41話 喫茶店とモーニング
朝。まだ空が暗くて、光が青く、空気が冷たく澄み切っているぐらいの時間帯。人通りもない道を歩いていると、世界がまるで俺一人きりのような錯覚に陥りそうになる。没入したいぐらい、この時間帯の雰囲気が嫌いじゃなかった。
カランカラン。
店の扉を開くと、高い金属音がなった。扉の上で、鈴が遊んでいる。
こんな時間に、ふつうのお店がやっているわけがない。さきに連絡しておいたからお店の扉を開けていてくれたようだ。よく知っている喫茶店に入った。
「よっす」
「相変わらず、君はバカですね? 正しい挨拶を教えて差し上げます。おはようございます、天宮くん」
喫茶店の主は、俺にそう言って来る。
幼馴染のひとつ年上のお姉さんで、学校の生徒会長様。銀髪に赤い瞳が特徴的な幼馴染。頼りになって、よく気が付く自慢の姉でもある。もちろん義理だが。
真夜姉の家でもあるこの喫茶店は、よく営業時間外に遊びに来ていた。いまもそうだけれど。
人が入っていないせいで、いつもより広く見える喫茶店に入る。
両手にスーパーで買い物をした袋を持っているものだから、それを置きにキッチンに入った。調理スペースに袋を置いて、中身を広げ始める。
「どうぞ、気にせず使ってください。こちらで勉強していますので」
真夜姉は喫茶店のカウンタースペースに座って、赤本を広げている。手元には参考書と教科書に辞書もあり、受験生のお手本を見ているようだった。柔らかい雰囲気なのに、目は真剣そのものだ。
ノートにシャープペンシルを走らせ、すこし考えて、また書き始める。
「気にせずって言ってるのに、こっちを見ちゃう弟くん、きらいじゃないですよ」
目は問題集に向けたまま、言葉を俺に向けていた。
「あとお姉ちゃん、風呂あがりなので準備万端ですよ? 朝からでも全然いけます」
「なんの準備かわからないので、俺は弁当の準備します」
24時間やってるスーパーで買って来た食材を使って、昼ごはんの準備をする。キッチンは勝手に喫茶店のを使う。理由は簡単で、家庭用とちがってお店のキッチンなので火加減の調整がしやすい。あと、早朝は勉強している真夜姉の邪魔をしに。
「お肉が多いってことは、お弁当は雷堂さんにですか?」
「そう。珍しくさ雷堂が仕事を一生懸命頑張ってて、疲れてるんだ。だから良い機会だし、前に肉まんもらったからそのお礼したい。俺、バイトとかも、ちょっとしかしたことないから仕事の大変さとかもわからないし、ギターもそんなにやったことないから、難しさがわからないけど、なにかしてやりたくて」
鶏肉にフォークをブスブスさしながら、そんなことを言っていた。
俺が学校をサボってたとき、学校こいよというメッセージのこもった肉まんをもらったことがある。それのお礼になればいいな。けど、あいつ覚えてないだろうなとも思う。
こう見えて雷堂にはいろんなこと感謝してる。花恋のこととか。
「雷堂さんって、たしか中学から一緒でしたよね。帰国子女の金髪の子が同じクラスに転校してきたってウキウキして言ってた弟くん、覚えてますもの」
「そうだよ。帰国子女って格好いいじゃん。中学んときあいつ転校してきて、色々あって仲良くなった」
「金髪ヤンキー事件とかですよね。いきなり髪の毛金髪にした弟くんの写真ありますけど、見ます?」
「いやだー、見たくない。それ、俺の黒歴史だから。喜んだのホストぐらいしかいなったんだよな。みんなに不評だった。」
金髪にしたら花恋にも「ちょっと・・・・・・」って言われたし。自分では金髪カッコイイと思って指ぬきのグローブとかしてたし。今でも格好いいと思ってるんだけどな。
ホストだけは「おそろーっ」って言って喜んでくれたけど。
熱したフライヤーに衣をまぶした鶏肉を放り入れる。同時にウィンナーを焼きながら、低い温度でゆっくりと巻いていく出し巻き卵の面倒を見る。
やっぱり広いキッチンがいい。料理がしやすいし、同時に色々できる。
「真夜姉、朝ごはん食べた?」
「まだですよ。前に差し入れしたコーヒーのお返しに、なに作ってくれるんですか? 食べたいものは、弟くんです」
「フレンチトーストとかどう?」
「フレンチ・キッスですって?」
朝からなんてことを言うの。みたいな反応をして、わざとらしくシャーペンが手から落とされる。
「だれがディープな話題に持ってたよ」
「お姉ちゃん、口の中でサクランボの茎を結ぶ練習し続けたかいがありました」
「だめだ、ぜんぜん聞いてない」
鶏のから揚げの様子を見ながら、半分に切った食パンを、溶かした卵と牛乳の入ったボウルに入れる。出し巻き卵をつくったとき、多めに卵を用意しておいた流用だ。ボウルをそのまま電子レンジに入れた。
「弟くん、なんだかお弁当の量がとっても多いですよ?」
「雷堂だからな、男4人前ぐらいでちょうどいい。焼肉30人前平らげるやつ友達にいるから、なんか感覚がマヒしてくる。このぐらいふつうみたいな」
「フードファイターの頂点みたいな方がいるんですね」
真夜姉は目をぱちくりさせながら答えていた。
「ちかくに居るぞ。生徒会室のとなりでピアノ弾いてるやつ」
「えっ。 あんな細いひとが・・・・・・」
「わかる。俺も驚いた」
弁当箱を準備するのも、持ち帰って洗うのも面倒くさいから、使い捨ての容器を買って来た。これに弁当を持って行って、学校で捨ててくる予定。
量が多くて容器ごとに一品とかいう出来になってしまった。からあげについては2パックもある。
あとサンドイッチをつくって完成だ。サンドイッチの具は、ハムとレタス、ハムとチーズ、ハムとキュウリ、生ハム。
昼飯食べるのに、花恋と美月をよんだら、すげー怒りそう。食べるの雷堂だから、雷堂は喜んでくれると思うけど、この全体的に茶色い弁当は男子向けだろうな。
バターで焼いたフレンチトーストを真夜姉の前に差し出す。
「お待たせしましたっと」
「良い匂い。ありがとうございます。料理ができるなんて、素敵な弟くんですね」
「俺の料理は手抜きだ。パンがレタスの水分を吸わないようにバター塗るとか、そういったすごい細かい手間を惜しむから。それでも、朝に弁当つくるひとを尊敬する。これ毎日はきついって」
そういえば、前に差し入れでBLTサンドをもらったことがある。花恋と同じアイドルグループでメインボーカルの氷室 氷雨さんからだ。すごく丁寧につくってあって、とてもおいしかった。ああいう料理、毎日食べれるひとってしあわせだと思う。あと氷室さんの手料理食べたファンは俺だけだろうから、ちょっぴり自慢になる。
「あら、つくって差し上げましょうか? お姉ちゃん、できますよ。好きなひとは胃を掴んでから、心を掴めって教科書に書いてありました」
「なんの教科書に書いてあるのさ、それ」
「恋愛の教科書ですね」
上目遣いの真夜姉と一瞬目が合った。すぐに逸らした。
「テスト科目にない教科だ」
「学校では教えてくれない授業、しちゃいましょうか?」
「必要ないとも言い切れない授業だな。午後からの選択授業にあったら選ぶよ」
「ええ。できる男の必修科目ですから」
真夜姉はそう言ってからフレンチトーストを食べて、おいしいと言ってくれた。やっぱ料理のだいご味って、食べたひとがおいしいって言ってくれることだよな。
使った油を処理したり、洗い物をして、キッチン周りを掃除する。
出来上がった料理だけ持って、俺は喫茶店を出る。
「ありがとうございました。また、来てくださいね」
「言われなくても、また来るよ。真夜姉もがんばって」
「ええ、もちろん。頑張ります。弟くん、ひとつ質問いいですか?」
「なに?」
「雷堂さんのこと、なんでライライって呼んでるんですか?」
見送ってくれる真夜姉は、意地悪な笑みを浮かべていた。
「んー、ひみつ」
「まあ。仲良しさんですね」
喫茶店をでるまで、真夜姉は見送ってくれる。俺が見えなくなると、きっとすぐに勉強に戻るんだろうな。持っていた赤本と呼ばれる大学入試の過去問題集は国公立の旧帝大、いわゆる難関大学のものだった。
「頭のいい真夜姉であれだけ勉強するのかよ」
なんだか現実を突きつけられた気分になる。
来年の不安を振り払って、今日を楽しむことに決める。
俺は家で寝てるやつらを起こしに帰ることにした。




