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猫とマフラーとノート

作者: ぽた

 最近筆を執っていないので、リハビリにと恋人から三題噺のお題を頂きまして。

 一時間程で書いたものですが……温めずに直感で書いたものもまた、力になるものだと信じて(笑)

「あ、野良猫…」

 そんな私の呟きに、件の猫は警戒心を剥き出しにした。

 一月某日。

 日曜日たる昨夜、私は友人の家に招かれて祝われた。誕生日だったのだ。

 もう立派な大人の仲間入りだ。

 そんな、少し浮かれ気味にこなした今日の仕事で——私は失敗をしてしまった。

 結果から言えばそう大したことは無かったのだが、世話役である四つ上の上司の顔を曇らせたことが、心に突き刺さって抜けてくれない。

 同じ年に入社した同僚は私を慰めてくれたけれど、言葉の上では「大丈夫大丈夫、平気だよ」って言っておきながら、私は酷く落ちていた。

 そんな日の夕刻だったからか、仕事を終えた私は真っ直ぐ家には帰らず、コンビニでホットココアだけ買って近くの公園へと足を運んでいた。

 この時間はいつも、子どもも老人も誰も居ない。それを知っていたからだ。

予報通りなら、そろそろ雪も降り始める頃合いだろう。

「お前……家はあるの?」

 近くに生えていた猫じゃらしを一つ千切って揺らしながら、私はそんなことを投げかけてみた。

 未だ警戒心を解いてくれない猫は、ひらひらと目の前をちらつくそれを睨んでいる。

「この草、名前なんて言ったっけ。まぁいっか。はぁ…」

 洩れる盛大な溜息。

 図らずも猫じゃらしを揺らす手が止まると、見計らったのかは分からないけれど、猫がそれに飛びついて来た。

「わわ、っと…! どうしたの、変な子」

 躊躇いながらもその頬に指を這わせてみると、猫は初めこそビクンと身体を強張らせたが、すぐに満足気な表情を浮かべた。

「単純なやつ。こんなことで喜ぶなんて」

 そういう私も、単純だ。

 祝われれば心から喜んで、失敗にはとことん落ち込んで。

 らしくもない物も買って一人で——




 ひとしきり遊んでやって、すっかり警戒心も無くなった様子を窺うや、私はベンチに腰掛けて猫を膝に乗せた。

 すぐに飛び降りるかもとは思ったが、猫は存外居心地良さそうに丸まった。

「お前はあったかいなぁ。私だってマフラーはしてるけど、毛皮には勝てないや」

 そんな独り言のすぐ後で。

「ぷしゅっ!」

 猫が破裂した——訳ではなくて。

 くしゃみをしたのだ。

「——ぷっ…はは、ははは! 何だ、猫だからって、毛皮があるからって寒くないわけは無いよね! ははは!」

 遊んで笑って楽しんで。

 少しばかり体温の上昇を感じていた私は、首にしっかりと巻いていたマフラーを解いて、猫の身体を包んでやった。

 ぎゅっと巻く訳にはいかないけれど、まあ風除けくらいにはなるだろう。

 ないよりはマシだと思えば良い。

 一層もふもふの増した猫を見下ろしながら微笑んで、けれどもやっぱり溜息を吐いた。

「仕事——仕事でね、失敗しちゃったんだ、私。損害が出たってことも無いし、別段気にすることはないみたいなんだけどさ」

 小さくみゃーと聞こえた。

「自慢じゃないんだけどさ、失敗ってしたことなかったの。入社以来、良い上司に恵まれたこともあってか、少しずつだけど成長もしてさ」

 少し大きくみゃーと聞こえた。

「その上司がね、ちょっと残念そうな顔をしたんだ。私はそれがショックで……そんな顔をされたことじゃなくて、そんな顔をさせてしまったこと」

 期待してるわ、なんて言われたこともあった。

 彼女の言うそれは重圧なんかではなく、寧ろ優しく私の背中を押してくれているようでもあって。

 そんな彼女だったからこそ、私は自分が不甲斐なくて仕方がないのだ。

「あーあ。どうしたら良いのかな…」

 呟いた矢先。

 何か電波でも受信したかのように、猫はマフラーから、私の膝から飛び降りて、そのまま公園の外へと走って行ってしまった。

「あっ……」

 虚しさが残る。

 猫がすっぽりと収まっていた筈のマフラーが、やけに寂しい。

「明日も仕事、か…」

 少し憂鬱になった。




「お、はようございます…」

 控えめな挨拶は、私の心の弱さの表れだ。

 しっかりしなきゃ、堂々としなきゃいけないってことくらい、頭では分かっている筈なのに。

 それなのに。

「おはよ。今日のお昼、私は外に食べに行くけど。一緒に来る?」

 彼女はそんなことを言って来た。

 いつもと——今までと変わらぬ笑顔で、いつも通りの言葉を吐いたのだ。

「え、っと…」

「今日は何にしようかしら。パスタはこの間食べたばかりだし、思い切ってお肉——は、ちょっと重いかな。うーん」

 いつも通りに小首を傾げて考える。

「よし、決めた! 和食にしましょう。お寿司なんてどうかしら?」

 と、私に尋ねて来たのだった。

 ——え?

「あら、お寿司嫌い?」

「え、い、いえ、そんな…! 大好きです、お寿司!」

「そう? なら決定ね。ここから十分くらい歩いたところにあるわ。案内するから、一緒に行きましょう」


 どうして——

「――は、はい」


 どうして、私はこんなに弱いのだろう。




 お寿司をご馳走になって。

 とりあえずは何事もなく午後の仕事も終えて。

 私はまた、あの公園へと足を運んだ。

 すると、昨日見つけたところに、同じようにこちらを向いて猫が立っていた。

「野良助…」

 勝手な名付けは、この場限りのもの。

 いつまでも「お前」では、流石に可哀そうだ。

 私は野良助を抱き上げると、またベンチに腰掛ける。

 今日は拒まれることも無かった。

 昨日同様、存分にもふもふを堪能したところで、丸まった野良助にマフラーを巻いてやった。

「ねぇ野良助。今日は何も失敗はしなかったんだけどさ、ちょっとやっぱり、私の方が距離を置いちゃった。敢えてかどうかは分からないけど、先輩は優しくしてくれたのにだよ?」

 小さくみゃーと聞こえた。

「ほんと、いつまで引き摺ってるのって感じだよね。それは分かってるんだけどさ。性分、って言うのかな。考え出したらそればっかりになっちゃう癖があるの」

 少し大きくみゃーと聞こえた。

「野良助はそんなこと——無さそうだよね。野良だもんね。私も、野良助くらい自由に生きられたら——」

 言いかけた折、これまた昨日と同じように、野良助は走り去っていってしまった。

「……な、何なのよ」




 翌日。

 そのまた翌日も。

 私は仕事を終えると、足繁く公園に通った。

 入口から見えるいつもの場所で野良助を抱きかかえてベンチに座って、幾ばくか話しかけている内に帰って行って。

 繰り返しのような日々が、一週間程続いた。

 何故だかいつも同じ条件になることが不思議で、同時に少し興味も湧いて、私はノートにそれらを記していくことにした。

 一月〇日。遅ればせながら謝ったら「何を今更」って笑われた。でもまだ私の方から距離を置いている——と話した。

 一月□日。仕事の遅れを取り戻す為に、今日は昼食の誘いを断った。また距離が開いちゃったかな――と話した。

 一月△日。失敗したことも、今では成長に繋がってるかなって思えるようになった。私から誘って昼食を食べた――と話した。

 何日か、そんな日記のようなものを付けて振り返った。

 野良助は、二度鳴くと私の前から姿を消すみたいだ。

 偶然か何かはさっぱりだけれど、自然と起こるそれは、もう普通の一部になってしまっていたから、私は別段気にすることなくそれに従って、話したいことを一日二つ決めて公園に通った。

 そんなある日のことだ。

「今度の休み、先輩の誕生日なんだって。お招きされちゃったんだけどさ、どうしよっかなって思って」

 小さくみゃーと聞こえた。

「プレゼントは何が良いかな。イヤリングとかピアスとか、ネックレスも着けてるところ見たこと――」

 と、二つ目を言いかけたところで、野良助は私の膝から飛び降りた。

「え――」

 それが当たり前でないことは分かっている。それは当然だ。

 今までが不自然だったことくらい――それでも。

「野良助……何で…?」

 私は、そう思うようになってしまっていて――


 その翌日から、野良助は公園に姿を現さなくなった。




 一週間が経った。

 先輩の誕生パーティは無事終わり、また仕事の日々。

 二日程続けて、私は公園に顔を出してみたけれど、変わらずその姿が見えないことを悟ると、私はついぞその日課すらも手放した。

 更に一日。

 更に一週。

 更に一月。

 月日が流れ、季節は春を迎えた。

 入職してから早一年だ。

 あれ以来、私は何度か仕事も失敗している。けれど、以前のように落ち込むことは不思議と無くなっていた。

 溜め込まず、吐き出す術を見つけたからだ。

 悔しいこと。嬉しいこと。そのどちらも、ノートに文字として、声で音として表出することで、頭の整理もついて次の仕事はちゃんと出来た。

 先輩からは「成長したんじゃない?」とも言われた。

 もう、今までの私じゃない。

「お疲れさま――っと。お祝い、あなたの家で良かったわよね?」

「はい! わざわざありがとうございます……もう一年も経ったんですね」

「あら、随分と他人事じゃない。ちゃんと頑張って、腐ることなく続けて来た賜物よ」

 ウインク一つ。

 これ以上にない誉め言葉だ。


「それでね、部長ってば――」

「えー、そんなことがあったんですか――」

 私の家へと帰る道すがら、何でもない会話を楽しんだ。楽しめるようになっていた。

 角を曲がって進んで、進んで――

(あ……)

 あの公園の入り口が目に入って来た。

 依然、野良助の姿はないままだ。

(いるわけない、か)

 ひょっとしたら、なんて考えもしてしまうけれど。

 今思えば、あの子は私を励ましてくれていたようにも思える。

 私が大丈夫になって来たから、次第に会話も減って、姿も見せなくなって。

 日記は続けている。野良助がいるからではなく、今は自分が自分で頑張れる為に。

「どうしたの? 道違った?」

 数メートル前方から先輩が呼ぶ。

 足まで止めてしまっていたらしい。

「何でもありません、このまま真っ直ぐですー!」

 少し駆け足になって、私は先輩の背中を追いかけた。

(ねぇ、野良助――)

 心の中で。

 私は、その小さな助け舟に語り掛ける。

(私、もう大丈夫だよ)


 遠くの方でみゃーと響いた。


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