切れた糸、モイラの鋏
ラウレンスが城に戻れたのは、どっぷり日が暮れてからだった。鎮圧に参加していたほとんどの騎士を帰し、事後処理を終えてから、ラウレンスは馬を駆った。
日が暮れてから動くことに、同じ任務に就いていた影のほとんどが反対した。だが、ラウレンスは、その進言を全て無視したのだ。
エーディットにいち早く会い、安全を確認するためだ。
エーディットは、ラウレンスの弱点だ。誰が否定しようと、エーディットはラウレンスの弱点であり、恨みを買いやすいラウレンスにとっては、絶対に奪われてはいけない駒だった。ラウレンスは、自分とエーディットの命を天秤にかけられた時、おそらくは選ぶことが出来ない。
ディアナを天秤にかけられた時には、迷わず、自分を守ることを選んだ。ディアナ自身、自分で自分の身を守れるし、それで失うとなったら、そこまでだと思えた。それが、影の生き方だからと思えた。
でも、エーディットは違う。非力で、自分を守ることもできないエーディットを、失うことは、影だからと納得できない。
迷いは、己を殺す。迷いは、おそらくエーディットも殺してしまう。でも、きっと、ラウレンスはその瞬間を突きつけられるまで、決められない。
だから、エーディットを王宮に出仕させることを決めたのだ。エーディットを守り、そして、ラウレンスしかいないのだと思わせるために。
エーディットに与えられた居室は、影に守らせるにあたって、有利な場所を選んだ。土埃を払い、風呂に先に入ることも考えたが、それよりも先に、会いたくて、そのままの姿でせく思いのまま来てしまった。
扉をたたく前に、自分の服についた土埃を払い、外の香りを払い落とすように髪を振る。
だが、そこで、自分の内側に、違和感のようなものが走る。エーディットの気配がない。
「なぜ、」
あの狂おしくて、苦しく思えるほどのエーディットの気配がない。焦りを抱いて、ノックも忘れて、扉を開け放つ。
そこにいたのは、何度か夜を過ごしたことのある女がいた。
「なんで、あんたが?」
女は、簡素な服を着ていた。それは、これからすることを想像して選ばれた服なのだと思うと、反吐が出そうになった。
「エーディット様に、お許しをいただきました。」
「はあ?」
「エーディット様に、ラウレンス様との関係を知られてしまいました。」
「関係?」
関係というほどのものが、自分たちにあったというのだろうか。鼻で笑ってから、エーディットの菫色のワンピースを思い浮かべる。
冗談じゃない。
「エーディット様に、ラウレンス様のお疲れをいやすようにと、お言葉を賜りました。」
「なんで、あんたなんかと。」
「私は、ラウレンス様にとって、ただの都合のいい女だったのかもしれません。でも、私は、本当にラウレンス様をお慕いしておりました。叶わぬことは重々承知しております。ですが、今夜だけは、私と共に、」
「悪いけど、俺は、あんたと過ごすつもりなんかない。俺にとって、大切なのは、エーディットだけだ。それ以外は、どうでもいい。」
「しかし、エーディット様は、」
ラウレンスは思わず舌打ちをした。この女のせいで、エーディットの考えが分からなくなった。エーディットが、宮廷でどんな扱いを受けるかは、想像していたし、その通りになったことは、影の報告で承知していた。そこで、エーディットは、ラウレンスしかいないと思い知るはずだった。それが、この女のせいで、エーディットは、ラウレンスに選択を迫ってきたのだ。ラウレンスは、エーディットに選ばせたかったのに。
「悪いけど、あんたの名前すら思い出せないから。」
女は、顔を歪ませた。泣きたいのはこっちだ。




