第10.5話 空飛ぶロマン(続)
さてさて。豪華絢爛なパーティー会場を後にして、船の中を散策します。楽団の演奏が満ちていた会場が扉一枚隔てた向こう側に広がっているとは思えないほど、通路は静かでした。
歩く度に、敷かれた絨毯にヒールが柔らかく刺さり、足音すら聞こえません。全くの静寂で耳鳴りがしそうです。
「客船ではないのに、ここまで遮音する必要があるのですかねぇ。まあ、そのおかげで昨夜は静かに眠れましたけれど」
横に歩くマシューに向けてではない独り言を漏らしながら、遠くまで細く伸びる通路を眺めると、無機質なむき出しの鉄の壁に等間隔で扉が埋まっています。
今歩いているのは船の中央の少し後ろ、本来ならば船員たちのための個室が並んで区画です。別に船員の部屋なんて個室じゃなくて大部屋で作った方が安上がりだし、十分だなんてマシューは言っていましたけれど……昨晩この船で一泊した身としては、個室さまありがとう、という感想です。
まあ、備え付けのベッドは固くて今日は体がバッキバキですけれど。
「さて、昨日はあまり見て回らなかったのですが、通路はやはり狭いですねえ……」
すれ違うのがやっとです。並んで歩くことができないので、私がマシューの前を歩いています。一応彼の護衛役ですし、パーティー会場ぐらいしかない後ろからよりは、密航者がいるかもしれないこの先を警戒しておこうかと思ったのです。
「狭いからって触らないでくださいよ?」
茶化すように言ってみると、
「誰がキミのことなんか……」
マシューに鼻で笑われました。
「それはそれで腹が立ちますね」
マシューは中々良い顔に戻りました。さっきまで父親の話題からちょっとセンチメンタルな表情をしていたので、ほんの少し、爪の先ほどだけ気にしてはいました。
いつも通り減らず口が叩けるようになったのでもう大丈夫でしょう。立ち直りが早いのはいいことです。
なんて話している間に、ロープが一本、通路を通ることを許さないと張られていました。船員用個室の区画、即ち招待客が宿泊した区画の終わりです。
ここから先は、初日の最初に招待客全員が数組に分かれて順番に説明を受けただけで、それ以降は立ち入り禁止の区画です。
この向こうには食糧庫や倉庫、船員のための簡易的な医務室、下層には動力室があります。さらに、上にある船橋部分へ繋がる唯一の階段も。
単純に招待客には不要な区画だというのもありますが、何よりも動力部及びその周辺の仕組みを見られるわけにはいけないというのが主な理由です。
この船の、そして造船会社の心臓部である動力室とその仕組みの部分は、いくら身分の高い招待客が見たいと訴えても、頑なにスタッフたちが阻んでいました。
「さて、行き止まりですけれど、どうします? 上か下に行ってみますか?」
私は階段がある方向を小さく指して聞いてみました。
この空飛ぶ船は、船体内部が三層に分かれていて、私たちは真ん中の階層に居ます。とはいえ、この居住区画は上も下も似たようなものですけれど。
「いや、もうオレも落ち着いたし、そろそろ戻ろう」
マシューがそう言ったのとほぼ同時に、船全体が大きく揺れました。上に下に……右に左に……。
立つのすら困難なほどに揺れて、マシューは思わず尻餅をついていました。私も壁の扉に手をついて何とか。
僅か数秒ではあっても、非常に長く感じられた揺れがようやく収まるかと思ったら今度は、背後からとても大きな音が響いてきました。
「今度は何だ!」
足元でマシューが声をあげました。知りませんけれど、今確認しますとも。
ようやく揺れも収まったので、音の発生源を振り返ると、なんてことはありません、ただの鉄板でした。
ええ、鉄板です。見るからに頑丈そうで、例え大口径のライフルや爆弾を使ったとしても簡単に壊せそうにありません。
鉄板……板と言うより壁ですね。私たちが来た道を完全に塞ぐように、狭い通路を隙間なく支配しています。
ふむ……これは……
「緊急用の隔壁でしょうか」
万一、火災が船内で起こった場合など、被害を最小に抑えるために隔壁を降ろして火災現場を隔離することがあります。この鉄壁はそのためのものでしょう。
「そんなものがどうして……?」
ようやく立ち上がったマシューが腰をさすりながら言いました。知りませんよ、私に聞かれても。
「まあ、おそらく先ほどの揺れが原因でしょう。揺れのせいで誤作動したのかも」
「となると、他の通路だな。やむを得ない、後部区画を通って行くしかないな」
彼の言う通り、他に手はないので私はロープを跨いで立ち入り制限区画へ入ります。それにしても、ドレスだと足が上げ辛くて不便でしょうがないです。
マシューも続いて、二人で通路のさらに奥へ歩いて行きます。
船内は船首から船尾まで貫く通路が三本、中央と左右に一本ずつ、ところどころ横に伸びる道があってそれぞれの道が繋がっています。階段はそれらの道が交差するところにあったり、なかったり。
とにかく私たちは一度後部まで行って、他の道を通って戻るはずでした。……が。
「ここもダメですね、びくともしません」
ダメだとわかっていても、分厚い鉄の壁を叩いて確認します。ゴンと鈍い音が返ってきます。
パーティー会場もある前方へ行くための三本の通路、その全てが同じように鉄の隔壁で閉ざされていました。
ふむ……と、わざとらしく腕を組んで考えるポーズをしてみましたけれど、残念ながら考えるまでもありません。
完全に後部区画へと閉じ込められてしまいました。
ええ、それはもう見事に。見事なまでな孤立です。隔壁が一つだけ降りているだけなら誤作動だったでしょうが、念のため上層もひとつ確認しましたけれどそちらもダメだったので誤作動だとは言えないでしょう。
「何かが起きていますよ。間違いありません」
「それはもう十分わかっているとも」
「では……仕方ありませんね。最後の手段です」
操縦室に行きましょう。私が言うとマシューも歩き疲れた様子で頷きました。
各地にある階段は上層中層下層を繋いでいますが、船橋へ繋がる階段は最後部の中央にひとつだけです。
さて、船橋はというと、地図がまとめられている部屋、船長たち船内でも重要な人たちのための個室が数フロア続き、最上階に操縦室はあります。
彷徨っていたのも合わせて、何段階段を上ったのでしょうか。流石に少し足が痛くなってきました。マシューはもう、数段歩いては……止まって……を繰り返しています。
「もう、仕方ないので先に行きますよ? 流石にここで襲われたりはしないでしょう」
「ああ……一応頑張って歩いてみるがね……息苦しさすら感じてきてしまったよ」
そう言うと彼は座り込んでしまいました。ささっと行ってしまいましょう。
更に二つほどフロアを上ると、操縦室のあるフロア……つまり最上階へ辿り着きました。
「寒い……」
マシューと別れたあたりから感じていた肌寒さが、冗談にならない程になってきました。一体どうしたというのでしょう。
「まあ、さっさと終わらせて帰りましょう」
小さくそう言って、扉の方へ歩いて行きます。
開け放たれた扉へ。
少し違和感を覚えつつも、中を覗いてみると、先客がいました。
先客……そう表現したのは、彼らが皆、操縦室という空間にそぐわない風貌だったからです。
運営スタッフの制服を着た男性、つなぎを着た若いエンジニアの男性が二人、上等な衣服を着ている偉そうな男性。
……彼らに巨大な船の操縦を任せられそうにはありません。
ではここで一つ問題が生まれます。一体誰が操縦していたのか? つまりは操縦士や船長はどこへ?
なんて、わざわざ考えなくてもわかります。彼ら操縦スタッフもこの部屋にいるのですから。
ええ、いますよ? 一目見ただけでわかりました。お揃いの制服に身を包んでいたのですから。ああ、彼らがここの本当の住人だったのだと。
まあ、もう亡くなっているのですけれどね。
部屋の中央に倒れている一人を中心に、生きている男性たちは等間隔で離れて立っていました。
入口の右側、操縦桿がある辺りにも一人倒れています。その対面、窓がある辺りにも一人。
倒れている三人は同じように、赤い血を部屋中にまき散らしていました。
おそらくは散弾銃によるものでしょう。頭からお腹の辺りにかけて、炸裂する無数の弾丸を受け、目を覆いたくなるほど無残に吹き飛ばされています。
これほどの傷、即死に違いありません。痛みをで苦しむ暇もなく亡くなったのは不幸中の幸いかもしれません。
さてさて、私がその恐ろしき光景を眺めていると、偉そうな男性が言いました。
「また、容疑者が増えたな……」
ふむ、わかりましたよ。ええ、そうですよね、そうでしょうとも。
空飛ぶ巨大船、閉ざされた空間、殺人事件。役満です。
いいでしょう、この安っぽい、チャチな事件なんて、速攻で片付けて地上に帰ってやりますとも。
明日の見出しはこうですね、『美人店主 華麗なる解決』……うむ、いい感じです。
さて、先手を打ちましょう。息を吸って、大声で言います。
「犯人は……この中にいます!!」
本当にいるかはわかりませんけれどね。
続く