月の下のローリエ
わずかに寝室の窓を開ける。バルコニーに出るには、夜風が少し冷たすぎた。
エーディットは、わずかに開けた窓から月を見上げた。
今日は、満月に少し足りない月だった。明るいけれど、満ちてはいない。ラウレンスに似ている月だった。
「奥様、体が冷えます。旦那様はまだお帰りになりませんから、先にお休みください。」
フランカは手に持った燭台のろうそくが、夜風で消えることを気にしてか、手で火をかばっていた。
「少し、冴えてしまってるの。待ってるわけじゃないわ。」
「……今日は、いろいろありましたから。」
「そうね。」
お金を渡すとブラムが泣き出したので、エーディットはそれを宥めた。ブラムのような幼い子どもをあやしたことなどなかったので、宥めるのに苦労した。
子どもができたら、こんな風にする日が来るのだろうか。
エーディットは虚しい想像をすぐにやめた。
ろうそくが風にあおられて消える。同時に不完全な月が雲に隠れて、フランカの表情が一瞬見えなくなった。
すぐに月が顔を出して、フランカの瞳を見せてくれる。それは、一瞬歪んで消えた。
「フランカ、あなたもなの」
小さくつぶやいた声は、たぶんフランカには届かなかった。
知りたくないことは、たくさんある。知る前に、知らない方が良いとわかっていたら、目をつむったのに。
それは、きっと、ラウレンスのことも同じだ。
知らない方がいいと分かっていたら、目をつむった。
偽りを誠のように語るその唇も、偽物を本物だと思わせるその笑みも、気づかないように目をつむったのに。
「まだ、起きてたの?」
わずかに開いた窓の内側から、エーディットは月を見上げていた。
フランカに強く言われて、バルコニーに出ることはしなかった。ラウレンスに似た、満ちていない月は、場所を次第に変えている。
風が入り、夫が手に持った燭台の灯りが揺れる。フランカとは違って、手でろうそくをかばったりしていないようだ。
振り返ってほほ笑んだ。
「お帰りなさいませ。」
「先寝ててよかったのに。」
「目が、冴えてしまっていたので。」
朝感じた絶望を、エーディットは感じなかった。
夫は帰ってきた。それに、安堵して、心は凪いでいた。ラウレンスが近づき、窓を閉める。
その時、ふわりと香りがした。
外から戻っても、外の匂いを纏わせることのない夫から、初めて香りがした。
官能的なチューベローズの香りがして、心臓がひどく早く脈打つのを感じる。
「寝ようか?」
そう気遣うように言ったラウレンスの後ろ姿を、エーディットは見つめた。
甘い、甘い、チューベローズの香りが、脳を揺さぶり、一生忘れないくらい深く刻まれる。
知らない方が、幸せなことは、たくさんある。
朝感じた絶望は、きっと、これだ。
燭台の灯りをラウレンスが吹き消した。真っ暗な中、ラウレンスの背中を見つめる。
甘い香りが風に乗って香るたび、どうしてだか、叫びだしたくなる。