59話 イベント終わりのライライと
ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ。
携帯電話のバイブレーションの音が鳴る。ベッドの上に置いているせいで、シーツが微妙に振動している。なんとなく音の方向へ腕を伸ばして、携帯電話を探し、ディスプレイを見る。
音声通話アプリからの、通話の通知。画面にはホストの顔がうつっている。
「あーい」
からからの喉のせいだ。いつもより低い声が出た。
「わりわり、おやすみ中だった?」
電話の向こうからホストの声がする。
「いま、何時?」
「21時になるよん。おっはー」
「おはー」
「今日、おつかれさん」
「そうだった。ありがと、ホスト。ごめんな仕事中にカメラなんか渡して」
ホストがバイト中に頑張って撮ってくれた写真を整理していたら、眠くなって寝たんだった。
「いいって、いいって。だって、暇だったし。いやーね、たのしかったね。つか、時雨ちゃん一言いい?」
「なによ」
「セコンド豪華すぎ。レイヤーの美月ちゃんに、ピアニストの奏さんに、歌姫氷室さんって、なにそれ。芸能人でもねーよ。ダンスの相方、雷堂だしよ」
「おかげで、雷堂にムラムラしたから」
音割れするような噴き出し方をして、ホストは笑い飛ばした。
「あいつ、ちょっとやせたな」
「そっかな? あーっ、言ってたね」
もぞもぞベッドを出て、飲み物を取りに行くため、リビングへいく。いちいち動かす腕が痛んだ。筋肉痛だ、これ。
「今からバイト?」
「そっそ。移動中ー。時雨ちゃんのせいでさ、体動かしたくてたまらないんだよ。公園でボール蹴ってる」
「いいな。俺もサッカーしたい」
「今度みんなでスポーツセンターでもいっちゃうー?」
「いくいく。ホストと俺は同じチームだから」
「じゃ、セブン前に置いて、時雨ちゃんがサイドバックだね」
ひときわ大きく風を切る音と、バウンド音が聞こえる。
「いいお話があってさ。夏休み終わりからさ。サッカー部で、もっかいやるよ。やっぱ、サッカーやりたいっつーの」
「ほんとうに嬉しい。でも、いるよな。スポーツ漫画でさ、途中から合流するスゲーうまいやつ」
「うちのサッカー部、強いんだ。レギュラー取って、インハイ優勝すっから、見ててくれよ」
「もう一度、ホストを応援させてくれ」
「やっべ、バイト遅れるーっ」
そういう口ぶりはバイトよりも楽しいことを思い出したと、とても楽しそう。電話を切ったあとも、ボールを持って走ってる姿が想像できた。
リビングに降りると、来客があるし、知ってる顔が何人もいた。ナナエスの3人と、美月がいる。花恋・雷堂ペアと美月・氷室さんペアでくっついて座っていた。
「みんな、なにやってんのさ」
全員のとなりをパジャマで通り過ぎて、冷蔵庫から牛乳を出してコップに注ぐ。コップを傾けながら、リビングを見回した。
「いまねー、せっかくみんな集まってるから、ちょっとだけSNS更新しようかなって企画中なんだよ」
「時雨、腕どう。持って行かれた?」
雷堂がにやけながら聞いてくる。
「持って行かれたってなんだよ。真理の扉を開けたっぽくいうのやめろ。あいにくと無事だ。筋肉痛あるけど。わるいな」
「いい。じゅうぶん。ありがと」
黄色い携帯電話のカバーから、目線だけ上げて、そんな殊勝なことを言ってくる。
「美月、雷堂。写真送るわ」
俺はズラーっと画像を選択して、チャットアプリを使って、それぞれに写真を送る。
「今日の写真だーっ。すごいじゃない。どうしたの?」
「カメラ持って行ってたから、ホストに撮ってもらった」
「へえっ。なんでアタシのおなかアップの写真あるんだよ」
「仕上がりやばかったから、切り取ってみた」
「お前の仕業かっ」
雷堂が立ち上がり、俺に向かって猫パンチを打ってくる。それをかわして、腰に抱きつく。雷堂の着ていたシャツのすそをめくり、腹をみせる。
「これ、やばくない? なにしてたら、こんな引き締まるんだよ」
目の前の腹筋がすごい。ヘソを中心に腹筋がきれいに見えていた。
「ギター弾いて、歌って、ミュージックビデオのこと考えてたらこうなったんだよ」
「だと思ったよ。新曲のリーク情報、出てたんだな。どうよ、出来は」
「わかんない。これまで4回やり直してる。歌詞も都度変えた」
「そりゃ、良いのできちゃうじゃん。絶対盛り上げてやるから、頑張れよ」
「ったく。いつも、コールうっさいんだよ」
「ああ、わかった。飛び切り気合入れてコールしてやるよ」
リビングのせまいスペースで雷堂とそんなことを言い合う。しまいにはお互いに、バチバチしてる理由を忘れてふき出したほうが負け。今回も引き分けだった。
「見てみてーっ、予選のしぐれとわたしの投げキッス」
「みつき、かわいいわ、いつもより、輝いてるの」
「息ぴったりだったんだよ。うー、私こんな表情できないよぅ。もうっ、お兄ちゃん、私よりかわいいんじゃないかなっ?」
怒った花恋が俺に向かって言ってくる。今度はそっちを、なだめにいった。
花恋を立たせて、俺が座り、花恋を座らせる。お兄ちゃん椅子。シートベルトみたいに、腕を腰に回して完成。
「えへへー。座り心地のいいソファーなんだよ」
「固そう」
「固いっていうのやめろ雷堂。腹筋に線書くぞ」
「横に割れないからやってみたい」
縦に割れている腹筋を、横にも割りたいらしい。
「美月と並んでると、俺の違和感がすごい。贋作って感じがする」
「どっちもコスプレなんだから、一緒よ。でも、しぐれ、かわいいわね」
「花恋がかわいいのであって、俺はそのかわいさを借りてるに過ぎないから」
花恋の体がゆれる。足を振るせいで、ゆれが伝わってきた。
「控室でも人気だったんだよー。予選後にね、中身だれってすっごい聞かれたの。ないしょーって言ってたら、アイさんだけ、こっそりね。お兄ちゃん? って聞いて来たんだよ」
「しぐれ推しのダンサーさんね」
美月が顎に指を添えながら言った。その隣で氷室さんが頷いている。
「かれんと大会、いっしょのひと、よね」
「そうだよー。男性のソロ部門で準優勝したりしてるんだよー」
「そんなすごいひとからの個人賞、すごいじゃないのよ」
美月がくりくりの目を向けて来て言う。
「ダンス界隈詳しくないから、個人賞がどんなもんか、わかってないんだよな。しかも俺の個人賞って、謝罪のやつだぞ」
「よーっし、それで行こうっと。ライチちゃーん、氷雨さん、写真撮ろーっ。困り眉で、個人賞のプラカード持って」
準備しだす3人の邪魔にならないように、美月のとなりに移動して眺めている。アイドルで、仲がいい3人だと空気が良いな。
携帯の音が鳴る。通知が来た。
「雪姫、配信してるじゃん」
「帰りもね、ピアノ弾きたくてそわそわしてたわよ」
「なに弾いてるか、わかる気がする」
美月とそろえて、ピースをした。携帯でアプリを開いて放送を視聴する。やっぱり、さっき俺が踊った曲が流れていた。いつもより情熱的に弾いている。
とりあえず、コメント打とう。こんばんは、と。
コメントが流れると雪姫は、演奏をやめて携帯電話を手にし、なにやら画面をフリックしている。すぐに、俺の携帯に通知が来た。
「仕方がないから、デートしてやるよ。考えておいて」
雪姫は弾きやめたところの少し前から、勢いをつけて弾きだした。
そっか、変態仮面に勝ったから雪姫はデートしてくれるのか。
雪姫の返事に、よしゃあと画面いっぱいに奇声を発してから送った。
ちょっとの時間差があって、雪姫は俺の返事を目に入れると、ひと際大きく体を動かして、音を出していた。
花恋のSNSに、3人の写真と今日のイベントの感想が書かれた。1番最初にファボリツすべく、文字を読む前にボタンを押したにも関わず、今回も一番を取れない。見てる人、反応はええよ。
そこそこ遅い時間だったので、氷室さんは家族さんのお迎えで帰る。
美月と花恋と雷堂にそれぞれくっついて、離れたくなさそうにしていた。
俺は雷堂を送っていくことにした。雷堂の家、すぐそこだけど。
「べつに、いいのに」
「ちがう。こんぐらいしかできねーし。ちょっとでも応援してる」
「あいあい。そうだな、もうすぐ撮影するんだ。そのとき衣装、さきに見せる。それまでにまた、イラついて、どこも行く場所がなくなって、時雨のとこに帰ってくるかも」
「替えのパンツあるから、安心して帰って来いよ」
「一回、ほかのやつにあげたくせに」
「ちゃんと奪い返す予定だった」
「無くさないよう、もっといて」
「肌身離さずってことか? やだよ」
「ククッ、なあ、時雨」
「んー?」
雷堂の家の前だった。ファミリーマンション。オートロックの扉を、雷堂が開けて手招きされる。
建物の中に入ると、誰もいない、静かなエレベーターホール。止まっているエレベーターの前で、雷堂が言った。
「あたま、撫でて」
たまにかわいい事をいうんだから、こやつめ。
「んっ、フーッ、はあ」
髪をほどいている雷堂の頭を、髪形が崩れても撫で続ける。
人目のあるところで、こういうことはなかなかできない。
実は恥ずかしがりやの雷堂、いつもそっけない風に見える。見た目もそれにマッチしてるから、そんなイメージが付きやすいけど、中身は違うんだよな。
家には美月がいるし、アイドルになってから、いっしょに出歩くのも難しくなっちゃったんだよな。ふたりっきりになって甘えてくる雷堂が、ひさびさだった。
頭を撫でていた手を、雷堂の首と肩で、挟まれる。首も撫でろ。無言で雷堂が睨んできた。
「ふー、ふー、にゃっ」
猫を被ってるところは、美月とそっくりなのに。美しくない被り方が、俺は好きだった。
両手で、もみくちゃに撫でながら、目を閉じて目じりを下げる様子を見つめていた。
こうしてると猫みたいだ。
雷堂の気が済んだところで、雷堂は手を払って、後ろを向いてエレベーターのボタンを押す。後ろに俺がいるからか、そのまま真後ろに寄りかかってきた。
「時雨、ばいばい」
「またなー」
エレベーターが来るまで背中を支えていた。だれも乗っていないエレベーターが降りて来て、扉がひらく。
雷堂は、俺から離れると一足飛びでエレベーターにのった。
自分のいく階のボタンだけ押すと、しめるボタンを押さずに見つめてくる。
それでもしまる扉に阻まれながら、手を振ると雷堂が笑う。
「ひひっ」
歯を見せながらあどけなく笑う。花恋に似てきたな。そう思いながら、俺はマンションを出て、家とは逆方向へ行く。
「もしもし真夜姉? 5分だけ夜這いしにいっていい?」
「やーんっ、お姉ちゃん嬉しいです。ベッドの上で待ってまーすっ」
せっかく家を出てきたついでなので、理由はないけど真夜姉のとこに行こうと思う。俺は、さっきホストに撮ってもらった写真のアルバムと、美月が撮ってくれた動画を準備してから、真夜姉の家に入る。カギは開いていたので、閉めてから玄関をあがり真夜姉の部屋に忍び込む。
机の上には参考書と湯気を立てるコーヒーカップがあるのに、ベッドの上で寝たふりをした真夜姉がいた。無防備な先輩が可愛いおへそを出して寝てるとおもうと、イタズラしたくなる。
「真夜姉、真夜姉。見てくれ。俺、今日ダンス踊ったんだよ」
「お姉ちゃん、王子様のキス待ちです」
「よっし、言いたいこと言ったし、帰るわ」
「うそです。起きました。お姉ちゃん、起きましたよ」
「見てくれ。俺の有志」
「有志もなにも、花恋ちゃんのダンスじゃないですか。あれっ、違いますね」
「残念。妹のコスプレして踊る俺だよ」
「ふふっ。相変わらず、君はバカですね。でも、そういうところも素敵です。様子を見に来てくれて、ありがとうございます。お姉ちゃんは大丈夫ですよ。頑張ってきた弟くんには、お姉ちゃんがいっぱい、いいこいいこしてあげますからね」
真夜姉が頭を撫でてくれる。これこれ、やっぱりこれ、気持ちいい。雷堂もこんな気分だったのかな。
「それで、雷堂さんの調子はどうだったんですか?」
「もうちょっとだけ、忙しいみたい。雷堂のマネージャーさんも、すごい雷堂に気を使ってた。そんぐらい、大変なんだと思う」
「そう、では弟くんは、どうするのですか?」
「頑張れとは言わないけど、ずっと応援する」
「伝えないけど近くにいますよっていう、ストーカーみたいなやり方ですね」
「愛のあるストーカーなら、相手も許すよね」
「いえ、ふつうに気持ち悪いです。相手にもよりますね。相手も弟くんのことが好きなら、好意的に受けとめるでしょう。ちなみに、お姉ちゃんも、オッケーですよ?」
「そりゃどうも」
「生意気な弟君もいいですね。無茶苦茶にしたくなりますっ」
「襲われる前に帰るわ」
「ここから本番ですのに」
俺は真夜姉の拘束から抜けて、立ち上がる。真夜姉もついてきて、いっしょに玄関まで来た。玄関前で、俺と真夜姉は別れる。
「弟君の頑張れってメッセージ。ちゃーんと、伝わってますよ」
「顔見たくなっただけ」
「それはそれで、うれしいです。また来てくださいね」
手を振る真夜姉に手を振り返し、俺は家へと走った。
「ふふっ、かわいい。ライライって呼ぶ理由、また教えてくれませんでしたね、もう」




