第4話 店主の休日
登場人物
レイナ:店主。定休日は気分で決める。
1.
世界の大陸の半分を支配した大帝国。その首都。
蒸気と歯車の街の大通りから1つ路地を入ったところにレンガ造りのビルがある。
1階は喫茶店に、2階より上は貸部屋になっている。
入口の扉を開くと、奥に伸びるカウンターと5つの椅子が待っている。しかし今日は店内に人の姿は見られない。よく見ると、入口に『定休日』の板が掛けられている。
ビルの、喫茶店の入口がある面の反対側の面には、左端に2階より上の貸部屋へ繋がる階段のある扉が。
その横には鉄でできた大きな扉がある。中に広がるガレージに普段は、この世界では非常に珍しい、蒸気機関ではなく石油を使う内燃機関で走る鉄の塊が眠っている。
機体の横に『勝利』を意味する文字を刻んだエンブレムを埋め込まれた、その自動二輪車の姿もまた今日はどこにもなかった。
喫茶店の店主と自動二輪車は共に、街へと繰り出していた。
2.
喫茶店のあるビルから少し西へ行ったところに高級な服屋が立ち並ぶエリアがある。
その中の一軒の目の前に、エンジン音を響かせながらやって来た自動二輪車が停まる。
運転していた女性はヘルメットとゴーグル、手袋を外してシートに置くと、店に入る。
通りに面した壁はガラス張りになっているが、それ以外の壁や床には木材が敷かれている。
壁に埋め込まれたガス灯が紳士用のスーツだけでなく、女性物のワンピースや子供服に至るまで、店内に並べられた多種多様な服を照らしていた。
入店した女性を見て、カウンターの向こうで椅子に座った店主の女性が声をかける。
「おー、待っていたよ、レイナ。頼まれていたものもちゃんと出来てるよ」
レイナと呼ばれた方は、
「いつもありがとうございますステラさん。見せていただいても?」
「もちろん」
店主ステラは背後の棚からいくつか服を取り、カウンターに並べる。
レイナは並べられた品物を広げると、指で撫でて、
「うん、流石ですね。縫製も完璧ですし、生地もデザインもイメージした通りです」
「いやー、大変だったんだよー? 特に革なんて、私は布の専門家よ? 全く、いつも無茶な注文ばかりするんだから」
「まあまあ、怒らないでくださいよ。今度何かごちそうしますから」
「お、いいねえ。私はいつも暇だからいつでも呼んでね」
「暇って……自分で言ってしまうんですか」
「今日もあんたが初めてのお客よ。暇なのは見ればわかるでしょ」
「確かにいつ来ても、私しかいませんねえ」
「まあ、私の店のことなんかより、どうする? いつもみたいに着て帰る?」
「そうですね、早く着てみたいですし」
レイナはそう言うと、いくつか服を取って、角に設けられたカーテンで仕切られた試着室で着替え始める。
カーテン越しに、ステラが語りかける。
「今回も仕事用のシャツとスカートの他はアクティブな服ばかり作ったけれど、可愛いんだからもっと綺麗な格好をしなさいよ」
「綺麗な、ですか?」
「そう、ドレスとかさあ」
ステラは立ち上がって、ハンガーで吊るして飾ってあるドレスを手に取る。
「これとか似合うと思うよ」
「いや、これと言われても見えませんよ……」
「でもどうしてドレスとか着ないの? バイクに乗る時はいいとしても、仕事の時とかもっと派手な服を着ていいと思うんだけどなあ」
「そうですねえ……単に私の趣味に合わないっていうだけですよ。シンプルなものが一番です。あとコルセットなんか着けたら動きづらいですし」
「ミニスカートとかメイド服、フリフリの服も置いてるよ?」
「いや、先の2つはまだしも、フリフリのロリ系とか動きにくいに決まってるじゃないですか……」
「似合うと思うのになー」
再びカウンターの椅子に座るステラ。レイナが試着しなかった服を綺麗に畳んで布の袋に詰める。さりげなく、黒いミニスカートのメイド服を紛れ込ませているが、カーテンの向こうのレイナが気付くことはない。
ちょうど着替え終えたレイナがカーテンを開けて、どうでしょう? と聞く。
シンプルな白い襟付きシャツの上に黒いベスト、その上には明るいブラウンの馬革のジャケットを羽織り、下半身は濃紺のジーンズで覆われ、足先は入店時と変わらず紐のない黒いブーツで包まれている。
「私が作っておいてなんだけれど、あんたのセンス、かなりその……独特よね」
「なんですかその言い方は。確かに時代に合っていないとは思いますけど、バイクに乗って、街を歩くこともあるならこれが一番ちょうどいいんですよ」
「あんたが納得してるならそれでいいけどさ」
「私にしてみれば、よくもまあドレスだのフリルだのを着れますよ。仮に襲われたらどうするんですか。反撃も逃げることも難しいですよ」
「その基準は乙女としてどうなのさ」
「私も確かに変ですが、ステラさんだっていつも趣味の悪いドレスじゃないですか。人のセンスを笑えませんよ」
レイナが指を指して指摘する。事実、ステラはあと少し露出が多ければ娼婦と間違われかねないような恰好をしていた。
鮮やかな深紅の布で作られたドレス、ところどころ金色に光る装飾が散りばめられ胸元と肩が大きく開いたドレスが、落ち着いた雰囲気の流れる店内で唯一、激しく自己を主張していた。
並べられている商品の中には、後にゴスロリやパンクと表現される奇抜なデザインも多いが、そのほとんどは黒や白の、色があっても精々暗い青や緑の、比較的落ち着いた色味の物ばかりで、セピア色の世界で彼女の服だけがカラー印刷されたようだった。
そのようなことは何度も言われてきたと言わんばかりに、
「いいのよ私は。何せ店のオーナーだし。こうした方が覚えてもらえるでしょう? 派手な格好をしているが腕は確かな職人がいる、って」
けろりと返す。それよりも、と続けて、
「店用のシャツとスカートは袋に入れておいたよ。一応まだ入りそうだけど、着ていた服は別の袋に入れる?」
「いえ、入るのでしたらそちらに」
「はいよ、貸しな」
伸ばされた手に、先ほどまで着ていた服を載せる。綺麗に畳んで、これもまた袋に詰め、代わりに袋を渡す。
「今日はこの後どこか行くの? たまにはバイクで遠出でもしてみたら?」
「そうですねぇ……たまには近場を気ままに走ってみようかと」
「何それ、楽しいの?」
「ええ、案外新しい発見があるものですよ」
「そっか」
珍しく新たな客がやって来たので、それを合図にするかのようにレイナはステラに別れを言って店を後にした。
外に出ると、太陽は高く昇り、遠くで正午を告げる鐘が鳴っていた。
昼は何を食べようか、荷物を落ちないようサドルの後部に括り付ける。
幸い、この辺りは繁華街だ。少し移動したら飲食店に困ることはない。ぼんやりと考えながらセルを回す。
(まあとりあえず、この辺りを適当に走りますかね……)
ガラス越しに見える店内から手を振っているステラに軽く会釈し、レイナは走り出した。
3.
世界で一番大きな街なだけあって、ほんの少しバイクで走るだけで多様な飲食店が目に入る。
道行く人に声をかけて呼びとめる屋台、店の前にテーブルを多く並べたおしゃれなカフェ、昼間から酒を飲んでいる人で賑わうパブ、見慣れない言葉で書かれた看板が掲げられた極東料理のレストラン――。
優柔不断なレイナは既に4つの店をキープし、そしてまた新しく見えた1軒に心を奪われていた。
心を奪われて、目を奪われていた。だから右前方から飛び出してきた老人に気付くのがわずかに遅れた。
老人は迷わずこちらへ走ってくる。高速で。このままでは間違いなくぶつかるだろう。
「やばっ……」
レイナは焦って後輪のブレーキを踏み抜き、前輪のブレーキレバーも全力で握る。同時に重心を左に振り、最悪の事態に、衝撃に備える。
ロックした車輪は路面との摩擦でタイヤのゴムを焦がし、甲高い音を響かせる。倒れそうになる車体を必死に左脚で支える。
「よかった、ぶつからなく……」
衝突の衝撃がなくて安心したのもほんの一瞬。重たい衝撃が車体を支えることを放棄させる。身体が地面へ倒れていく感覚が、スローモーションのように感じられる。
ああ――車体に傷がつかなければいいのですが、と考えながら、なすすべもなく倒れていく。
無謀にも走行中のバイクへ突っ込んできた老人の方は――。
――飛んでいた。勢い余って宙を舞い、そして顔から地面へ飛び込んでいる最中だった。
そして二人はほぼ同時に――正確にはレイナの方がわずかに早く、地面へ叩きつけられた。
――場所は公園に移る。この地区で最も大きな公園であり、数十年前には万博も開かれたほどの広さを持つ公園であり、老人はここから飛び出してきた。
公園におかれたベンチの端と端に、レイナと老人が座っていた。側にはバイクが立てられている。
幸いにもレイナのバイクに目立つような傷はついていなかった。左側面の塗装が何か所か剥げているだけだった。
新しい服を早速汚して落ち込んでいるレイナの横で、老人は機械をいじっていた。
それは先ほどまで彼が背負っていた機械であり、リュックのような形状で、地面に対し水平にプロペラが付いている。その用途は全く思いつかない。
「いやあ、悪かったのう。どうにもこいつの調子が悪くて」
老人が謝罪よりも、目の前の機械の方に意識を取られているという声で言った。
「まあ私もよそ見をしていましたし、お互い様ということで」
「そう言ってもらえると助かる……よし、できた!」
「先ほどからいじっていましたが、それは一体?」
レイナが聞き、
「これは加速装置というやつじゃ」
老人が得意げに答えた。
「加速装置……ですか」
「ああ、どれだけ速く走れるかに挑んでみたくてのう」
老人が今にも仕組みを話したいとうずうずしているので、
「一体、どのような仕組みなんですか?」
渋々聞いた。
「うむ、よかろう!」
老人は話始める。
要約すると、背負っている金属の箱の下部には石炭が詰められており、それを燃焼させてその上に溜めてある水を加熱、発生する蒸気で中央に設置したタービンを回し、そこから伸びている外のプロペラを高速回転させる。
比較的単純な蒸気機関。しかし究極まで効率性を高めるようにしたその装置は、開発者曰く、街に溢れる蒸気自動車よりも速く走ることが理論上は可能だと言う。
「さらにこの背負うためのベルトから伸びるこの部分! ここが肝いりでな?」
指差すのはベルトから伸びた筒状の部分。取り付けられた位置から、ちょうど二の腕のあたりを覆うとわかる。
「ここがな、装置が稼働するのに合わせて、強制的に腕を振らせることで走力を向上させる。この仕組みを作るのに3か月かかった」
「3か月も……ちなみに、全部で一体どれほどの期間をかけて開発を?」
老人は手を開いて見せて、
「5年……と言いたいところじゃが、これ以外にも並列で多くの装置を開発しておって、実質的には半年ぐらいかのう」
「ちなみに他にはどのようなものを?」
「そうじゃのう……洗濯から乾燥までやってくれる機械や、全自動でコーヒーを淹れてくれる機械なんかじゃな」
「コーヒーを自動で? 詳しく聞いてもよろしいですか。実は私、喫茶店を経営しておりまして」
「おお、そうかそうか。じゃが、全自動とはいっても、大きさがそこの乗り物2台分ぐらいにかさばるものでな……」
老人は脇に停めたバイクを指さして言った。
それを聞いて少しがっかりした様子で、
「残念ですがその大きさですと、私のお店には置けそうにないですね……」
「そうなんじゃ、小型化が難しくてのう……今までに一度しか売れておらん」
老人は、公園を走る子供を眺めて続けた。その眼はどこか、寂しそうだと、ふとレイナは感じた。
「ワシはの、嬢ちゃん。人間の未来を憂いておる」
「未来を……?」
「何十年も前に蒸気機関が生み出されて、以来人は蒸気機関からより巨大なエネルギーを得るべく、改良を重ねてきた」
その過程で多くの物が生み出されてきた。早く目的地に着きたいから蒸気自動車を、海を渡りたいから蒸気船を、空に憧れて飛行船を――生み出した。
「――わずか数十年で過去数千年を超す勢いで人類は発展した」
「それは、実に喜ばしいことなのでは?」
レイナが聞くと、老人は首を左右に。
「確かに文明は遥かに発展し、人類はひとつの高みへ到達した。しかし、しかし……当の人類は何も変わってはいないということに気付いた。むしろ劣化しておる」
「劣化?」
「かつてより伝わっていた伝統は機械生産でその技術は失われた。移動機関の発達で子供たちはかつての子供たちよりも弱くなっている。考えてしまうのだ、機械の発展で人はより弱く、何もできなくなってしまうのではないかと」
そう語る老人の声には、かすかな怒りが宿っていた。その怒りは、誰に向けられたものでもなく、何もできない、無力な己に向けての怒りだった。
その負の感情を読み取っているのか、いないのか、対照的に驚くほどのんきな声でレイナは聞く。
「それでは一体どうして、そのような装置を発明しているのですか?」
その問いに、老人は答える。
「ワシが目指すのは、人類の持つ、技術の保存と、退化していく人類を助ける技術の開発の二つじゃ」
「なるほど、つまりその……加速装置? は人類が早く走れないほど筋力が落ちるのを危惧して、といったところですか」
レイナの推理に、頷く老人。しかしその解答は50点だと前置きして、
「本当に作りたいのは、走るだけではなく、全ての動作を補助する、いわば金属の筋肉。全身を覆い、パワーを供給する鎧を、ワシは作りたい」
「なるほど、外骨格ですか……」
「ガイコッカク……?」
「いえ、独り言です。それよりも、全自動コーヒーマシンなどの方は技術の保存、ということでしょうか」
「そう、機械で残しておけば、その機械が壊れない限り技術が継承されるし、壊れても部品からもう一度組みなおせるかもしれない」
「それはそれは……実に立派な目標と、行いだと思います」
老人は驚きに目を見開いて、
「……お世辞でも、そう言ってくれたのは嬢ちゃんが初めてだ」
「まさか、そんなことはないでしょう」
「いいや、頭の狂った老人の戯言だ、狂人が何ごとか騒いで作っているだけだ、と……」
遠くで遊ぶ子供たちの声が聞こえる。希望に満ちた未来が待っていると信じている、無垢な子供たちの声が。
この老人は、彼らのことを憂いている。子供だけではない、彼らの親も、今も街のあちらこちらで働いている若者も、全ての人々を。
しかし想われている彼らは、老人へ見向きもしなかった。それどころか、頭がおかしいと非難すらした。
それでも老人は彼らのために、何かを遺そうと必死になっている。彼の予想した悲劇的な未来が本当に訪れるのか、それは誰にもわからない。もしかしたら、彼の行いは全くの無駄でしかないのかもしれない。
なんと凄まじい人だろう。レイナはそう思った。
誰からも認められずに、ただ一人で戦い続けるこの老人の執念ともいえるその行いのとてつもなさに、思わず畏敬の念を抱いてしまった。
「今持っているその装置も、素晴らしいものだと思います。その良さを、認めてもらおうと思ったことは……」
「どうせ理解はされないとも。じゃが、死後でもいいから、もし万が一ワシが予想した通りになってしまった時。わずかでもいい。わずかでもいいから、誰かのためになってくれれば、そう思うのみじゃ……」
「でも……」
でも……なんだろう。言葉が詰まった。
老人は既に、理解をしている。自分の命が終わるまで、誰からも認められないだろうことを。その覚悟に何を言っても無駄だと直感する。何も言わないことが、最大の敬意に違いないと。
そう考えていたために、視界と意識の注意を全て老人に向けていたために。そして老人は遠くを見ていたために、気付けなかった。
ベンチの傍に停められたレイナのバイク。その後方に載せられた荷物が消えていることに。
先に気付いたのはレイナだった。
「な、ないっ! 私の、荷物が、ない!」
その声に老人もバイクの方を見る。そして彼は視認する。指を指して言う。
「あれじゃ!」
その指の遥か前方をレイナも見る。
そこには、確かにバイクの後ろに載せていた袋を小脇に抱えて、公園から走り去ろうとしている男の姿が見えた。
すぐさまレイナはバイクに飛び乗り、
「すみません、お爺さん。また機会があればお会いしましょう。あ、私のお店にも是非お越しくださいね」
早口でそう言うと、スロットルを全開にした。
「早いっ」
泥棒は既に公園を後にしていた。出口から右方向へ。
急いで後を追って右へ体重をかけて地面すれすれまで車体を倒す。
大きな弧を描いて車線へ侵入する。右斜め前方に盗人の姿を確認した。
「逃がしませんよ」
高速走行のため、さらにギアを上げる。
フッ、と泥棒の姿が見えなくなる。対面を走る2階建てのバスが隠したのだ。
盗人の姿を隠したバスとすれ違う瞬間、レイナは見た。左手でバスに捕まり、身体とバスで荷物が落ちないように挟み、右手でこちらへ向けて中指を立てている男を。
「なんて無茶なっ……」
後方に向けて高速で消えていく男を追いかけるため、慌ててUターンを仕掛ける。
前輪ブレーキを強く握り、体重を前にかけて後輪を浮かせる。いわゆるジャックナイフ。
そのまま後部を180度横へスライドさせて進行方向を強制的に後ろへ向ける。
後輪を着地させる瞬間、激しい金属音が響いた。
「帰ったらメンテナンスですね……」
軽く舌打ちをして、再び走り出す。
加速、加速、加速。エンジンの回転数が上がり、振動はより強く身体を揺らし、排気音はより大きく鳴り響く。
「逃がしませんよ」
バスとの距離もどんどん縮まり――そして。
そして男は飛び降りた。慣性に従って左斜め前、歩道に転がる。
上手に衝撃を受け流した男はすぐに立ち上がり、そのまま前方の、細い路地へと逃げる。
突然のことに対応できず、路地の入口から少しオーバーランをして、すぐさま引き返して路地の入口にたどり着くが、
「これは……入れませんね。仕方ありません」
エンジンを切り、スタンドを立てて急いで降りる。
――その時だった。
「ワシに任せろ」
風が吹き抜けるように、否、風よりも速く、その老人は路地へ入って行った。
背中に背負ったプロペラの、生み出す推進力は底知れず。
自ら手掛けた加速装置の性能を、見せつけるかの如く。老人は止まらない。
後方より疾風となりて迫りくる老人に、泥棒はなすすべもなく――
「ぐわっ」
2つの短い悲鳴が上がった。
己を顧みない、捨て身のタックル。衝撃で老人も泥棒も地面へ倒れ伏す。
倒れる2人に駆け寄るレイナ。先に老人の意識を確認し、
「ワシよりも荷物を……」
その声を聴くと次は自分の荷物を確保し、
「えい」
這いずって逃げようとする男の脇腹に、一発つま先をお見舞いした。
「うぐぅ……」
そして動けなくなった男を脇で壊れてしまっている、加速装置を背負うためのベルトを使って縛り、老人を起こして肩を貸す。
「大丈夫ですか、すぐ病院に行きましょうね」
急いで運び出そうとする彼女に、掠れた声で老人が言う。
「いいんじゃ、嬢さん……自分の身体は自分が一番わかっておる……どうやらワシの人生はこれまで……」
「諦めないでください。私の寝覚めが悪くなります」
「それよりも、荷物は無事じゃったか……」
「ええ。ありがとうございました」
「それは……よかった……」
それを最後に老人は意識を手放し、深い、深い闇へ落ちていった。
4.
「あれからもう……1か月ですか……」
大通りから一本入ったところにある喫茶店、つまりは私のお店で私は言いました。常連さんが、いつもの席から痛々しいものを見る視線を送って来たので、
「いいじゃないですか。私だってたまには憂鬱っぽい顔もするんです」
その言葉に常連さんが呆れたと肩を竦めます。
「え? この服はどうしたのか、ですか? いやあ、助けてもらった荷物の中にですね、ステラさんが紛れ込ませていたみたいで、せっかく守ってもらったものですし、1か月ですし、着てみてもいいかなと」
そう言う私は、お店では制服のように着ているいつもの白いシャツにスカートではなく、黒い衣装に身を包んでいました。
ところどころに白いフリルがあしらわれ、フリフリのスカートは膝より短い丈で、黒いソックスがスカートの代わりに足を覆います。
つまりはミニスカメイドという衣装です。実に趣深いですね。
「まあ、あのお爺様への私なりの手向けですかね。ちょうど色も喪服っぽいですしセーフですよ」
そう、あの後大急ぎで病院へ担ぎ込まれた発明家のお爺さんは、必死の処置も虚しく、志半ばでこの世界から――
「人を勝手に殺すもんじゃあないぞ」
去ってしまうわけではありませんでした。
特に大きな怪我もなく、その日のうちに自宅へと戻りました。
そしてあの時の縁から、こうしてたまに私の店に来るようになってくれたのです。
「まあまあ、いいじゃあないですか。最初に死ぬと言ったのはそちらですし。これでおあいこということで、ひとつ」
「ふん、ぬかしおる。そっちの奴も笑うんじゃあない」
「そうですよ、常連さん。いくら変な格好をしているお爺さんとはいえ、面と向かって笑っては……ふふっ」
1か月前、泥棒にタックルした衝撃で加速装置は壊れてしまいました。しかし設計図はお爺さんの頭の中に残っているのですぐさま作り直したそうです。
さらに彼はタックルした時の経験から、生身で走ることの危険性を痛感し、金属でできたアーマーの増設を決意しました。
しかしわずか1か月では全身の用意は出来ず、鳩尾より上の上半身と腕、首と、顔以外の頭部を覆うだけです。何ともシュールな格好となっています。
クスクスと笑う常連さんを尻目にお爺さんは愚痴をこぼします。
「金に余裕ができたのは嬉しいが、今度は時間が足りないな。ワシが3人ぐらい欲しくなってきた」
金に余裕ができた。この言葉の意味は、例の事件のすぐ後から始まります。
恥ずかしい話ではありますが、私がバイクで泥棒を追跡していた時点で辺りにいた人はかなり注目していたみたいです。
そして颯爽と走り去っていく謎の装置を付けたお爺さん。
目撃した人の間であれはなんだと話題になり、目撃者の知人に噂は伝播し、後日お爺さんは新聞の取材を受けることになったのです。
その記事が物好きな、そしてお爺さんと同じく未来を憂いている資産家の目にとまり、同じ理想を持つ者同士、開発のために資金を援助してくれるという申し出があったのです。
「助手でも探してみたらいいのではないですか? 資金の心配はないみたいですし、資産家さんのように、探してみたら案外賛同してくれる人はいると思いますよ」
「そうは言うがのう……そんな都合よく……」
カランと、入店を告げるベルが鳴りました。
「頼もぉう!」
私がいらっしゃいませと言うよりも早く、大声が店内に響きました。
「発明家のヴィルヘルムさんがここにいると聞いてやってきたのですが!」
変わらず大声で、女性は言います。20代中盤でしょうか、妙にぼさっとした髪をして、ところどころつぎはぎをした服を着ています。
呼ばれたお爺さん――ヴィルヘルムさんが答えます。
「ヴィルヘルムはワシだが……何の用かね」
「自分、ヴィルヘルムさんの考えに感銘を受けました。是非助手として働かせて欲しいです!」
そう言って頭を下げる女性。
いや、まさかこんなすぐにフラグが回収されるとは。
あんぐりと口を開けるお爺さんと目が合います。
ウィンクをして、私は言います。
「人生これから、かもしれませんね」
第4話終わり