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──ジュヌフィーユが、僕を好き?
その夜、困惑する頭のまま、エリクは夕食を摂る妻を窺い見た。
ジュヌフィーユは今夜も正面の席に着いて、大人しくスープを口に運んでいる。その無に近い表情からは、なんの好意も読み取ることができない。いや、そもそも彼女が、自分を好きなわけがないのだが。
エリクは小さく息をつき、心を落ち着かせた。
やはりヴィドックの勘違いなのだろう。
彼の妄言に惑わされそうになった自分を恥じ、エリクはジュヌフィーユから視線を逸らした。
冷静にならずともわかっていたことだ。
そんなこと、起こり得るはずがないと。
スープを見下ろしながら、エリクは、わずかに眉を寄せる。
結婚当初もそれ以前も、彼女には酷い態度ばかりとってきた。
視線すらろくに合わさず、掛けるのは冷ややかな言葉だけ。
そんな男の一体何処に、惚れる要素があるというのか。
エリクはそっと、視線を上げる。
今夜も会話はなく、広い食堂室には、食器の鳴る音だけが響いている。
美味いと思えたスープの味さえ、共有することはない。
ヴィドックはいやに力強く断言していたが、やはりあり得ないのだ。
頼りになる執事だったが、とうとう耄碌してしまったのだろう。あるいは、過去と現在の境が薄くなっているのか。
苦い笑いがこぼれた。
──子供の頃は確かに、彼女は僕を好きだと言ってくれたな。
エリクは思って、目の前の女に思い出の中の少女を重ねる。
自分を大好きだと言ってくれた、小さかった女の子。
本当に好きだった。
本当に、本当に。
愛していた。
だからその分、幼いエリクは苦しくてたまらなかった。どうして父を裏切ったのかと、ジュヌフィーユに会えなくなったエリクは、何度も涙した。だって、裏切りさえしなければ、今頃は。
「……エリク?」
と、ジュヌフィーユが不思議そうに小首を傾げながら、エリクを呼んだ。
「どうしたの? ……私の顔、何かついてる?」
不安そうに言ったジュヌフィーユは、細い指先で口元を隠した。
いつの間にか、見つめすぎていたらしい。
エリクは気まずくなって、運ばれてきた肉の料理に目を向けた。
「いや。 なんでもない。 考えごとをしていただけだ」
「…………そう」
しかしそれでもジュヌフィーユは落ち着かなげに視線を彷徨わせた。鏡を見たいのだろう。彼女はやけに完璧であろうとする。特に、自分の前では。
「……ジュヌフィーユ」
エリクはほんの少し気の毒になって、なるべく穏やかな声をあげた。
「本当になんでもない、気にするな。 ……君は、よくやってくれていると思う」
彼女にやさしい言葉を向けるのは、思いの外難しかった。
だからそれ成功したかはわからない。
ジュヌフィーユは目を見開き、戸惑うようにエリクを見つめた後、やがて、小さく俯いた。
「…………はい」
その表情からは、やはりなんの好意も読み取ることは出来ない。
ただ少し、彼女の頬が赤らんでいるように見えたのは、エリクの気のせいだろうか。
泣き出しそうに、瞳が潤んでいたように見えたのも。
泣き虫は、変わらずだな。
エリクは懐かしさに胸を痛める。
けれど今の自分はもう、それを拭ってやることが出来ない。
そんな現実が、苦しかった。
それからの数日を、エリクは、思い悩んで過ごした。
どうしてもジュヌフィーユを意識せずにはおられず、彼女の一挙一動をつぶさに観察してしまう。
ジュヌフィーユは、よく目が合うようになったエリクを不安そうに見つめ返しては、自分の落ち度を探した。エリクはその度に「なんでもない」と繰り返す──そんな日々が、続いていた。
簡単なことだ。
ただ一言、自分のことを好きなのかと聞けばいい。
そうは思うものの、そんなことはあり得ないと分かっているから、口にすることが出来ない。
もう一方の計画を実行しようかとも思ったが、ヴィドックが自信満々に「こちらの方が効果的です」と豪語するものだから、中々、それもままならない。
行き詰まったエリクは、その面倒な悩み苛立ちを、元凶の執事にぶつけた。
「お前のせいだ」
不機嫌に言った主人に、ヴィドックは心外だと言うように目を丸くした。
「私は旦那様のお望みを的確に叶えるべく進言したまででございます……それで、お試しになられたのですか」
鏡の前で髪を整えながら、エリクはヴィドックを睨みつけた。
「まだだ。 だいたいそんな相手、すぐに見つかるわけがないだろ」
「左様でございますか」
ヴィドックの差し出したタイを受け取り、エリクはそれを首に巻きつけた。
ヴィドックは身なりを整える主人を見守りながら言う。
「では、今夜の晩餐会で見繕ってはいかがでしょうか。 お知り合いのご婦人も大勢いらっしゃるのでしょう?」
「……相手の女性に悪いだろう」
「形だけでございます。要は、奥様に仲を疑って頂くだけでよろしいのですから」
そんなに上手く行くだろうか。
エリクは、疑うような眼差しをヴィドックに向ける。
「絶対に成功いたします」
言い切ったヴィドックに、エリクは降参するように息を吐いた。
正直、考えすぎて疲れていた。
「分かった」
どの道、それで復讐が果たせるのなら構わないじゃないか。
エリクは心を決めて、胸元のタイを締め上げた。
「ああ、奥様のご準備も整ったようですよ」
上着に腕を通そうとしたエリクに、ヴィドックが微笑む。
と同時に控えめなノックが届いた。
入室を許可されて入ってきた妻を見て、エリクは、いつかのように目を細める。
やはり彼女には、淡い色がよく似合う。
薄紅色のドレスに身を包んだジュヌフィーユは、慌てたようにエリクを見上げていた。
「待たせてごめんなさい」
エリクは、ジュヌフィーユの白い肩から目を逸らす。
「僕も今終わったところだ」
そうして屋敷を出る前、エリクはメイドに言いつけてショールを用意させた。少し、露出が多すぎるような気がしたから。




