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第1話 魔女ではないです

登場人物

女店主:名前はレイナ。ブラウスにスカート。20代前半ぐらいの見た目。

常連さん:店主の話し相手。3日に1回ぐらい開店から閉店まで居座る。




 世界の陸地の半分を領土にした大帝国。その首都の中心部。


 蒸気と歯車が支配するこの街の、一番賑やかな通りから1つ道を逸れたところに、レンガで作られたビルがあります。


 1階は喫茶店に、2階より上は貸し部屋になっています。


 喫茶店に面した歩道には、4人座れるテーブル席が一組置かれています。


 その側にある開き戸を開けると、奥に向かって伸びるカウンターと、5つの椅子。通路は1人通るのがやっとなので、テーブル席はありません。


 反対側のカウンターの下にはコンロや収納が、壁にはパイプや歯車がむき出しな、一見用途がわからない機械がいくつかあります。


 メニューはコーヒーや紅茶と簡単な料理が数種類ずつだけ。お酒は基本的に提供していません。


 この狭い店が私のお店であり、私の城です。


 今日もまた、お客様が扉を開き、入店を告げるベルが鳴ります。




「いらっしゃいませ」


 私は扉の方へ笑顔を向けます。立っていたのは男の子でした。


 10代中ごろで、ヨレヨレの茶色いコートを羽織った、頬に少しそばかすの浮かんだ、中性的な顔をした少年です。


 今は短く切り揃えられた茶色いくせ毛が長かったら女の子と間違ってしまうかもしれません。


 男の子は私の目の前の椅子に座り、私を見て言いました。


「あんた、魔女なんだろ。助けてくれよ」


 なんと失礼な少年でしょうか。初対面で魔女呼ばわりとは。ですがこのようなお客様も商売柄多く見てきました。


「魔女? 何のことでしょう。それよりもご注文は?」


 私は笑顔のまま聞きますが、少年は続けます。


「知り合いに聞いたんだ。あんたは魔女で、金さえ払えば魔法で助けてくれるって」


「コーヒーでいいですね。少々お待ちください」


 私は無視してサイフォンを手に取ります。


「コーヒーはいらない。助けて欲しいんだ! 話を聞いてくれよ!」


 少年は私の態度に語気を荒げます。まあ、せっかく訪れてくれたわけですし、もちろん話は伺いますよ。


「私は魔女なんかではありませんが、話は聞きましょう」


「本当か! それじゃあ……」


「ですが」


 勢いよく話を始めようとした少年を遮り、私は言います。


「まずは落ち着きましょう。走ってここまで来たようですし、コーヒーでも飲んでリラックスしてください。急いてはことを仕損じる、です」


「…………わかった」


 少年は渋々と言ったふうに頷きます。


 よろしい、と言って、私はサイフォンに水とコーヒー豆をセット、ランプに火を点けたら、しばらく待つだけです。


 じっと待っているだけでも面白くないですし、雑談でもして時間を潰します。


「ではまず、自己紹介をしましょうか。私はレイナ。見ての通りここの店主です。あなたは勘違いされているようですが、魔女ではありませんよ。あなたは?」


「……リチャード」


「ふむ、ではリッキーですね。よろしくお願いします」


 私がそう言うと、リッキーは「ああ」とだけ答えました。


 私はカウンター越しに見える部分をさっと観察します。彼の上着にはオイルが数か所付着していました。


 おそらく機械を触った後、手を洗わずに上着を着たりしているのでしょう。


「まだお若いようですが、普段は工場でお仕事を?」


 初手で職業を聞くなんて、流石にいきなり深く切り込みすぎたでしょうか。一瞬そう思ってしまいましたが、私の考えすぎのようで、特に気にしていないというように返されます。


「ああ、近くの製糸工場で働いている。機械がちゃんと動くように見張ってたりする」


「なるほど、最近はかつてのような手作業は減りましたが、今度は機械の操作をする人の需要はまだまだ多いですからね」


 だから若い彼はまさに働き盛りというわけです。使用者からしてみれば、子供であると扱いやすいですし。まあ、児童労働に関しては問題も多いと聞きますが。


「ですが、工場なんて近頃は夜中以外、ずっと稼働しているらしいじゃあないですか。こんな時間から出歩いていて平気ですか」


 カウンターの隅に置かれたニキシー管の時計は15時過ぎを表示しています。


 リッキーはきまりが悪そうに、少し顔を逸らして言いました。


「本当はいけないんだけど、勝手に抜け出してきて……今日しかなかったから」


 抜け出したのがばれたらきっと、怒られるでしょう。


 それを恐れずにここへやってきたということは、それほど重要な問題があるのでしょう。


 私に解決できるようなことだといいですけれど。


 ちょうどコーヒーも抽出が終わったことですし、私も真面目に話を聞くことにしました。


「どうぞ、コーヒーです。砂糖とミルクもありますからね」


 出来上がったコーヒーをカップに移し、ソーサーに載せてリッキーの前に提供します。


「どうやらかなり大きな悩みがあってここへやってきたご様子。忘れないうちに聞いておきますが、どのような話を聞いて、この店へ来ようと思いましたか」


「同じ工場の人に、この店は魔女がやっている店で、対価を払えばどんな願いも叶えてくれるって」


 どうしてそのような噂が流れているのか心当たりはないので困惑してしまいます。もちろんお客様の相談に乗ったりはしますが、魔女呼ばわりされるなんて。


「その話を聞いてやって来るなんて、相当勇気がありますね、貴方。魔女なんて、どんな対価を要求するかわからないのに」


「お金なら今まで必死に貯めたものが……」


「お金じゃない可能性は考えなかったんですか。例えばそうですね――」


 ――身体の一部とか。私は悪い笑みを浮かべて言ってみます。


 私を見るリッキーの顔はみるみる青ざめて、震えた声を絞り出します。


「やっぱりあんた、ま……魔女」


「魔女じゃないですよ。冗談です。言ってみただけですよ」


 少し悪ふざけが過ぎましたね。そろそろ本題に入りましょう。


「では本題を、貴方の悩みはいったいなんでしょう。話して貰えますか」


 私の言葉に、首をコクコクと振って、彼は話始めます。


「実は工場に、好きな娘がいるんだ」


 なるほど、恋の悩みですか。いいですね、青春ですねえ。


「その娘は工場を所有している社長の娘で、社長と一緒に視察に来ているだけだった」


「相手はお嬢様ですか。失礼ですが、普通あなたのような労働者は見向きもされないのでは?」


「確かに始めはそうだった。でもずっとアプローチしているうちに、相手にしてくれるようになって、それで……」


「両想いになった、と」


 リッキーは少し照れて頷きました。そばかすの浮かぶ頬は真っ赤に染まっています。中性的な雰囲気も手伝い、まるで恋する乙女のような顔です。


「ですが、本人は良いとして、家族がどう思うかですよね。特に工場を持っているような成金オヤジなんか、娘だろうと金のために使おうって思っていそうなイメージですが」


 例えば他の金持ちに嫁がせて事業規模を大きくしたり。事実、ここ数十年で成り上がったブルジョワ階級の間では事業拡大のための婚姻というのが流行していると聞きます。


「そう、そうなんだよ!」


 リッキーは机をバンと叩いて声を荒げます。やめてください。その天板、割と高いですから。


「数か月前に、オレと彼女の仲が父親……社長にバレたんだ。俺をクビにするのは人手も足りていないし見逃してやるが、2度と工場には娘を連れてこない、次はないぞってすごく怒って……」


「まあ、そうなりますよねえ。大事な娘を労働者なんかに盗られたくない、と」


 それが父親としてなのか、経営者としてなのかで私の心証は大きく変わりますが、その気持ちは理解できないものではありません。


 一方で少年の淡い恋心というのもよくわかります。いつの時代も、身分違いの恋というのはロマンに溢れています。


「それでは私への頼みは社長を説得して欲しいとかですか。流石に私もそのようなことは難しいですねえ」


 私が言うと、彼は「違う」と否定します。


「今から1週間前に、社長が引っ越しをするって噂が流れたんだ。その場所は……ちょっとそれを見せてくれ」


 私の背後を指さして言います。その先にはインテリアとして以前買った地球儀があります。


 言われた通り私は少し重たいそれをカウンターへ置きます。すると彼は地球をクルクルと回し始めます。


 愛しの彼女が引っ越す先となる、ある一点を指で押さえて私の方へ見せてきます。


「なるほど、ここですか……」


 この街から遥か東へ。大陸の東の果てを指で示していました。


「確かにその辺りには我が国の大きな居留地があると話には聞きますね。」


 私の言葉に彼は頷きます。


「工場の人が言うには、社長……彼女の親父が向こうでの新しいビジネスを始めるから、それにあたって家族ごと引っ越すらしいんだ」


「確かに首都として商工業がほぼ形作られたこの街よりも、向こうの方が成長性もありますし、ビジネスを始める土地としては優秀ですね。それでも移住はかなり思い切りがいい」


「そう、彼女も向こうに行ってしまうんだ。そしたらきっともう、俺は彼女に二度と会うことができない……」


 ここから引っ越し先までは海路では三か月、機関車や飛行船でも数週間かかると言われています。


 加えて費用に関しても、とても労働者が簡単に手を出せるような金額ではありません。子供である彼ではなおさらです。


「そうですね、お金を貯めることができたとしても、それはきっと何年何十年先になってしまうでしょう。もちろん一家が戻ってくる可能性もないわけではありませんが」


 それまで彼女が結婚をしていない確率は非常に低いでしょうね。彼らの恋はかなり絶望的な状況です。


 再び私の目をしっかりと見据えて、リッキーは言います。


「だから魔女のあんたに頼みがあるんだ」


「魔女ではないですよ」


 何度目かの同じ私の返答にリッキーは少し苛立ちを顔に浮かべます。仕方ないですよ、魔女と呼ぶ貴方が悪いんです。


「ですが、一番大事なところをまだ聞いていませんでした。仮に私が魔女だったとして、一体何を頼もうと思ってやってきたのですか」


 こんな可憐な美少女にできることはコーヒーを淹れることぐらいですよ。なんておどけて言ってみます。


「今日……あんたには、社長が引っ越しをやめるようにして欲しいって、頼みに来たんだ」


 彼は上着から財布を取り出し、中身をカウンターに出します。そこには子供が稼いだとは思えないほどの硬貨が積まれました。それほど彼女を想っているのでしょう。


「方法はあんたに任せる。お金もいくらでも払う。だから、彼女が行ってしまわないように……頼むよ!」


 今日一番の大声で、彼は必死に懇願します。


「先ほども言いましたが、会ったこともない相手の説得なんて、私には難しいです。それに……お金の問題というわけではないのですけれど」


 ですがここまで必死だと、応援したくなってしまいます。愛は全てに勝るのです。


 引っ越しをやめさせるなんて、どこの馬の骨とも知らない私にできるはずもありません。


 ならば他の手を考えるだけです。


 私は正面に座っている少年を見つめます。


 サイズの大きな服に包まれたその身体は、少女のように細く、その手は震えています。


 そんな彼に対して、酷い提案をすることになるでしょう。それでも私は言います。


「リッキー、貴方も向こうへ行ってしまえばいいんですよ」


 私の言葉に、リッキーは呆れたという顔をします。


「あんた、正気か? 向こうへ行くような金を俺が持っているわけないだろ」


「おや? 先ほど、お金ならいくらでも払うと言っていた気がしますが?」


「それは……言葉の綾ってやつで……」


「わかっていますよ。冗談です……ですが、あなたが向こうへ行くというのは本気です」


「でも、どうやって……」


 話が読めないというようなリッキーに、私は言ってやります。


「お金がないのなら、出してもらえばいいんですよ」


「出してもらう? いったい誰から……」


 そこで何か閃いたというように、リッキーは私を指さします。


「わかった、あんたがお金を」


「出しませんよ」


 当然です。むしろコーヒー代を頂く立場ですよ、私は。なんなら相談料も請求するところです。


 ますます分からないという顔をする彼に、ヒントを与えます。


「向こうの居留地にいる人がどんな人間かを考えてみてください。きっと答えは出ると思いますよ」


「そんなの、現地人と、政府の人間と、金持ちぐらいしかいないんじゃないのか」


 私はチッチッチと指を振ります。


「確かに、向こうへ嬉々として移り行った我が国の人間は政府関係者と資本家ばかりでしょう。ですが考えてください。その自国の人間を守っているのはいったい、誰だと思いますか」


「治安維持なら警察がやっているんじゃ……」


 ブブー、と私は指でバツを作って答えます。


「これが違うんですよ。実は居留地の治安というものは、そこを管理している国の軍隊組織が大部分を担っているんですよ」


 ここまで言えばわかりますね? そう言うと、リッキーはまさかという顔をしました。


「軍に入って配属されたら……向こうに行ける……のか?」


「そうです。今のように工場で働いて待つよりはよっぽどマシな選択肢だと思いますよ」


 お金は持っていなくても、お金を誰からも貰えないとしても。実現可能な奇策。


 自らの人生と引き換えの大博打。ひ弱そうな少年に対し、我ながら悪いことを勧めているとは思いますが、きっと一番可能性のある方法です。


「他の人には秘密ですが、この店の常連の一人には陸軍の将校がいます。私が彼に頼めば東にも行けるでしょう。もちろん、軍に入ってしまえば逃げられません。よく考えて決断してください」


 リッキーはしばらくの間、下を向いて考えて。考えて、悩み抜いて……


 時間は15時半になろうとしています。コーヒーはとっくに冷めてしまった頃。ようやく彼は顔をあげました。


「決めたよ。オレはあんたの言った方法に頼ることにする」


「自分で言っておいてなんですが、本当にいいんですか? 後戻りはできませんよ」


「いいんだ。きっとそれしか道はないと思う」


 そう言う彼の目は決意に満ちていました。きっとその覚悟が揺らぐことはないでしょう。


「そうですか。それでは手続きなんかは近いうちにやってもらうとして、そうですね……その旨を手紙で伝えてみてはいかがですか。会えなくても手紙なら受け取って貰えるのでは?」


 ペンと便箋はいりますか? 私がそう聞くと、リッキーは顔を真っ青に染めていきます。真っ青どころか青白くなっています。


 消えてしまいそうなほど掠れた声を、小さく開かれた口から漏らします。


「ぅ……なんだ……」


 よく聞き取れなかったので聞き返すと、


「今日なんだ。彼女が、列車に乗ってこの街を出るのは」


「今日!?」


 驚きのあまり、私はつい大声を出してしまいました。


「ちょっと、こんなところにいる場合じゃないですよ! 今すぐ駅に行ったほうが!」


「出発は4時だ。きっともう間に合わない」


 私は咄嗟にカウンターに置いてあるニキシー管時計を確認します。


 時刻は午後3時半を回っていました。ここから駅まではどれだけ走っても間に合いません。


 加えて、最近増えてきた蒸気自動車が起こす道の渋滞は深刻で、下手したら辻馬車より走った方が早いと言われています。


「もう……無理なんだ……」


 リッキーは諦めたようで、再び下を向いてしまいました。


 私が、最初から無駄話をせずに用件だけ聞いていたらまた違った結末になっていたのでしょうか。


 そう思うとほんの少し罪悪感が湧いてきます……仕方ないですね。


「ついて来てください」


 私は入口の方へ歩きだします。


「ついていくって、どこへ行くの」


 言いながらも、リッキーは私の後ろへ歩いてきます。


 私は道路に面した入口を開き、ビルの壁に沿って2回曲がります。


 つまりは店の反対側の面に、それはあります。


 貸部屋へ通じる扉が壁面の左端にあり、それよりも遥かに大きい、壁の6割を埋めるほど大きな鉄の扉。


 私はポケットから取り出した鍵で開錠し、体重をかけて扉を開きます。開いた扉から中へ入って、先ほどの質問に答えます。


「どこへ行くって、もちろん、駅に行くんですよ」


「でも時間が……」


 少し遅れて中を覗いたリッキーはそこにあった物を見て、これは? と聞いてきます。


 中央にあるのは金属の塊。体の前と後ろに車輪を持ち、上からは2つのハンドルが伸びています。


 自動二輪車と呼ばれるべき物体が静かに置かれています。


 そう、ここは私のガレージなのです。置かれているバイクの他は壁面に工具やパーツが、奥には私が着替えるための簡易的な仕切りがあります。


 リッキーは見慣れぬ物体に、頭の上に疑問符を浮かべています。


 それもそのはず、このバイクは現在この世界の主流である蒸気機関のような外燃機関ではなく、内燃機関(レシプロエンジン)を搭載したものなのですから。


 開発が遥かに遅れてしまったのと、外燃機関が信じられない速度で発達したこの世界では珍しい、直接石油で走る内燃機関。


 その効率は外燃機関より遥かに良好で、排気量が1リットルを超えるものを搭載したこのバイクの速さは確かなものです。


「安心してください、ただの乗り物です。少し珍しいですが。ですがこいつは、表を走る蒸気自動車なんかよりも、よっぽど速いですよ」


「自動車よりも……それなら!」


 新しく芽生えた希望に、彼は顔をほころばせます。


「ええ、間に合います。ところで、着替えるので少し向こうを向いていてもらえますか?」


 私がそう言うと、リッキーは慌てて後ろを向きます。


 私は奥の仕切りに隠れて履いていたスカートを脱ぎ、代わりに、壁にかけておいた革のつなぎを着ます。


 乗り物の速さを競うレースに出場するような人たちが着る、首から足先までが一繋ぎになっているレーシングスーツです。泥棒をやってみたくなるような衣装です。


 流石にスカートでバイクに乗ったら脚がズタズタになってしまいますからね。


 スーツを身にまとった私は棚から飛行帽とゴーグルを2つずつとり、片方をリッキーへ渡します。


「お待たせしました、それでは行きましょうか」


 私は車体を跨ぎ、バイクを眠りから覚ますセルを回します。


 久しぶりに覚醒したエンジンは大きな音を立てながら、徐々に熱を持っていきます。


 一度右手のスロットルを吹かし、調子がいいことを確認すると、リッキーを後ろに座らせます。


「しっかりとしがみついてくださいね。振り落とされて、死にたくなかったら」


「わかった」


「だからと言って、変なところ掴まないでくださいよ?」


 私がいたずらっぽく言うと、リッキーが抗議の声を上げます。やはりこれぐらいの年齢は可愛いですね。


 もう一度、エンジンを吹かすと、ギアをローに入れてやります。


「さあ、行きますよ!」


 エンジンの爆音に負けないよう大きな声で言うと、腰に回された手に力が入ったのを感じました。


 そしてクラッチを離すと、車体は前へ飛び出します。


 右へ、右へ、すぐに大通りへ突入します。


 思った通り、道路は自動車がずらっと並んでいました。


 普段の私なら律儀に行列に並ぶのですが、あいにく今日は急ぎです。


 車間を縫うように、それでいて速度は落とさないように、全力で駅へ向かいます。


 車の右を、左を、時には歩道も走ってしまいます。何者も今の私たちを捉えられません。


 自動車の運転手が、歩道を行き交う歩行者が、露店の商人が、誰もが私たちを見て驚きの顔をします。


 見慣れない乗り物が、速いと信じられている自動車よりも遥かに速く走っていたら無理もありません。


 さらにスロットルを開いて速度を上げます。カーブの度に車体は膝を擦るほど倒してようやく曲がれます。


 歩道の隅で暇そうにしていた警官も、迫ってくる私たちを見てホイッスルを咥えました。捕まえられるものなら捕まえてごらんなさい。その横をあざ笑うように通り過ぎました。


 背中に張り付いたリッキーは大声で何かを訴えているようですが、エンジン音と風切音はその声を私の耳に届けることを許しません。


 10分足らず風になっていた私たちは、駅前の少し開けた広場にたどり着きました。スタンドを立てて私たちはバイクから降ります。


 列車から降りてきた人、これから列車へ乗る人、彼らを相手に商売をする人。様々な格好の人々が行き交いっています。


「さあ、どうでしょう。麗しの彼女はいますかね」


「自動車でここまで来るって言っていたから……」


 言いながら、リッキーは乗降のために自動車が列を作っている場所を注視します。


 その一帯は特に、いかにもお金を持っていますと言った綺麗な格好をした人々が集まっていました。


 髭をきれいに整えた紳士、豪華な意匠をこらしたドレスの婦人、彼らの後ろを荷物と共に歩く召使い……


「いかにもお金持ってそうですねぇ。ほら、あの人のジャケットとか見てくださいよ。金糸で刺繍されてますよ」


「そういうのはいいから」


 呆れたというような口調で私の相手をしながら、彼はさらに探します。時刻は後10分で16時になります。


 高かった太陽は今日の舞台を降り始め、街に影を増やしています。


「いた!」


 いきなり大声を上げたリッキーに、周囲の人がこちらを見ました。隣で叫ばれて私も耳が痛いです。


 まあ、そんなことはどうでもいいです。私は彼にどの娘か尋ねます。


 彼が指差した50メートルほど先には、丁度自動車から降りて、駅へ向かって歩く一家の姿がありました。


 いかにも成金といった派手目なジャケットを着た中年男性。その隣をこれまた派手なドレスを着て歩く女性。


 その少し後ろを、白を基調としたワンピースに身を包んで歩いている女の子がいました。


 背中までかかる金髪(ブロンド)にワンピースが良く似合っています。ですが、その顔は少し浮かない表情でした。


「ほら、見てください、あの子の顔を。きっと貴方に会えないとか考えているんですよ。早く行ってあげてください」


 私がそう言うと、リッキーは帽子とゴーグルを返して言いました。その表情は晴れやかなものでした。


「ありがとう、あんたのおかげだ。まさかもう一度、会えるなんて」


「いいですから、早くしないと列車が出ちゃいますよ」


「ああ、そうする。ありがとな、魔女の姉ちゃん。やっぱあんたは魔法使いだ」


 そう言って私に背を向け、彼は走りだしました。


 その背中を見ながら、私は呟きます。


「だから、魔女じゃないですって」


 その声は誰にも聞こえないまま消えていきました。


 走って近づく彼に彼女も気付いたようで、手を振っています。


 すぐ横の父親が何事か言っていたようですが、それを無視して彼女もリッキーの方へ走り寄りました。


 二人が何を話しているのか、私のところまで声は届きませんし、わざわざ聞きに行く野暮なこともしません。


 楽しそうに話す二人に心の中でエールを送り、私は背を向けてバイクに跨るのでした。






「なんてことがあったんですよ。え? そうですよ、結局私は店で待ち受けていた警察に捕まって、2日ぐらい店に帰れなかった時のことですよ。珍しい乗り物に乗ってると有名になって困りますね」


 私は自分の店で、常連さんに向けて言いました。ちなみに、リッキーを紹介した陸軍の将校ではありません。


 私の手には遥か東の彼方から送られてきたエアメールがありました。差出人にはリチャードと書かれています。


 常連さんは新聞から目を離さず、こちらを全く見ないので、私の話を聞いているのか聞いていないのかわかりませんが、いつものことです。私は勝手に続けます。


「いやあ、早いものですね。もう1年以上経つみたいですよ。最近は1年が短く感じてしまいますね」


 私はペーパーナイフを封筒に差し込んで開封します。


「そうです、私が将校さんに紹介してですね、あちらへ行けるように頼んだんですよ」


 ナイフを置いて、中から便箋を取り出しさっと読みます。


「へー、本場でもカンフーは空を飛ばないんですか。絶対嘘ですよね。外国人には秘密にしているだけですって」


 そこには軍に入隊してからのこと、無事向こうへ行けたこと、向こうでの暮らしのことなどが綴られていました。


 何枚もある手紙をめくりながら読んでいると、ヒラリと便箋の間から1枚の写真がカウンターに落ちました。


 それを拾って見ると、思わず笑みがこぼれました。


「ちょっと見てくださいよ、これ。いやあ、いいですね、こういうの。それにしても、男子三日会わざれば、なんて言いますけど、成長期って凄いですねえ」


 私が写真を見せると、常連さんは一瞥し、また新聞へ視線を戻しました。


 その写真には、綺麗な金髪の女の子と、その隣には、背も高くなり、筋肉モリモリになった、頬のそばかすが特徴的な軍服を着た男の子が写っていたのでした。


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