舞台女優にタンジー
エーディットは、孤独という言葉を知った。
温もりを思い出そうとすれば、絶望と虚しさの香りを思い出す。なぜだか、涙は出なかった。
ラウレンスと結婚した理由を探さなければならない。孤独は、エーディットにひどい焦燥感を覚えさせた。
理由を探さなければ、ここにいられなくなる気がした。
この感情に名前を与えなければ、孤独を知ることもなかったはずだ。エーディットは、雷の音が嫌いになった。
「ラウレンス様」
「エーディット、どうしたの?」
「お願いがありますの。」
ラウレンスが、早く戻った日には、書斎で手紙や細々とした書類を、執事のデルクと処理するのを知っていた。書斎に行くことは、知らせずとも、フランカが報告済みなのだろう。
初めて入室したのに、驚いた様子も、知らせるようにという警告もない。
「なに?珍しいね、何でも言って。」
「図書室の使用を許可していただきたくて。」
「え?そんなこと?」
エーディットは女主人で、家の差配を任されている。図書室は、入室許可を必要とする場所ではなかった。でも、これは、エーディットなりの宣戦布告だった。
理由を、見つけてみせる。そう、ラウレンスに宣戦布告したつもりだった。
「いいよ。俺の許可なんかいらないよ。エーディットの家なんだから。どこに入るのにも、許可なんか取らなくていいよ。」
ラウレンスはそう言って、また、微笑んだ。
嘘つきの微笑だ。
だから、エーディットは、自分ができる最高の微笑を返して見せた。その反撃に、一瞬、ラウレンスは面食らったような顔をした。
「もっと、こう、宝石買いたいとか、ドレス新調したいとか、そういうお願いかと思った。そういうお願い、してもいいんだよ?」
「いいえ。宝石も、ドレスも十分にありますもの。」
どれも、私には似合わないけれど。
そう言いそうになって、エーディットは言葉を飲み込んだ。飲み込んだ言葉は、間違えて肺に入ってしまった。息苦しくて、冷や汗が出る。
エーディットの反撃は、ラウレンスを一瞬驚かしただけだけど、ラウレンスの反撃はエーディットの息を簡単に止めてしまうようだ。
「そう?欲しくなったら、言ってね。いや、言わなくてもいいよ。好きに買ってね。」
「ええ。」
心を隠して、微笑む。
別に難しいことでも何でもない。呼吸をするようにできることのはずだ。
考える必要はない。感じる必要もない。ただ、微笑めばいいだけだ。
一瞬、ラウレンスが顔を歪ませる。
「……どうかなさいましたの?」
「え?」
「いえ、痛そうになさったわ。」
エーディットは、口にしてから後悔した。ラウレンスは少し考えるようにしてから、左腕に触れる。
「ああ、訓練中に、少し腕を、ね。」
エーディットは、反射的に、ラウレンスの左腕に手を伸ばしかけた。
手を止めるのに時間はいらない。
分かりやすい嘘に、なぜ、自分はわざわざ傷つきに行っているのだろうか。
止めた手が、空気を凍らせないように、エーディットはふわりと膝に手を戻した。
「ちゃんと、治療したから、大丈夫だよ。」
ふわりと微笑んだラウレンスに、エーディットも微笑んで見せた。滑稽なこのお芝居は、いつまで続くのだろうか。
「ああ、それから。」
この芝居の終わりは、悲劇だろうか、喜劇だろうか。
「新しく侍女を雇ってもいい?」
「構いませんが、何かご不便でもありましたか?」
「ううん。でも、いいように、取り計らってやってね。」
本来、夫は家政に口出しをしない。ラウレンスも今まで、そうだった。ラウレンスに必要なのは、報告だけで、連絡も相談も必要ない。
「ええ。」
なぜだろう。宣戦布告をしに来たはずだったのに、二人で芝居をする羽目になった。その芝居の結末は、きっと喜劇だ。
エーディットを除いた人々の喜劇だ。
そう思った。




