を見つめてジュヌフィーユは、硬直した。




