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人魚の冷えた恋  作者: 東屋千草
人魚の冷えた恋
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溺れた声と枯れたラーレ


愛されていないと分かっていた。

夫の瞳に映っているのが、自分ではない、ほかの人だということも分かっていた。

そして、いつからか、その瞳に自分ではないその人を探した。

泡に消える前に、その瞳に自分を映したかった。




リピーヴァ王国の歴史は決して、明るく平坦なものではなかった。

北は海、三方を強国に囲まれた低い土地は、水害に悩まされ、そして侵略に悩まされ続けた。

風車により治水を成したといわれるのがアムスベルク王家である。現在は、ダムや水門、水路により、治水がされており風車は形ばかり残るだけだ。7つの州の州主がアムスベルク王家を支えている。


エーディット・デ・メイは、7つの州のうち最も首都に近いユトレヒト州の州主に仕えるメイ伯爵家の末娘だった。


ユトレヒト州は、前年の水害を耐えきり、工業・農業ともに業績を伸ばせた唯一の州だった。それも、父が、州主であるマリウス・ユトレヒトに進言したからだ。

エーディットはそのことで、父がマリウスに認められたことがうれしかった。


水を治めるものが州主になる。そして、武を治めるものが州主を支える。


水害と、侵略に悩まされてきたリピーヴァ王国では、長い間、そうして国を保ってきた。だから、父のように武芸に秀でないものは軽く扱われがちだった。でも、父は、腐ることなく、領地の工業と農業、治水においての必要予算を計算し、さらに気候を鑑みて、予算を分配した。誰に何を言われても、曲げない意思を持って、水害を征した。






「お父様!お帰りなさいませ」





伯爵令嬢として、エーディットが社交界デビューしたのは、5年前だったが、その後は水害のため社交界はほとんど機能していなかった。

だから、エーディットが首都で行われた社交界に出たのは一度きりだ。

エーディットは、むしろ、その一度きりで良いとさえ思った。胸に白いバラを付けて、挨拶に周りはしたものの、貴族でありながら、騎士を輩出できなかったメイ家は肩身が狭く、男に生まれなかったことを後悔させられたのだ。

敬愛する父が、肩身の狭い思いをしなければならない。父が愛した母までも、嘲笑される社交界がエーディットは嫌いになった。


華やかで、汚い場所。


エーディットはそう思った。

姉たちは我が家が望める最高の家格の家に嫁に行ったし、メイ家は、従兄であるバルトが継いでくれる。

だから、エーディットは、無理をして社交界に出て、嫁ぎ先を探す必要はない。ここで、穏やかに老いていく父と、過ごしても構わないのだ。






「エーディット、淑女は階段を走り下りたりはしないよ。」

「ごめんなさい、お父様。」

「お前に、いい知らせと悪い知らせとあるのだが、どちらが先に聞きたい?」

「……お父様、素敵な紳士は、まず、ただいまと言うものだわ。」

「すまん、エーディット。ただいま。」

「おかえりなさいませ、お父様。」





エーディットは、いい知らせも悪い知らせも聞きたくなかった。聞いたら最後、戻れなくなるのではないかという焦燥感があったからだ。





「エーディットは、好きなものを後に残す。お前の母さんも同じだった。」

「そうなの。」




母は、幼い時に死んでしまった。声も、顔も思い出すことはできない。





「ブラバントで起きた隣国との諍いが終わった。我が国の勝利だ。」

「……いい知らせだわ。」

「それを祝して、陛下が晩餐会を開くことになった。昨今、社交がおろそかになり、国内の有力貴族の子女が結婚できずに困っていることを知った陛下のお心遣いで、エーディット、そなたも招かれた。」

「悪い知らせですね。」

「だが、それを、断る言い訳ができた。」

「本当ですの?いい知らせだわ!」

「ブラバントで活躍したラウレンス・ファンデルがそなたを是非、嫁にしたいと。」




ラウレンス・ファンデル


聞こえた名前と内容に、戸惑い過ぎて耳鳴りがする。






「恩賞に何が欲しいか陛下に尋ねられ、お前が許すならと、おっしゃられたそうだ。人柄も申し分ない、由緒正しい家柄で、陛下の信も厚い。」

「でも、なぜ、私を、」

「5年前の社交界デビューの日に、見初めたらしい。」





肩身が狭くて、ただただ早く終わってほしいとしか思っていなかった社交界デビューの日のことは、ほとんど覚えていない。


ラウレンス・ファンデル


歴史は浅いが騎士として堅い地位を築いてきたファンデル家が、長く剣を持っていないメイ家を指名するなんて、ありえない。

見初められるほどの容姿などしていないし、見初められるほど上手く立ち回れたはずもなかった。

容姿も整っており、騎士としても申し分のない実力者のラウレンス・ファンデル。

同じ年の頃に、華やかな容姿で名門の出の騎士が多く、その中では目立たないように見えるが、ラウレンス・ファンデルは真の実力者だ。

飄々として、穏やかに見え、微笑みを絶やさず、子女の声援をさらっていくが、その実、その瞳はいつも冷静に状況を把握するために動いている。


一方、メイ家は剣を捨てた騎士の家系だ。そのうえ、今代は娘にしか恵まれなかった。まして、エーディットは、社交界にほとんど顔も出さず、領地に引きこもっている。

社交界をにぎわせる令嬢たちのような華やかな話は一つもない。





「何かの間違いではございませんか?あの日、私は、ファンデル卿にお会いしておりません。」

「ああ、私も何かの間違いかと思った。しかも、ファンデル家は目立った功績はないが、騎士としての実力は高い。同じ爵位の我が家より歴史が短いとはいえ、政のより中枢にいるはずだ。ファンデルに益がない。」

「……それでは、なぜ?」

「分からん。5年前のことを、今更ながらに理由にするのもおかしな話だ。5年前、そう思ったなら、5年前に申し込めばいいだけの話だ。」




なぜだろう。

ひどい胸騒ぎがする。





「お父様が、ユトレヒト侯に認められたことで、益が生まれた?」

「政に剣はいらない。必要なのは、ペンと知恵だ。だが、今更、メイ家を取り込む必要性がファンデルにあると思えない。私は、確かに、ラウレンス・ファンデルを買っていた。城で会えば、挨拶をしたし、友好的に接してもいた。」

「でも、味方が必要なお立場ではないわ。お父様、これの、どこがいい知らせなの?」

「いろいろ言ったが、私は、ラウレンス・ファンデルを買っている。実力もあるし、社交に長けている。あの社交での立ち居振る舞いは、ただ者じゃない。お前を不幸せにしない力はあるだろう。」





幸せにする力とは、父は言わなかった。

それは、穏やかな家庭や、愛し合う夫婦の確約ができないという思いの裏付けな気がした。

不幸せにしない力。それは、エーディットを寡婦にしない、騎士としての実力があると言っているのだろう。





「メイ家に益があるのですね。」

「益は分からない。だが、うま味はあるだろうな。それに、断ることは叶わない。」






エーディットは、穏やかな暮らしと、父との静かな生活を手放すことになる。どうして望まれたのか、何を望まれているのか分からない家に嫁がねばならない。

エーディットがエーディットというだけでは、益が生まれない家に嫁ぐことは、エーディットにとって、とても危険だった。

嫁いだ家での価値を、自ら生み出さなければならない。それが、子であれ、何であれ。






「これは、王命だ。」





流行の歌劇では、貴族の恋愛結婚を主題にしていた。これが、ただの恋愛ごっこであれば、エーディットはもっと心穏やかでいられたのだろうか。



愛すること

愛されること



それは、とても、美しくて、とても遠いことのように思えた。








愛されていない、そんなこと、気づきたくない

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