ムスクの花言葉
わずかに眠った翌朝、隣にラウレンスの姿はやはりない。フランカが来てしまう前に、エーディットは、窓を全開にして、バルコニーに裸足で出る。
夏と秋の中間のような風が、部屋の空気を運び出す。
「おはようございます、奥様。どうされましたか?」
「香りが消えない気がするの。」
フランカは、ほんの少しも表情を変えないのに、瞳の色だけが暗く変わった。
香りなど、とうに消えているだろうに、それでもエーディットは残り香を追い出すように窓を開ける。
追い出さなければ、甘い香りが、小さな棘となって、エーディットの心に深く突き刺さるのだ。何度も、何度も、執拗に。
「……フランカ、これも、報告するの?」
今度は、瞳の色だけじゃない、わずかに表情を変えた。
ラウレンスは、気づいているのだろうか。エーディットの微笑が、意地と矜持と自尊心だけで出来ていることに。
気づいて欲しい。そうすれば、少なくとも、エーディットの中に甘い香りを残さないだろう。
気づかないでほしい。そうすれば、偽りでも泡沫でも、隣に立っていることを許される。
フランカが一歩、エーディットに近づいた。部屋の空気がふわりと動いて、エーディットの記憶から、絶望を描き出す。
絶望は、チューベローズの香りがした。
傷つくだけだと、本当は、わかっていた