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第3話 自称善良な札束

登場人物

レイナ:店主。どちらかと言えば巻き込まれるタイプ。

常連さん:一番奥が指定席。やるときはやるタイプ。



1.

世界の大陸の半分を支配した大帝国。その首都。


 蒸気と歯車に支配された街の一番大きな通りを1つ逸れたところにあるレンガ造りのビル。


 1階は喫茶店に、2階から上は貸部屋に。


 目の前の歩道には4人掛けのテーブル席が1組置かれています。


 喫茶店の入口を開けると奥に向かって伸びるカウンターと5つの椅子。店主……私がいる側の壁には機械の配管やコーヒーミルなどが置かれています。


 この狭い空間が私のお店であり、お城です。



2.

「はあ……」


 昼下がり、誰もいない店内にベルを鳴らして入ってきた男性をみて私はため息を漏らします。


「また来ましたか……暇なんですか」


 本来ならお客様に対して絶対にしてはならないほど雑に応対を始めます。


 相手もこの反応には慣れたもので、さっさといつも自分が座っている席に座って、


「ああ、僕ほどの人間になると、何もしなくてもお金が溢れてくるからね。時間だけは有り余っているのさ」


 そう言って彼はこの店で一番高いコーヒーを躊躇なく注文しました。


 注文を受けて、渋々という雰囲気を体中から発生させつつ、準備を始めます。


「別に貴方だけの実力というわけではないでしょう。半分ぐらいはお父様のネームバリューが支えていると言われていますよ」


「いやいや、血筋も1つの実力さ。なんだ? 君も血筋を妬む側の人間だったのか?」


 妬んでいません。別に私はお金とか全く気にしていませんし。


 反論したら話がそれだけ長引いて面倒になるので、黙っていますが。


「それよりもどうだい? この服は。前に来たときよりも上等なものを用意したんだ」


 そう言って、彼は着ている服を見せびらかしてきます。


 触り心地の良さそうな上質な生地に、細やかな刺繍がふんだんにあしらわれた白いジャケット。その下に着用したシャツもきちんとアイロンで折り目が付けられています。


 首元から下がる深紅のネクタイもシルクで出来ていて、その先のジャケットを閉じたボタンにも細かい彫刻がされています。


 そしてそんな服装に負けないほど、整った顔に、派手な金髪をオールバックに固めている彼。


 彼は貿易商の父を持つお坊ちゃまのマシュー・スタンリー。


 自分が直接働くことは滅多になく、いつも暇を持て余しています。


「今度もまた、随分と高そうなお召し物ですね。ウチは別にドレスコードは求めていませんよ」


 私がそう言うと彼は早く自慢したかったと言わんばかりに、


「そうさ、このジャケットだけでこの店の商品全てを3回は買えるとも!」


「そんな高級な服を用意してまで、やることがアレとは……毎回言いますが、もっと別のことに情熱を注いでくださいよ」


「呆れた顔をしないでくれよ。オレは何事にも常に全力さ。改善できるところは何でもするぞ」


 その情熱をまともなことに向けてくれたら言うことのない完璧人間になれそうなんですけれどねえ。


 抽出が終わったコーヒーを彼に提供しながら、私は変わらず呆れた様子で言います。


「私はこの店の外で貴方が何をしていようと知ったことではありませんが、私に迷惑だけはかけないでくださいね」


「心配無用、今日もまた、上手くやるさ」


 コーヒーを一口飲んで、彼はニヤリと笑うのでした。



3.

 話はマシューが初めて来店した数か月前に遡ります。


 いつも通り客のいない店内で一人だったところへ、当時から上等な服に身を包んだ彼がやって来たのです。


 彼もまた、私の店にまつわる噂を聞いてやって来たようで、開口一番、


「占いだったらここが良いと聞いた。新しいことをやってみたいのだが、上手くいくだろうか」


「ここはカフェですよ。占いなら街にいくらでも占い師が座っているでしょう」


「あんな素人の眉唾を信じられるか。君は魔女だと思われるほど占いが当たると聞いた。だからわざわざこんな店に足を運んできたのさ」


 こんな店で悪かったですね。どうせ小さな零細喫茶店ですよ。まあ、その程度で怒る私でもないので、自然な笑顔は崩しません。


「まあ、占いも趣味程度でやっていますよ。当たるかどうかは知りませんが」


「なんでもいい、占ってくれるのか、くれないのかどっちだ」


「占ってもいいですが、さすがに注文もなしには」


「なんだ、そんなことか。ならこの店で一番いいコーヒーを頼む。それで文句はないだろう? 一番いい物なら混ぜ物もしていないんだろうな?」


 そう言って疑いの目を向けてくる彼。


 無理もありません。巷では、加水したり、食品以外を混ぜ込んで嵩増ししたりといった店もあると聞きます。


「失礼ですね。私の店は混ぜ物ゼロの純粋製品100%がウリなんですよ」


「それは殊勝な心がけだ。まさかこんな店があったなんて」


「どうぞご贔屓に」


 なんて会話をした後コーヒーを提供して、しばしの間無言が流れました。


 高級品を納得した表情をした彼に、


「それで、一体何を占ったらいいんですか」


 私が聞くと、


「ああ、始めに言ったが、オレは新しいことを始めようとしていてな。それが上手くいくか失敗するかを占って欲しい」


「なるほど、新しいビジネスでも?」


「ビジネス……ではないな。そうだな、趣味に近いかもしれない」


「はあ、なるほど。占い方の指定とかあります?」


「君に任せる」


 そこで私はカウンターの下の収納からタロットを取り出します。


 箱から取り出して広げ、かき混ぜるようにシャッフルを。


「今日だとか、明日だとか。あるいは向こう1年とか、占いたいのは何時ですか」


「そうだな……ふむ、とりあえず今日、この後すぐのことを占って欲しい」


「わかりました」


 シャッフルを終えたカードを1つの山にまとめたら、7枚ほど取り出し、六芒星とその中心に並べる、割とオーソドックスな方法をとります。


 ペラリ、ペラリと次々にめくって、その度に「ふむふむ」と頷く私に、待ちきれないというような雰囲気で彼は覗き込んできます。


「どうなんだ。オレはどうなる?」


 それを軽くあしらって、全てのカードをめくり終えてから、私は伝えます。


「そうですねー。全体的にいい結果ですよ。新しいことも上手くいくと思います」


 表になったカードはポジティブな意味ばかりでした。


 私のその結果を聞くと彼は、


「よし、ありがとう。それではすぐに行くとしよう。これは代金だ。釣りはいらない」


 コーヒーの料金よりかなり多いお金を置いて、そそくさと帰って行きました。


 私は呼び止めようとして、まあいいか、とお金をレジに収めました。細かい解説とか一応あったんですけれど。


 その日の夕方のことです。


 わずか数時間で再び店にやって来た彼は先ほどと同じ席に座ったかと思うと、懐から何かを取り出します。


 彼が置いたのは財布でした。それも1つや2つではありません。男性用も女性用も、人気なブランド品も入り混じっていました。


「これは……どうしたんですか」


 嫌な予感がしました。面倒なことに巻き込まれたと本能的に感じ取ります。


 そして彼は、どうだと言わんばかりに自信ありげな、非常に不愉快で腹が立ってくる、殴りたくなるような顔で言いました。


「そうさ、全部盗って来たのさ!」



4.

 以上が彼の初来店の顛末です。


 彼があの時始めたのはスリでした。


 暇を持て余した人間が行うことは、古今東西理解に苦しむようなことばかりです。


 スリルを味わうとは、古来より人間が好んできた娯楽の1要素です。破滅のかかったギャンブルや危険な場所への突入など、危険であればあるほど溺れやすい。


お金は寝ていようが溢れるほど入ってくる退屈な日々に、刺激を求め、スリルを求めるという彼の思考も、当然だったのでしょう。


 彼は道行く人のポケットやカバンから物品を盗る、バレたら金持ちとしての彼の地位すら怪しくなる危険な行為を、単に暇つぶしという理由で楽しんでいたのです。


 それではなぜ、上等な衣装に身を包むことに気を使っているのか。


 曰く、その方がバレにくい。


 貴族のような服に身を包むことで、もし被害者が違和感に気付いても、まさか犯人がマシューだとは思わない。


 そんなことを彼はもう、数か月、多いときには週に5日も行ってきました。


 犯行を行う前に毎回、私の店へ来て占いを求めるのです。もしその日の運勢が良ければスリをする。悪ければ、しない。


 スリ自体はこの街で珍しいことではありません。特にこの街の東の方にはスラムが広がっているので、そこの住人達が西側へ出て来てスリを働いて生活費を稼ぐなんてよく聞く話です。


 私は別に正義の味方なんかではありませんし、盗られる方が悪いなんてことも言いませんが、別に見知らぬ誰かのために止める義理もありません。


 それに、彼が奪った貴重品を売り払って金銭に変えたりするのかと思えばそうではないようで。一応超金持ちですしね、彼。


 彼曰く、ただ娯楽でやっているだけなのだから、直接的な利益を得ようなどとは思っていない。


 本人の言うことを信じるならば、どうやら彼は手に入れた品物は道端に落したり、あるいは道の隅にいる物乞いに投げ渡したりしているそうです。


 義賊気取りなのでしょうか。まあ、盗られた人には気の毒ですが、わざわざ通報なんかして警察とやり取りするのも面倒ですし、なにより私自身、かなり面倒な立場なので、手出しはせず、静観を決め込むだけです。


 さて、そうして今日も犯行を行うつもりでここへやって来た彼は、いつものように求めます。


「さあ、今日も景気よく占ってくれよ! 何せダメだったら今日1日別のことを探さなくちゃいけないからな」


「はいはい、わかりました」


 言いながらタロットの用意をします。


「ところでわざわざそんな衣装を用意したりするぐらいだったら、ウチでもう少し注文してくれてもいいんじゃないですか? ほら、口止め料って感じで」


「一番高いコーヒーではまだ足りないと?」


「いえ、別に。これも何度も言いますけれど、もう少し全うなことに情熱を捧げたりしないんです?」


「なに、一連のこの活動は創作活動というやつだよ。オレはだね、スリルあるこの行為をすることで経済へのインスピレーションを探しているのさ。この前も若い男の獲物から思いついてだね……」


 自分の輝かしい起業について語り始めてしまいました。


 彼は親の資産を元手に自身でも業種を問わず様々な企業を立ち上げています。特にここ数か月はハイペースで新規法人を作っていました。


 貿易業一本で大成した父親に対し、息子は幅広く手を広げて成功を収め続けています。


「スリというのもだね、案外奥が深い。まず盗れるか否か、獲物を観察しなければならない。すると自然、その人間自身を観察することになる。様々な人間を観察することは実にクリエイティブになれる」


 などと言っていますが、彼が実際に起業を繰り返している以上、本当のことだと思うしかありません。


 話の半分を聞き流しながら、私はタロットをめくります。そして出た今日の運勢は、


「今日もまた、良い運勢ですよ。繰り返しますが、私に迷惑だけはかけないように」


 結果を聞いたマシューはいつものように少し多めのお金を置いて、


「わかっているとも。君も楽しみにしておいてほしい、次に僕がどんな会社……作品を思いつくかを」


 周辺で義賊とささやかれ始めている彼は、すっかり芸術家気取りで去って行きました。



5.

 そしてまた数か月経ちました。


 マシューは時々訪れて、占いの結果を聞いて盗みをしたりしなかったり。


 その間もずっと、彼は一度も負けなしでした。新しく会社も立ち上げては成功を収めています。


「どう思いますか、彼のこと。犯行もどんどんエスカレートしていっていますよ。一度に盗る量が増えてきています」


 一連の流れを常連さんに語りかけて聞きました。夕方、今日もまたマシューが占いを聞いて帰っていった後のことです。


「聞こえていたから知っている? 良いじゃないですか。どうせ話すこともしていないですし」


 ほんの数時間前のことを思い出しながら、


「今日は彼、非常に星の巡りが悪かったんですよねえ。それはもう、塔や悪魔は正位置だし、他も逆位置ばかりで」


 でも何かしら揉めていたよね、と常連さんが聞いてきたので、


「ええ、何か今日は彼、おかしかったんですよね。やけに結果に突っ込んで。いつもは良くても悪くても詳しく聞かずに帰っていくのに」


 悪い結果だと伝えたら、詳しく説明を求められました。どう悪いのか、本当は良い結果になるんじゃないか、等々。


 どうあがいても悪い結果だ、そう伝えても、彼は食い下がって、どうにか良い結果だと言ってもらいたいという雰囲気を感じました。


「まるでそう……獲物は決まっているというようでした。今日は必ずやってやる、だから良い結果になるようにゲンを担ぎに来たようでした」


 本当にそうだとしたら非常にまずいですね。自分で言うのもあれですが、私の占いは正直当たります。というより当てます。


 だからこそ、彼が今日の絶望的な運気の元で犯行を行った場合、悪い結果になってしまうでしょう。


 心配なら観に行ってみれば良いと言う常連さん。


「それができたらいいんですけれど、彼がどこでやっているのかは知らないんですよね。変に詳しく知ってしまったら、それはそれで面倒に巻き込まれそうで」


 まあ、私も今日はやめておけと言いましたし、彼もわかってくれていることでしょう。


 数時間後、悪い予感は当たりました。


 入口のベルが鳴ったので、いらっしゃいませと言いながら私が向くと、本日二度目となる来店をしたマシューが立っていました。


「おや、マシューさん……どうしたんですか、それ。とりあえず注文はいつもので?」


「ああ」


 とだけ短く言って、お気に入りの席へ座りました。


 座った彼をチラリと見た常連さんに向けて彼は、


「こっちを見るな」


 イラついた声で一言。常連さんはすぐに新聞へ視線を戻し、おとなしく自分のコーヒーを飲んでいます。


「それにしても、随分と酷くやられましたね。さては私の占いを無視してやってしまいましたね?」


 無言で肯定する彼の見た目は、それはもう酷い有様でした。


 敏腕イケメン社長と称される顔は何か所も青く変色し、口の端からは血が垂れたのを拭ったのか、かすかに赤い跡が残っています。


 彼が定期的に自慢していたジャケットもシャツもズボンはそれぞれところどころ擦り切れて、その奥から白い肌が覗いていました。それらにもまた、血が飛び散って赤く滲んでいます。


 いつものコーヒーと、サービスで冷蔵庫から出した氷を布で巻いて渡します。


 顔の青く変色した部分に氷を押し当てながら、彼は言います。


「その通り、今日は手痛い失敗をしてしまったよ。やはり君の占いは良く当たるものだ」


「まあ、それなりに当てるようにはしていますからね」


「当てる?」


「いえ、なんでもありません。占いなんて、やろうと思えば無理やりこじつけられますよ、と言いたかったんです」


「まあ、何でもいいさ。とにかく今日は君の言うことを聞かず失敗した。詳しく聞いてくれるか?」


「もちろん」


 そして彼は話始めます。


「オレは今日の昼、ここへ運勢を見てもらいに来ただろう?」


「そうですね、いつものように」


「わかっていると思うが、いつもだったら言うことを聞いて、悪い運勢だったら盗みはやらないと決めていたんだ」


「ですが今日は……」


 露骨さすら覚える悪い運勢でした。それは彼も十分承知していたはずです。


 それでも彼は犯行を行った。何としてでもやりたかった。その理由を、


「何故か? それはだね、今日は近くの公園でイベントをやっていてね、多くの人がいるとわかっていた」


「ああ、それなら先週私も教えて貰いましたよ。今日だったんですね」


 先週したお客様との会話を思い出します。変人老博士が新しい発明品の発表会を行うとかなんとか。


「そういうイベントごとだと普段見かけない人種も訪れていたりするから、オレもより強力なインスピレーションを貰えると思ったんだ」


「だからどうしても盗みに行っておきたかった、と」


「そうだ、最初は上手くいっていたんだ。2、3人から盗んだ時のことだ。驚いたよ。オレに盗みを働く奴がいたんだ」


「ほう、それで?」


「幸い、俺の財布を盗んで逃げている背中が見えたから追いかけた。こうみえて体力には自信がある方でね。公園から出てすぐの路地、行き止まりで捕まえたよ」


 盗んだのは十代の少年。マシューが詳しく話を聞いてみると、生活のために金持ちらしき人物を狙ってスリをしていたと。


「実に汚い格好をしていてね、まさしくスラム育ちというような風貌だったよ」


「そりゃあまあ、貴方みたいにお金もあるのに犯罪をわざわざするような人は珍しいと思いますよ」


 最初の頃マシューが言っていたように、いかにもお金持ちという出で立ちをしている彼が同じくスリ師だったとは、その少年も思っていなかったでしょう。


 スリ師だとばれないように巧妙に変装(?)していた結果、スリの被害に遭うとは……何と言えばいいのでしょうか。


「ですが、その怪我はどうして? まさか少年に喧嘩で負けて?」


「いや、いくらなんでも10歳以上も違うだろう子供に負けるほどオレは不甲斐なくないよ」


「それではお仲間が駆けつけてきた、とか?」


 私が聞くと、彼はとても悔しそうな顔をして頷きました。


「スリは囮だったんだよ。わざと気づかれるようにスリをする。追いかけてきたオレみたいな人間を路地に誘い込む罠だった」


「なるほど……それでまんまと相手に連れられて、それから?」


「路地の入口を塞ぐように大男が2人やって来てね、痛い目に遭いたくなければ金目のものを全部置いて行けと」


「それで貴方は愚かにも立ち向かってしまったというわけですか」


 そうだ、と頷くマシュー。彼が言うには、その大男たちはボコボコに彼を殴って動けなくした後に、ジャケットやズボンのポケットというポケットを裏返していったそうです。


 そしてもちろん出てくるスリで奪った盗品の数々。それを見て大男たちは激昂した様子で彼を更に痛めつけました。


 大男たちは気が済むまで殴った後、一言吐き捨てて去って行った、と。


「『ここは俺たちのシマだ』だってよ。次に盗っているところを見かけたりしたら生きては帰さないとも」


 どうやらスリ師の間にも秩序というものがあるらしいです。


 それはそうでしょう、スラム出身の者が多いスリ師。彼らは生きるために精一杯で、できることなら無駄なエネルギーは使いたくない。


 そこで生み出されたのが『シマ』、つまりは自分たちの領土。互いに不可侵を結ぶことによって無駄な争いを避けていたということでしょう。


 そんな不文律に颯爽と現れ、何か月にも及び秩序をかき乱したていたのが名もなき義賊なのです。


 どの段階でばれて、いつから泳がされていたのか、それは私にも彼自身にも知ることはできないですし、知ったところで何が変わるわけではありません。


 ただ1つ確かなのは、これで彼はスリ師としての自分を捨てなければいけなくなったということだけです。


「おやおや、それはそれは……残念でしょうね」


 私は全く心のこもっていない様子でそう言いながら、レジの中からお金を取り出して彼の前に置きます。


「これ、貴方が今まで置いて帰った代金の、余分に払っていた差額です。必要ないとは思いますが、これで今すぐにでも病院に行ってください。見ていて痛々しいですし」


 この数か月毎回毎回貯まっていったお金。いつか返そうと思っていてレジ内の貴重なスペースを圧迫していたものです。


 彼はそのお金をいらないと一蹴し、そんなことよりも、と言います。


「次からはより一層気を付けるし、占いの結果は絶対守ることにするよ」


 堂々と再犯を宣言したのです。そんな彼に私は心底呆れ、


「まだやるんですか? 殴られて、身体も服もボロボロに……そんな経験をしても、それでもまだ貴方は続けると?」


「そんな経験? 違うとも! これは貴重な経験だよ!」


 なぜなら、彼は喜びに満ちた声で続けました。


「殴られているときに思いついたんだ! そうだ、次は護身術教室でも始めよう、ってね!」


 だからどうして、すぐに新しい仕事を思いつく商才と手先の才能はあるのに、その過程で犯罪に走ってしまうのか……きっと理解できないままでしょう。


 その後も彼は何度も調子に乗るのと手痛い失敗とを繰り返し、それでいて手に入れた獲物はばらまくことを続け……


 盗みの対象は、街行く人の財布から悪徳業者の店の商品、そしてごろつき達の密輸品へと次第にエスカレートしていき、自身がスカウトした仲間と共に、昼は敏腕社長、夜は義賊というまさかのストーリーを歩んでいくのですが……


 それはまた、別の話ということで。



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