PHASE.2
「そう言えばさー、もうすっかり秋になったよねー」
思えばこれが、依田ちゃんが発した作戦開始の合図の言葉であった。ちなみに二人で何気ない風を装っているが、さりげなく部室に誰も来ない時間を選び、出口側を僕たちが固め、九王沢さんを逃がさない態勢を取っているのである。
ちなみに九王沢さんはそんなこととは露知らず、モバイルでカタカタ、英字の原稿を作っていた。よほど気に入ったのか最近毎日、コンビニのほうじ茶ラテである。
「…はい、やっと涼しくなりましたね。毎日、秋晴れが気持ちいいです」
一拍遅れて九王沢さんが、依田ちゃんの合言葉に反応する。ごく普通の受け答えである。
「そっ、そろそろ、文化祭だし、サークルの会報誌の準備もしなきゃだよねー」
僕もあわてて会話をつなぐ。思わずどもったので、依田ちゃんはガンにらみである。しかし九王沢さんは全く警戒していない。
「そうだ、秋号の季節ですよね。…お二人は、何か書くあてはあるんですか?」
「ぼっ、僕はいつも通り、なんか短編でも書くよ。一話完結の出たとこ勝負で」
そんなこと誰も聞いてない!と言うように、依田ちゃんが拳でひっぱたく仕草をする。
「あたしは決まってないなあ。春号、原稿落しちゃったし、なに書いていいか、迷ってるんだよねー…」
この会話が正解、なのである。
「あ!そうだ、九王沢さん、今度相談乗ってよ。…実はさ、一緒に観ようと思ってた映画もあるんだけど」
「えっ、本当ですか?観たいです、映画。例のネット配信ですか?」
「んにゃ、違う。DVDなんだけど、先輩から借りっぱでさ」
じろり、と依田ちゃんが僕を見る。ここである。このパスを僕が生かさなければ。
「あ、そうだ。僕も依田ちゃんに借りてた漫画あったんだ。今度、返さなきゃだよね?」
DVDと漫画、二つは釣りである。九王沢さん、どっちにも反応するはず。
「あ、ずるいです。二人で借りっこなんて…」
「だよね!だったら、今度、三人で会おうか!そしたら九王沢さん、映画も観れるし、漫画も読めるでしょ…ね?」
「はいっ、名案です。予定なら、いつでも空きますよう…」
と、九王沢さんは自分の手帳を取り出す。さて、ここからが正念場である。
「…例えば今度の日曜日なんてどうでしょうか。お二人とも、都合は大丈夫ですか?」
うんうん、とうなずく僕たち。ここでさあ、クロージング開始である。
「せっかくだから、お泊りがいいよね?ね、依田ちゃん、予定大丈夫?」
「うん、あたしは日曜大丈夫です!バイトもないし。そうだ、せっかくだから鍋パーティなんか悪くないんじゃないですか?」
「ますます名案です。じゃあ、今度の日曜、那智さんのお家に集合ですね!」
「うんそうだね!…って、あっ、うーん、うちダメなんだ。DVDプレイヤーダメになってて」
「それだと映画が見れませんね…」
「あっ、それならうち平気だよ、九王沢さん!…て、あー!困ったなあ。だめだ日曜、うち入れない。出張でさー東京来た兄貴が泊まるんだよねえ…」
絶妙の連携プレーである。特に練習もせず、ごくごく簡単な打ち合わせでここまで、この話の流れにまで持っていけるものか。依田ちゃんの、そして僕の力って恐ろしい。僕たち二人をここまで突き動かすのはたった一つ、九王沢さんの自宅に訪問したいパワーである。
「それでは…どうしましょうか。残念ですがここは思い切って、日を改めるとか…」
と九王沢さんが言いかけた時である。僕たちは勝負をかけた。
「九王沢さんのうちなんてどうかなあ?」
ストレートに攻めすぎかと思ったが、タイミングは悪くない。ここでもう一押しである。
「賛成です!それ名案ですよ那智先輩!九王沢さんのうちで鍋パーティしましょう。それ、すごくいいです」
九王沢さんは目を丸くしていた。珍しく、言葉に詰まった感じである。やがて何を言うのかと思ったら。
「え、でも、うち、DVDプレイヤーありませんし…」
「あ、それだったらあたし、持ってくるから」
「ええ!?でも、そう鍋…お鍋がないです!」
「鍋なら、僕が持ってくるよ。ほら、僕の誕生日に九王沢さんがくれた土鍋があったじゃない?」
「えええっ…あの、でも、那智さん、そこまでしなくても…その」
畳みかけるように言うと、ついに九王沢さんが答えに窮した。ここでちょっと僕なんかは気の毒だと思ったが、依田ちゃんは目で僕にも加勢を促すと、さらに押す押す。
「ねー、あたし九王沢さんのうちがいいなあ。前から、行ってみたかったんだ。九王沢さん、あたしのうちにはお泊りしたけど、まだ、一回も呼んでくれてないじゃん?」
「そうだ、僕もだ。九王沢さん、この前、連れてってくれるって言ってたよね?」
「いっ、言いました。言いましたよ。けど、今って…困りますよう…」
「えー、いいじゃん。おうち連れてってよ。ねーねー九王沢さん!」
「約束約束、僕も行きたいなあ」
ずいずい、僕たちに迫られて、後ずさりする九王沢さん。さてこれで開かずの天岩戸がついに開くのか、と思いきや。
答えに窮した九王沢さんのスマホが、ぶるぶると鳴ったのだ。
「ちゃっ、着信です!お二人とも、失礼します!」
すんごい素早さだった。九王沢さん、抱えていたスマホを持ったまま、一気に部屋を飛び出した。残された僕たちは、あぜん、である。あまりにも有無を言わせない勢いであった。
と言うかあのスマホ、やけにタイミングよく震えたけど、本当に着信だったんだろうか。依田ちゃんと二人、色んな思いが去来したが、それに気づいたのは、九王沢さんがいなくなってしばらく後であった。
「帰ってきませんね、九王沢さん…」
「帰ってこないね。あれは…」
作戦は、失敗である。
「なんでそんなに嫌がるんでしょうか…?」
「いや、僕にも分からないよ。想像もつかない」
こうなってくると、本当に謎だ。何しろ僕たち二人で迫ったら、逃げたのである。あの、天使の包容力を持つ九王沢さんが。やはりここから先は、触れてはいけない、トップシークレットのようだった。
しかし人間、だめだ、と言われると、余計気になるのである。
九王沢さんほどの完璧超人の弱点が、自宅。いや自宅ってなに。逆に人間、どんな自宅に住んでいれば、それが弱点になりえるのか。ちょっとよく分からない。
「例えば猛烈なゴミ屋敷とか…」
まさかの片づけられない女か。いやでも、そんなことはない。九王沢さんの甲斐甲斐しさは、今や確固とした定評である。
僕だって依田ちゃんだって目の当たりにしている。そもそもこれだけ忙しい中、九王沢さんは週に二、三度は僕の部屋を必ず掃除に来てくれるほか、僕たちの文芸部の部室の手入れも欠かさない。恐らくは実家に帰れば、それ専門のメイドがずらりと仕えているはずの九王沢さんだが、手際も気の付き方も一流ホテルの客室係並みなのである。
「いやそれはあり得ないでしょう。普段の感じからしてもさあ」
恋人として僕は、たぶん誰よりも長い時間、九王沢さんといる。だから断言させてもらうが、九王沢さんのだらしないところなんか一点でも見たことはない。
「てゆうか先輩、九王沢さんに部屋掃除させてるんですか、感じ悪いなあ」
「い、いや!それは頼んだわけじゃないと言うか…常々、申し訳ないと思ってるよ。僕がだらしないせいで」
「先輩がだらしないのは、あたしもよく分かってますよ。…でも、親友のあたしの目から見ても、その線はなさそうですね」
依田ちゃんのうちにも、九王沢さんは何度もお泊りしている。マナーはもう、このままお嫁さんにしたいくらい完璧だそうだ。どころか依田ちゃんが目覚める前に炊事、洗濯、ゴミ出し、その他の家事も抜かりなく仕上げてから引き上げると言う。ハウスキーパーか。
「なんだよ。依田ちゃんだって九王沢さんを便利使いしてるじゃないか」
「あ、あたしだってうちに泊めるお客さんにそんなアコギな要求しないですよう!なんて言うか、九王沢さんてめっちゃそつないんですよね…止める間がないって言うか」
すごくそれよく分かる。うちでも気が付くと、洗濯物まで洗ってくれているので、申し訳ないやら不甲斐ないやら。
「ゴミ屋敷は考えられないですね。あとは…規則がめっちゃ厳しい寮に住んでいるとか」
「ああ、そうだね…」
九王沢さんはもう、絶滅危惧種級のお嬢様なのでむしろそっちはあり得る仮説である。本人は否定するが、元・特殊部隊ぽいSPロジャーさんはじめ、最高のセキュリティに守られている超絶箱入り娘なのだ。
「うーんでも、九王沢さんその割には自由そうだよね?」
門限があるとか、厳しい行動規則があるなんて話は、聞いたことがない。さっきお泊りの話が出たように、外泊はかなり頻繁だ。むしろだからこそ、外出時にスペシャルなセキュリティがついている、とも言える。
「そう言えばあたしたち、九王沢さんのプライベートってほとんど知らないですね…」
ふと、と依田ちゃんが首をかしげる。それは…考えてみると、ぐうの音も出ないほどにその通りである。
僕たちは普段、九王沢さんが自宅に帰って何をして過ごしているのかも、まったく知らない。そう言えば九王沢さんにとって、彼氏である僕の家や親友である依田ちゃんのとこへ泊りに行くのすら、外出の範囲内なのである。人間て人目につかない場所でどう過ごしてるかが、本当のプライベートなのだ。
でもあの九王沢さんが、僕たちみたいにコンビニスイーツ食べながらごろ寝してマンガ読んだり、スマホの動画やらテレビの映画やら観ててお風呂入らないで寝ちゃったりしているようには思えない。実態が想像がつかないのだ。
「気になるね」
「気になりますね…」
僕たちは顔を見合わせた。となると、最後の手段はただ一つである。