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第10話 空飛ぶロマン(序)

登場人物

レイナ:喫茶店の女店主。凄く強い。

マシュー:喫茶店の常連の一人。金持ち一族の御曹司。財力が強い。

ミオ:極東からやって来た少女。常連の一人。可愛くて強い。


1.

 世界の半分を手に入れた大帝国の首都。


 蒸気が一年中街を覆うこの街には、西から東から、人々が集まります。


 西は大きな海を越えた新大陸から、東は超巨大な大陸の先にある極東の島国からも。


 人が集まるということは即ち、彼らの生活、娯楽の需要が生まれるのです。それらの多くは物質的な欲求であり、食品や服飾品、必要とされるものは非常に多岐に渡ります。


 この国が多くの植民地を有する大帝国であるとはいえ、首都のあるこの辺りは所詮、四方を海に囲まれた島国。


連日増え続ける人口全てを賄う物資を生み出すことなど、できるわけもありません。


 それでは一体どこから調達するのか。多くは海の向こうにある自国の植民地と、他国との貿易によってどうにかかき集められています。


 大量の物資が移動するならば同時に、どうやって輸送するかが問題となります。


 現在主流なのは蒸気船による海運です。帆船による一度の航海が修羅場の連続だった数百年前の大航海時代が嘘だったかのように、鉄でできた巨大な蒸気船は大量の物資と人間を安全に移動させることができるのです。


 首都は島であり大陸とは海峡を挟むため陸路は存在しない以上、もうひとつ言っておくべきなのは空路でしょう。


 現在この世界の各地で空を飛んでいるのは飛行船です。気球のように大きな袋にガスを入れて空を飛ぶのですが、構造上ガス袋に比べると小さな空間しか客室や貨物室に利用できないため、海運ほど流通には用いられていません。


 もし仮に、大量に人や物を積み込めて、空を飛べる技術が出来たとしたら、この世界における流通の革命が起こるかもしれません。


 そして、ついにそんな技術が発表されたのです。


 小さな喫茶店の店主である私が、そんな大それたプロジェクトに関わることなどありえないとは思いますが、合縁奇縁、どういうわけか新技術の発表会へ参加することになってしまったのです。


2.

 管楽器と弦楽器の優しい音色が、広い空間に反響しています。


 テニスコートがいくつも入りそうなほど広いこの部屋は、床も壁も天井も鉄板が貼られていて、今回のため特別に用意された壁紙やカーペットの隙間からそれらを見る度に、本来ならば貨物室であるということを思い出させます。


 武骨な鉄板を隠すために貼られた壁紙や、絨毯は露骨なまでに煌びやかで、派手で、いかにもパーティーといった雰囲気を演出しています。


 テーブルに並べられた料理や、同じく招待された顔なじみとの会話なんかを楽しむ、紳士淑女が右を見ても左を見ても溢れています。


 彼らは例外なく全員が豪華な衣服を身に纏っています。彼らの衣装を全部集めて売ったら、一人や二人ぐらいなら一生遊んで暮らせそうなほどの金額になりそうです。


「流石に何時間もここにいると、目がチカチカしてきますね。たまに大きな揺れもありますし」


 そんなパーティー会場の片隅で、壁にもたれかかって愚痴ります。


 私の隣に立つ男性は、


「たった二日で泣き言とは……以前乗ったことのある、新大陸行きの客船では一週間も二週間も連日パーティーだったぞ。海の揺れもここに負けず劣らずだ」


「うへぇ……」


 ああ、あの街が、陸地が恋しいです。


 なぜなら私たちはもう、時間にして丸一日以上、陸地を離れて空の上を旅しているのですから。


 およそ三十時間前、私たちは首都を流れる大きな川に隣接する巨大な造船所に居ました。


 私たちだけではなく、現在この会場にいる招待客もまた集まって、新造船の完成を祝っていました。


 完成を祝った後、私たち招待客は船に乗り込んで、人類にとって大きな一歩となる船出に参加したのです。


 私たちが乗っている新造船。全長三百メートルほど、幅は四十メートルぐらいだったと思います。ただの船ではありません。


 この船は空を飛ぶのです。


 陸地を走ることこそできませんが、着陸と離陸は船体を垂直に移動させることで可能としています。


 また、普通の船のように海も航行でき、海から空へ、逆に空から海への移行も可能。


 そして飛行船のように浮遊のための巨大なガス袋は不要なので、普通の船と外観は殆ど同じ。内部は巨大な貨物室や乗組員の個室など、飛行船とは比べ物にならない程自由に使える空間が広がっています。


 まさに技術の最先端。これが普及したならば、空輸の世界が大きく変わるでしょう。


 だからこそ、大勢を呼んでこのようなパーティーで盛大に祝っているのです。新たな時代の幕開けを。


「でも私、貴方が離陸時に怯えていたのは忘れませんからね」


「何のことかわからないな」


 男性はすっとぼけます。陸地に戻ったら覚えておいてくださいよ。


「それで、お仕事の方は終わりましたか?」


「ああ、しばらく先の話だし、一隻だけだがオレたちの会社が利用できそうだ」


 ニヤリと笑って男性は言いました。


「それは重畳」


 短く私は返します。


 この船で行われているのは空飛ぶ船の完成記念パーティーだけではありません。


 最先端の技術は古今東西、利用したいと思う人は多いのです。だからこそ、彼らに向けた商談の場も設けられています。


 パーティー会場を出て同じ階層の中央近くに、本来は船員たちの休憩室として作られている少し大きめの部屋があり、そこで利用したい人たち――多くは貿易会社や旅行会社の経営者たちが順番に造船会社と話し合っています。


 パーティーはただの暇つぶし、会場にいる人間の多くは自らのビジネスの命運を左右する商談のことばかり考えています。


 そんな風に、虎視眈々と自らの利益の皮算用を心の中で楽しみつつ、表面上はパーティーを楽しんでいる経営者たち。


 いかにも社長と言う雰囲気の男性、彼らの妻と思われる綺麗なドレスの女性、そして彼らの側にいる黒服の護衛の三人がワンセットで会場のあちらこちらにいます。


 三人一組がいくつか集まって、テーブルを囲んで食事をしていたり、楽団の演奏を聴いていたり、人だかりを離れて歓談していたり。


 そんな人々を遠目に見ながら、私は隣の男性に尋ねます。


「今でも私は護衛なんて必要ないと思うのですけれどね。入船時に銃器を持ちこんでいないかチェックされましたし」


「別に銃がなかろうとも暗殺の危険と言うのは常にあるものだ。オレたちのような金持ちは、比例するように恨みも持たれているんだよ」


「だとしても金持ちばかりのパーティーなのですから、やはり必要ないのでは?」


 男性はフン、と馬鹿にしたように笑い、


「確かに招待客でわざわざ殺しをするような奴はいないだろうが、ここにいるのは招待客だけじゃあないだろう?」


「ああ……なるほど、スタッフですか」


「そう、あそこのウェイターだって、もしかしたら招待客の誰かの会社で酷使されていた可能性もある。搾取されていた時の恨みから、復讐を考えていたっておかしくはない。その可能性は低いだろうが、万が一に備えておくべきなんだよ」


 だから監視の目は多い方が良いのだと、彼は言いました。


「それに、銃がなかろうと殺すのは容易いだろう? 特にキミは」


「私をなんだと思っているんですか……まあ、テーブルの上にはフォークもありますし、後先考えないのであれば余裕で犯行は可能ですね」


「そういうことだ。だからキミも、常に警戒をしておいてくれよ」


 声を出さず、ただ頷くだけで返しました。


 そう、私は彼の護衛としてこの船に乗っているのでした。


 他の人たちは偉い人とその妻、護衛の三人組ですが、私たちは私と彼の二人組。私が妻役と護衛を兼ねているからです。


 だから私は非常に不本意ではありますが、彼の恋人としても振る舞いつつ、護衛として警戒も常に行っているのです。


 非常に不本意ですがね。今更ですが、断っておけばよかったかもしれません。


 一昨日、彼がやって来た時点で。




3.

 話は一昨日まで戻ります。造船所での完成披露式と乗船が昨日の朝だったので、その十五時間ほど前の話です。


 いつものようにレンガ造りのビルの一階にある私の店で常連さんと雑談でもして時間を潰していたときのこと。


 日も落ちてきてそろそろ閉店の準備をしようかと思っていた矢先、彼が勢いよく入店してきました。


 強く開け放たれたドアに付けられたベルが大きく鳴り響きました。もっと静かに開けてください。


 かなり急いでやって来たようで、その男性は肩で息をしていました。


 汗もかいているようで、着ている高級そうなジャケットと、せっかくアイロンをかけていたであろうシャツの首元が少し濃くなっています。


「とりあえず、ドアを閉めて座ったらどうです?」


 私がため息混じりに着席を促すと、男性は言われた通りにドアを閉めて席に座ると、


「いつもの」


 とこの店で一番高い豆を使ったコーヒーを要求しました。何のためらいもなく最高級品を頼むことに違和感がなくなって久しいです。


 彼はこの店の常連の一人、マシューです。


 世界各地に拠点を置く貿易会社のトップであり、貿易王や海運王と呼ばれている超大物を父親に持ち、マシュー自身も多くの会社を立ち上げ経営する敏腕経営者。


 そんな超一流の家庭に生まれ育った彼は、どう捻くれたらそうなるのか理解できませんけれど、とある犯罪に手を染めています。


 スリ。道行く人から金銭や持ち物を気付かれないように盗むことに、彼はスリルを感じていて、そして娯楽としているのです。


 複雑な経緯で私は間接的に彼の行為に関わっているのですが、それはそれ。何度か彼も相応に痛い目を見ていますし、人道とか面倒なことは警察や法律家にお任せです。


 積極的に協力はしないが、行為に口出しもしない、そんな関係。


 お湯が沸くのを待っている間に、私は彼に話を聞きます。


「それで? 今日はどうしたんですか? こんな時間に、しかも大慌てで」


「ああ……実は折り入って頼みがある」


「頼み? 新しく何か持ってくる前に、そろそろいつものお礼とかを持ってきて欲しいものですが。まあいいでしょう。話は聞きますよ」


 寛大な私は出来上がったコーヒーを渡して、話始めるのを待ちます。


 ようやく息が整って来たマシューは、出来上がったばかりの熱々のコーヒーを一息で飲み干して、


「実は、キミにオレの妻になって欲しいんだ」


 は? 今こいつは何と言ったでしょう? 妻に?


「はぁ……ふざけているんでしたら帰ってくださいよ? こう見えても私は忙しいですから」


 マシューは笑って、


「違う違う、実際にプロポーズしているわけじゃないさ。キミとなんて……命がいくつあっても足りない」


「いちいち人の神経を逆撫でしますね、貴方は。まあ、怒っていては話も進まないので、ほら早く、端的に要件を言ってください。今度は正確に」


 私が急かすと、彼は身に付けている上質なスーツの内ポケットから白い封筒を取り出してカウンターの上に置きました。


 封筒の表は四隅に植物を模した装飾が施され、中央にはマシュー宛を示す彼の名前が書かれています。


 裏を見ると、同じく淵には綺麗な模様が、一度開けた後ですが、まだ赤い封蝋は封筒に付いたまま、豪華な刻印がなされています。


「中を見てくれ」


 私が聞くより先に、マシューが促したので中身を取り出します。


 白い便箋に、無駄に回りくどい文章が並んでいました。手紙の送り先に敬意を払いすぎてわかりづらくなってしまっている雰囲気を感じます。


 長ったらしい挨拶や、無駄に並べられた装飾語を省いて要約すると、


「パーティーの招待状ですね。送り主は……おお、私も聞いたことある大きなところじゃあないですか。どうしてこんなものを貴方が?」


「……一応オレだって敏腕経営者だぞ。そりゃあこういった式典の一つや二つ、誘われるさ」


「そういえば、会社たくさん持っていましたね、貴方。しょうもないことばかりしているから忘れていましたよ」


「キミも大概いい性格しているよな」


 褒めていただき光栄です。これぐらいの言葉の殴り合いは日常茶飯事なので、お互いに深く考えません。


 互いにフフフ……と相手を馬鹿にするように笑い、しかし優しい私は用意しておいたコーヒーのおかわりを彼のカップに注いであげるのでした。


 それで、と本題を聞きます。


「どうしてそのパーティーが、私にプロポーズもどきをすることに繋がるんです?」


「なに、簡単なことだよ。今回のメインとなるのは新しくできた空飛ぶ船だ」


「空飛ぶ船? 飛行船ではないのですか?」


「詳しいことは当日説明されるだろうが、プロペラなんかで飛行するらしい」


 はあ、専門的なことはわからないので深く考えずにいましょう。いちいち出てくる言葉を気にしていたら話が進みそうにありません。


 私が黙っていると、マシューが続けました。


「招待されているのはオレのように会社の経営者がメインだが、全員に配偶者を同行させることを推奨……いや、同行させて欲しいと言っている」


「ふむ、なぜ?」


「どうしてもオレたちは新しいものを見た時に、自分の利益に繋がるかどうかを第一に考えてしまう。だからそうした色眼鏡なしの意見も聞いてみたいらしく、配偶者も一緒にして欲しいというわけだ」


「なるほど、それで……」


 私は少し目を薄めてニヤリと笑います。目の前にいるこの金持ちには配偶者はおろか、恋人すらいないことを知っているからです。


 顔は悪くない方ですし、金も溢れるほど持っているのに、本人が全く色恋沙汰に積極的でないことと、面倒な性格から恋人がいないらしいです。


 普段は恋人がいないことなど全く気にしていないという彼でも、このような形で求められるというのは予想外。しかし出席しないわけにもいかず。


「それで私に頼んできたというわけですか。この私に頭を下げて、懇願しに来たというわけですね」


「もう少し言い方と言うものがだね……だがその通りだ、本当は別の女性に頼んでいたんだが、今日いきなり断られてしまって……」


 柄にもなく、しおらしくしているマシューを見て同情するのではなく、笑顔を浮かべつつも、


「まあ、良いでしょう。理由がどうあれ貴方にはいつもご贔屓にしてもらっていますし、ちょっとパーティーに同行するぐらいなら付き合ってあげましょう」


「本当か!」


 目に見えて元気を取り戻すマシュー。表情がコロコロ変わって少し面白いです。大型犬みたい。


「ええ、それでそのパーティーと言うのはいつですかね?」


「明日だ」


 なるほど、明日ですか。


「明日!?」


 柄にもなく叫んでしまいました。いやいや、明日って……。もう日が暮れ始めているんですよ?


「明日って……明日です?」


「明日だ。詳しく説明すると、明日の朝、造船所で完成式典、そのまま船に乗り込んで明後日の夕方まで遊覧飛行だ」


「はあ……何とも急な話ですね」


 一度受けてしまった以上、力になりたいですけれど、困りました。明日の食材の注文だってもう発注していますし、のんきに旅行へ行くのはちょっと躊躇われます。


 私がうーん、と渋い顔をしているとマシューは更に要求を重ねてきました。


「実はだね、会場にはもう一人だけ護衛を同行させることも推奨されているんだ」


「護衛?」


「詳しくは当日見ればわかるだろうが、とりあえずキミにはだね、護衛役も兼ねてもらいたい」


「私に貴方を守れと? 冗談でしょう?」


 私はか弱い女の子ですよ? とてもじゃないですが護衛になんて……


「キミも冗談が得意なようだ。キミの強さは……まあ、形式だけだ。どうせ銃器の持ちこみは厳禁だ」


「それ、護衛って必要なのですか?」


「まあ、金持ちがたくさん集まるんだ、万が一の時に力になる人間はいた方がいいんだろう。もちろん恋人と違って、護衛は用意できるが、キミほど信頼できるような者はいないのだよ」


 旅費とは別にかなり高額な報酬も提示されました。


 妻役だけではなく護衛もやれなんて、いくらなんでも要求過多では? いえ、別にいいのですけれど、


「申し訳ありませんが、いくらなんでも明日というのは……私は同行できませんねぇ」


 金持ちだらけの旅、食事も一級品が用意されるはずですし、報酬も良い、しかしいかんせん時間が足りません。


「一度行ったことを翻すのか?」


「え?」


 今度は私を馬鹿にするような顔に変わったマシューが続けます。


「さっき言ってくれたよな? わかったって……嘘だったのか?」


「嘘だなんて……確かに力になると言いましたけれど、いくらなんでも急に明日っていうのは、できることとできないことが……」


「なんだ、できないからってすぐに諦める奴だったか? いや、オレが悪かった。わかった、わかった。オレは別の人を頼ってみるとするよ」


 彼は懐からコーヒーの代金を取り出してカウンターに叩きつける。


 はぁ……突然やって来てかなり面倒な事を頼み、しかもほぼ用意すらできない期限付き、それでできないと断ると、「お前にはできませんよねー」と馬鹿にしてくる。


 なんとも安い挑発です。安すぎてただ同然です。お買い得です。


 いいでしょう。その喧嘩、よろこんで買ってやりますよ。


「待ってください……その話、やっぱり受けましょう」


 立ち去ろうとするマシューを呼びとめ、こちらも威勢よく、


「貴方の妻役だろうが護衛役だろうが、なんだろうがやってやろうじゃあないですか。私を馬鹿にしたことを、後悔させてやりますよ」


 啖呵を切ると、マシューはニヤリと一度笑って、そのまま帰って行きました。


 計画通りだとか思っているような表情で、非常に腹が立ちましたが、言ってしまったものは仕方ありません。早く準備に取り掛からなくては。


 隅の席で置物のように静かにしていた常連さんに私が不在な二日間の営業を押し付け……いえ、お願いし、そのまま急いで旅行用の荷物の用意をします。


 私が不在で店を開けているなんて未だかつてなかったことですが……まあ、どうにかなるでしょう。


 こうして私は今回の旅へ行くことになったのです。




4.

 船は首都の造船所から飛行し、半日かけて海峡を渡って大陸にある芸術の都へ着陸。隣国へ技術力の高さを見せつけるかのように、悠々と街の中心に居座り一泊。


 二日目は芸術の都を後にして、再び海峡を渡り首都へ。


 今はちょうど、海峡に差し掛かった辺りでしょうか。一通り商談も終わったようで、貨物室を利用したパーティー会場には人が多くなってきました。


 テーブルの辺りは、料理を取りに入るのも出るのも一苦労です。


「おっと」


 テーブルから料理を皿に乗せて人だかりを出たところで、中年の紳士と肩がぶつかりました。


「いえ、私の方こそ……すみません」


 素直に謝ると、男性はフン、と一度鼻を鳴らしたかと思うと、サクサクと歩いて向こうへ行ってしまいました。


「むぅ、確かに不注意だった私も悪いですけれど、あそこまで露骨に不機嫌だとアピールしなくてもいいじゃあないですか……」


 口を尖らせて小声で漏らすと、隣にいたマシューが説明してくれます。


「今のはカーネル卿だな。貴族で、プライドが高いことで有名だ。こういった式典には大抵いるし、オレも何度か顔を合わせたことがある」


 マシューのような近年爆発的に増えたいわゆる成金を嫌っているそうですが、体面のためにこのような行事には姿を現しているといいます。


 気難しくて、あまり関わりたくないというのがマシューの評価でした。私もそれには賛同しますね。ファーストインプレッションは最悪でした。


「それにしても、流石ですね、貴方もちゃんと顔を覚えていたりするんですね」


「失礼だな……だが、確かにこうしたイベントに出席する面子は大体似たようなものになる。だからカーネル卿のあの態度は、見覚えがないキミを怪しいと思ったのも混ざっていたと思う」


「そういうものですか……では、他にも貴方のお知り合いがいるので?」


 ふと聴いてみると、彼は頷いて壁際まで移動しました。そして周りに聞こえないように気を使いながら、何人か参加者の説明をしてくれます。


「あの人とは以前、新大陸行の海路で一緒になって船内で色んな遊びを教えてもらったんだ。その時はもう少し髪があったがね」


 だとか、


「あそこにいる人とは、とある貴族の令嬢の結婚式であったことがある。今では良いビジネスパートナーだよ。挨拶は昨日済ませたからわざわざあったりしないけどね」


 だとか、


「ほら、あの人は南方にある国からだ。色々貿易について便宜を図ってもらって……」


 だとか、多種多様な人を紹介されます。


 どうだ凄いだろう、こんな凄い人たちと知り合いである自分は凄いだろうと、表情が語っています。目が口よりも物を言っていますね、彼に関しては。


 私だってそれなりに人脈は広い方です。これだけ人がいるのですから、一人ぐらい知り合いがいたりしないですかねぇ……。


「おや?」


 少し離れたところに、見覚えがある衣装が見えた気がしました。


 衣装と言ったのは、この会場の大多数であるスーツジャケットとドレスとは全く異なるデザインの衣服を纏っているからです。


 一枚の布で体全身を覆うようにデザインされていて、袖がゆらりと垂れ下がり、男性の方は色が黒、女性は花のような模様がついています。


 着物と呼ばれる、遥か東の民族衣装です。


「まさか、知り合いでもいたのか?」


「ええ。私も驚いていますが」


 向こうもこちらに気付いたようで、三人組が近づいてきます。


 黒い着物に身を包んだ男性と、落ち着いた柄の着物を着た彼と同じ年頃の女性、彼らに比べると派手な模様の十代の少女の三人です。


 男性と女性の方は初対面ですが、少女の方は知っています。


「こんにちは、ミオちゃん。こんなところで会うなんて、奇遇ですね」


 私は少女に、そしてついでに横にいる男女に、笑顔で言います。


 彼女は私のお店の常連の一人、極東より都合によりあの街に移ってきた黒髪の少女。色々と隠し事が多いですが、わかっていることの一つとして、彼女はとても強いです。


 成人男性数人なら赤子の手を捻るほど容易く倒せます。だからきっと、彼女は横の男性と女性の護衛なのでしょう。


「どうしてレイナさんがここに?」


 簡単な挨拶をした後、ミオはそう聞きました。ちなみにマシューは和服の男女と会話しています。「極東での販路の開拓を」などと聞こえてくるので、仕事の話をしているのでしょう。


「ああ、貴方は会ったことがありませんでしたね。あそこにいる男はマシューと言って、まあ……社長なんですよ。私の店の、常連の一人です。色々あってこのパーティーに誘われてしまいましてね」


「へえ、社長さんと知り合いだなんて、流石です! レイナさん」


 目をキラキラとさせて、尊敬のまなざしを向ける極東の少女。別に私が凄いわけでもないのですけれどね。


 今度は私の方が同じ質問をします。


「そちらはいったいどうしてここへ?」


「はい! あちらのお二人は、私の雇い主なのです」


「雇い主?」


「ええ、厳密には違うのですが……私が故郷から遥々あの街に来たのは、彼らを危険から守るためなのです」


 なるほど、彼女の強さに納得がいきました。要人警護を生業としていたのならば、頷けます。小さいのにそんな役目を担っているなんて、彼女もかなり凄いですね。


 その割には結構な頻度で私の店にやって来ていますけれど。まあ、彼女ひとりが警護係というわけもないでしょう。


「となると、彼らもかなり位の高い方々なのですかね?」


 マシューと話している男女をチラリと指して聞くと、


「かなりも何も、我が国の大臣とその奥方です。今回は我が国の代表として……」


 そこからいかに彼らが凄いか、十数分に渡ってミオは喋り続け、マシューたちの会話が終わって大臣から直々に遮られるまで、激流のように彼女は止まりませんでした。


 そのまま彼女たちは会場の向こう側へ去って行きました。


「いやぁ……まさか彼女が来ているなんて思いもよりませんでしたよ。もちろん彼女も私に対して思っているでしょうけれど」


「キミの人脈も驚くところがあるな。まさか極東とも繋がりがあったなんて」


 極東のお偉いさんとの会話は盛り上がったようで、新しい利益が生まれそうでマシューは満足げなホクホク顔です。


「それにしても、改めて見ると会場にも色んな国の衣装を着た方がいますね」


 ミオの着ていたヒラヒラとした着物以外にも、様々な民族衣装を着た人があちらこちらにいます。


 目がチカチカしそうなほど派手な色使いをしたものや、逆にシンプルに落ち着いた色ながらも、身体のラインに沿うようなデザインなもの。一枚の布から作られたもの。


「そりゃあ、何度も言うが国内外から注目される技術だ。会社の経営者じゃなくても、視察目的の国のお偉方だって各地からやってきているはずだ」


「しかし、ワシのように仕事とは関係なくプライベートで来ている人間もいますがね」


 突然、横から老人の声が聞こえました。


 二人して驚いてそちらを向くと、老人男性がニコニコと笑って立っていました。老人は笑顔のまま、


「驚かせたのなら悪かったの。盗み聞きするつもりではなかったが、つい聞こえてしまってね。もしかして、夫婦の時間に水を差してしまったかの?」


 ホッホッホ、と笑う老人。人の良さがにじみ出ています。


「いえ、別に構いませんよ。それに私たちは夫婦じゃ……」


「どうせオレたちも暇をしていたので、ぜひお話でもしましょう」


 私の言葉を遮って、マシューが老人をもっと近くに来るよういざないました。


 老人はそれに従って更に数歩近づいて、


「ワシはシヴと言う。こういった場に一人で来ている寂しい老人です」


 と自己紹介。言葉通り、彼の近くには妻と思われる女性も、護衛らしき人もいませんでした。


 私とマシューもそれぞれ名乗ると、老人はマシューの方を向いて、


「ふむ、その名前……まさかキミのお父様は」


「ええ、きっと思っている通りの人間だと思います」


 マシューが答えると老人は目を見開いて、


「おお! そうだったか。やはり……うむ、目元の辺りが昔の彼によく似ている……」


「父をご存じで?」


「知っているもなにも……昔はよくお世話になった。この船を作った会社の社長と、キミのお父様には特にワシが……お世話になった」


 遠い昔を懐かしむように目を細めて言う老人にマシューは、


「失礼ですが、父とはどういった関係で?」


「昔、ワシは東の方への海路を行く船に関わっていてね……その時の繋がりだよ。今日こうしてここへ来ているのも、わざわざ招待してくれたからなのだ。ワシが独立してから……もう何十年も会っていないが、招待をくれたことはとても嬉しいよ……」

 と、思わず泣きそうになっているシヴ老人。彼をマシューはただ温かく見守り、自分の知らない自らの父親の話をいくつか聞いていました。


 少しして、シヴ老人もふらりと会場の中央の方へ戻って行きました。


「楽しそうですね?」


 老人が歩いて行った方向をまだ見ているマシューを少しだけ見て、言いました。


 彼は微動だにせず、静かに、


「ああ……父の話を聞くなんて、何年もしていなかったからね……何と言うか……うん、新鮮だ」


「別にお父様と仲が悪いわけではないのでしょう?」


「父も、オレも自分の会社で手一杯だ。家族だけど……ゆっくり話すことなんてできるわけがない。だから……うん」


 そう言うと、彼はしばらく黙って……。


 一度目を瞑って、開くと私の方を見て言いました。


「少し、会場の外に行かないか?」


「ええ、良いですよ。私も、会場に溢れるセレブオーラに疲れていたところです」


 まあ、私は一応彼の護衛ですし、彼が望めばどこへだってついていくしかないのですがね。


 会場の入り口に立っている制服を着たイベントスタッフの一人に、少し船内を歩いてくると言うと、


「船内の後部の方にはあまり行かないようにしてください。一応機密もありますので」


 とだけ注意されて、入口の扉を開けてもらえました。


 さて、別に興味があるわけではないですけれど、ぶらりと船内を見回って見ましょうかね。


第10話終わり 続く(次かその次の日曜予定)

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